カンボジア
天女の生きている国、戦争のあった国
 

 

第3回 カンボジアの正月

 少し遅くなったが今回は、4月14日のカンボジアのお正月について書きたいと思う。

 カンボジアではお正月らしい賑わいが、たくさんある。
 まず、フランスの影響を受けてクリスマスの頃「ノエル」と言って皆はしゃいでいる。これは日本と同じく、子供がサンタクロースの帽子をかぶったり、デパートでショーをしたりしてお祭り気分。(ちなみに、今の流行はポップスを歌うアイドルとそのバックのジャニーズのようなダンサーのショーと、ファッションショー。なぜか、ジーンズとサングラスで出てきた若者が突然上着を脱いで、上半身裸になってしまうのである。古典舞踊の踊り子たちも1曲踊ったが、やはり人々の関心は西洋文化を取り入れた現代文化にあるようだ)

 次に2月の半ばに中国正月がある。日本では、陰暦(旧暦)のお正月にあたるのだろうか。中国系のカンボジア人のお店がお休みになり、龍の飾りをつけたトラックに乗った沢山の人たちがどらを鳴らし、旗をはためかせながら、中国系寺院へ向かう。
 不思議なのは、純カンボジア系のカンボジア人に見える人たちも、国家の祝日ではないのに自主休業してあちこちに出掛けたり、家の中を飾り立てたりしていることである。これは、中国系というわけではないけれど、ほんの少し中国系の血が入っているとか、あるいは、他の人が休んでいるから私も休もう、というような事らしい。

 しかしやっぱり、カンボジアの本当のお正月は4月である。他のお正月にはない、眠たいような静けさがある。今はあまりそうではないかもしれないが、日本でも昭和12年生まれの亡父が家の事を決めていた私の子供時代、お正月といえばしゃきっとした気分がありながら眠いような気がしたものだ。

 まず、暦を見る人(占い師)によって、今年のお正月は4月の13日なのか14日なのかが決められる。それに合わせて大晦日は、最後の仕事を済ませたり、買い物をしたりと皆忙しい。お節料理というようなものは特にないようだが、ノムパンチョックカリー(カンボジア風カレーそうめん)のように誰がいつ来ても食べられるようなものを、大なべで作っておくようである。その他、果物(バナナ、竜眼、パイナップル、すいか等)、花、バナナの幹と葉で作った御供え物等を、神棚や家の前にお供えする。

 また家の中はきれいに掃除をしクリスマスツリーの時に飾るピカピカしたライト(電飾?)をつけるのである。そう言えば、何故か、カンボジアの人はピカピカ・グルグルするものが好きだ。タイからカンボジアへ来た私は時々、カンボジアとタイの区別がつかなくなってしまうのだが、タイではこのピカピカはそんなに見なかったような気がする。
 弟が来た時「何が一番面白かった?」と聞いたら、「仏陀の後ろでまわるグルグル」と言う答えだった。生身の肌色をした仏像の後ろで光背と言うのだろうか、オーラのようなものが日本にもあると思うが、あれに赤・青などの色がついたものがグルグルと放射状にまわり日本人の私の目には床屋の看板のように映り、そうして祈ってる人々は本当に敬謙なので、なぜかおかしくなってしまうのである。

 さて、こうやって大晦日が過ぎた後、元旦を迎える。朝6時前、人々は昨日からお供えしておいたバナナの飾り物にろうそくを立て線香に火を点し、ラジオかテレビのお正月番組をつける。お正月番組では、アンコールワットなどの寺院をバックにカンボジアの古典音楽が流れている中、ついにその時間になると銅鑼や太鼓が鳴り響き、空からお供を連れた天女(テーワダー)がかごのようなものに乗ってやってくるのである。地上で待ち受けていた去年までの天女が「ようこそ、いらしてくださいました。どうぞ今年いっぱい、地上にてこの地を見守っていてくださいね」というと、「わかりました。長いお勤めお疲れ様でした。どうぞ、天上界にお帰りになり、ゆっくりお休み下さい。この地は私がしっかりと見守ります」というような事を言って、去年の天女がかぐや姫のように天界に帰ってゆくのである。
 そのあと、今年の占いの様なものがあって、王宮占い師が今年はこんな年になるだろう、というお告げをするのである。
(ちなみにカンボジアのテレビでは普段から占いをやっているが、白い服を着た占い師が宙に浮かんだようになって斜めになったりする後ろで、様々な星々がグルグルと周っている。私は神秘的な事が好きなので、余計に「?」と思うのかもしれない。一人で静かに読んだ本に感動した後、映画館で「これでどうだ!」というようなその本を映像化した作品を観ると怒り出したくなる気持ちに近いかもしれない)

 こうしてそれぞれの家に新しい年の天女をお迎えした後、人々はお寺へ向かう。今年、私が先生と一緒にお寺に行った時は、お弁当箱にいれた僧侶に差し上げるご飯とおかず、それから別のタッパーにご飯をたくさん詰め、更に生のお米も持っていった。
 まず、高僧にご飯とおかず、お金等を寄進し、僧侶のお経を聞きながら聖水を木枝の先の葉でパッパッと頭に振り掛けてもらう。次に御堂の外に出て、僧侶が托鉢の時に持っている鉢が10個ぐらい並んでいるので、そこにご飯を入れていく。敬謙な気持ちを表わすためであろうか、靴は脱がなくてはいけない。そして大体はスプーンで掬っていれればいいのだが、最後の鉢だけは自分の手で掬って入れなければいけない。これは、本当に自分の手を汚してでも、真心から寄進を致します、というような事を表わすためであるらしい。
 そして最後に持参した生のお米を小さな山のように盛り上げ、又あとから来た人がその上にお米を盛り上げていくのである。(プンプノムオンコー)これは、自分が日々の生活の中で犯している罪(生き物を殺して食べている事など)の赦しを願ってすることであるらしい。昔は砂を盛り上げていたが、現在はお米を盛り上げるところもあるようだ。その他、この砂山(あるいはお米)を盛る儀式については、数多くの民話・神話が存在する。「砂の怠け者」と言う砂にまみれて何がなんだか分からないような男が、妖力があるということで国王になった、というような話もあるようだ。

 お寺に集まった沢山の料理やお米、ご飯の行く末について尋ねると、僧侶たちが召し上がる他、後日孤児院などに寄付されるということだった。
 その後本堂でお香をたき、ろうそくを灯しお祈りをし、壁に描かれている仏陀の生涯を見て、私たちは外に出た。外では大きな木の下にお線香を供えて人々が祈っていた。これは、仏陀がその木の根元で悟りを得た、菩提樹らしい。
 カンボジアでは、木に精霊が宿ると考えるのか、家でも鉢植えなどの根元にお線香を供える事が多い。ご飯を食べる時もほんの少しご飯と料理を取り分け、木の根元に置いている。あとから野良犬などが食べに来て犬のためにもなっている。

 先生のご主人は、お寺に集まった物乞いのひとに小銭を渡していた。身寄りのなさそうな子供はともかく、いい年をした男のひとにまで小銭を上げているので訳を尋ねると、とにかく今日お寺でする寄進は全て亡き父母に届く、という事だった。前回にも書いたが、ご主人のご両親はポル・ポト時代に殺されてしまった。

 さて、家族連れの私たちはこれで家に帰り、あとは先生達は小銭を賭けたトランプなどを家族ゲームとしてしていただけだが、若い男女は外に出て水を掛け合ったり、白い粉を掛け合ったり、ロアム・ウォンという盆踊りの様なものを踊ったりしている。
 これは、古来より香水(香りのある花を入れた水)を持ってお寺へ赴き、1年の成功と健康を願った風習が、結婚前の若い男女が水を掛け合う遊びに変化したということらしい。しかしとにかく、その辺の人皆が水を掛け合っているのである。時にはバケツやホースで水をかけている人も居る。
 プノンペンに出稼ぎに来ているバイクタクシーやシクロ(力車の様なもの)の運転手さんたちも故郷に帰り、街は静かだ。そういう訳で交通の便がなく、仕方がなく歩いていると水や粉をかけられ、果ては踊っている人たちから「粉を買うから」と小銭までせびられた去年の経験を思い出し、私は今年は、秘密の隠れ家に逃げ込んだ。
 常に社会の安定を心がけている現政府は、今年水鉄砲の輸入を禁止するお触れを出した。水をかけるという遊びに乗じ、硝酸をかける者が現れるといけない、ということだった。

 又、今年は見に行かなかったけれど、去年川沿いのお寺では、1メートルくらいの竹で作った船に料理や小銭を乗せて、流していた。これも亡きご先祖様に届けるものらしい。

 先生(踊りの先生だが、私のカンボジア生活を手助けして下さる先生でもある)は、寄進をする時はいつもそれが亡き父母に届くようにと祈りながら寄進しなさい、とおっしゃる。両親が元気ならば祖父母あるいはご先祖様に届くように、という事なのだろうか。すでにこの世に肉体として存在しなくなった人たちが、私たちからの貢ぎ物を待っているかどうかは、私にはわからない。でもそれは多分、自分が一人で生まれて育ってきたのではなく、誰かにお世話になり助けてもらって今日の自分があるのだということを、「他に分け与える」という行為の中で、いつも思い出し感謝しなさい、ということなのだと思った。
 こういう事は時が来た時に自分で発見するものであり、他から強制されたのでは決してわからない。
 そういう意味で、親や先祖を敬う教育を日本でもしたほうがいい、とは私は思わない。「お前の為を思えばこそ」という親のエゴに苦しみ、又その親に反発する事で苦しみを与え続けてきた私としては、そういう教訓めいた事を学校教育の様な制度の中で強制されたらすごく嫌だ。

 ただ一つ言える事は、年中行事や日々の暮しの中で仏教や精霊に対する信仰が風習として根付いるここでは、必要な時に必要な人生の教えを自分で得る機会が多い、ということだ。

「赦し赦されるために与える」これは私が、今年のクメール正月の中で学んだ事だ。「赦さなければ、忘れなければ」と思いつつ、赦せない事・忘れられない疵が人生にはある。私にも亡き父母に対する思いを始め、そういう事がたくさんある。そういう時に人間ができるわずかな方法の一つに「与える」という事があるのかもしれない。「与える」事により自分の中に穏やかさが生まれ、それがいつの日か憎しみや恨みを超えていく事を信じ、祈ってゆく事。
 最初にカンボジアに来た時はこういうカンボジアの良さがわからず、まだ平和になって間もなかったからだろう、表面の暴力的な雰囲気にとても苦しんだ。どうしてか分からないが、権力構造、汚職などカンボジア社会には問題点が多いにもかかわらず、一人一人に焦点を当てると、その優しさ・寛容さに感動する事が沢山ある。
 それは多分、人々がこの世と同じぐらい前世や後の世、因果応報を信じていて、自分は生死流転する宇宙の中の一片なのだということを体得しているからなのだ。

 今年のお正月、私もカンボジア人が理想とするような、温和で自分の欠点も人の欠点も赦せるような人になりたいな、と思った。そうして辛い事も多かったが、カンボジアのことがとても好きになり、ここに来れた事に感謝の念がわいてきた。

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