立川断層の現状と地震

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1.立川断層とは


_立川断層は、1975年に 空中写真で武蔵野台地の西部を調べていた松田先生と羽田野先生が、台地に 直線状の崖線を発見し、現地を調査して、これが 活断層であることを推定し、 立川断層と名前をつけました。

_活断層というのは、過去に繰り返して 動いた形跡があり、将来も 動く可能性のある断層 のことを指しています。断層の運動に伴って 地震が起こると言われていますので、断層が 動く速さや、動く周期 動いた年代を調べることは、 防災の基礎的な知識 としても大切なことと言われています。

_立川断層と指摘された崖線が、 活断層ではないという意見もありますが、立川断層に沿った地形の調査 をした山崎先生が、地層の中にある姶良火山灰と、ガラス質の火山灰の 地層の年代を調べた結果、崖線の左右で同じ時代の 地層の高さが違っていることから、 断層であると推定することが 合理的であることを見いだし、 また地層の中の粘土層と亜炭層の下限を井戸の記録 から調べた結果、立川断層の左右で70mの高さの差 があることから、立川断層が存在する ことが確実であることを見いだしました。


2. 立川断層の位置


_立川断層の崖線は、100mから300mの幅で 高さ5m程度傾斜地 を形成していると、山崎先生は指摘しています。

_この崖線は、武蔵村山市から立川市の 砂川3番と4番を通り、立川空港 を横切って、高松町、曙町を通り、 羽衣町を横切って、国立市の矢川に抜けています。 この崖線に沿って地図の上に 断層の線が書けます。また、全国の断層を記載した地図を拡大して、 国土地理院の発行している地形図 の上に断層線を書くことも出来ます。

_断層の地表面は、山崎先生の指摘するように、 緩い傾斜面を形成していますから、明瞭に断層を 識別するのは困難 ですが、地図に示した断層線に沿った、断層付近の現状 を見ることによって、断層に対する認識を新たにする ことが出来ます。

_このページでは、立川断層に沿った地区の 現状写真で紹介 し、また、立川断層による地震の発生 についての現在の先生方の意見 を紹介します。
_また丹那断層の活動によって発生した 北伊豆地震と、現在の丹那断層の 状況を合わせて紹介します。


3.立川断層付近の現状


(1)立川市北部の立川断層の現状

_武蔵村山市から、立川市北部 の砂川町までの、立川断層に沿った地域の現状の写真 を紹介致します

_立川市の北側は武蔵村山市ですが、ここに日産自動車の 村山工場があり、この付近を 立川断層が通っています。この工場の建設 のときに、中にあった を平らにしたり、また、残堀川に沿って 湿地があったということを、住民の方が言っていますので、 この付近が立川断層と言えます。日産村山工場の 西側には付け替えた残堀川に沿って 道路があり、その道路をよく見ますと、残堀川に沿って 緩い坂があり、この辺りが 立川断層付近です。

_日産村山工場の南東側には塀がありますが、 この塀に沿ってがあり、この坂が 立川断層付近になります。ここに 砂川小学校が建っていますが、小学校を建設したときに、 校舎を断層から離して建設したと言われていますので、 このあたりが立川断層付近になります。また、 小学校の南側の住宅地の道路にはがありますから、これが立川断層に沿った地形 と思われます。

_立川断層は武蔵野台地を 北西から南東に向けて走っており、そのため、武蔵野平野を東西に走る道路や、 鉄道は立川断層を横切る ことになります。立川市の北部にある西武拝島線 は、武蔵砂川駅の近くで立川断層を横切りますが、 この付近には幅100mで高さ5m程度の がみられます。この辺りが立川断層です。

_このは、西部拝島線 の側に立って見ると、線路の高さ を急勾配で変えないために、盛土 が施工してあり、また、線路に沿ってがありますから、断層付近 の地盤の高低差を見ることが出来ます。


(2)玉川上水付近の立川断層

_玉川上水を立川断層が横切るあたりは、 玉川上水の経路が大きく 曲がっていて、大曲り と言われているあたりです。

_玉川上水を工事するにあたっては、 この断層による坂が、玉川上水の上流側低く、玉川上水の下流側 かったために、このあたりの 自然の地形が北側が山側 高く、南側が 多摩川に向かって低く なっていますので、これを利用して北側の高い地盤 に玉川上水を通し、断層に沿って、自然の地盤を下り、下流側の坂の 高い地盤に取り付けて、 高さを合わせたものと思われます。

_玉川上水の南側の立川断層は、立川の 市街地に向かって、住宅地 の中を通りますが、このあたりから坂の勾配 緩くなり、断層の状態が 分かり難くなります。

_断層が五日市街道を横断するあたりには、 阿豆佐美天神のあたりですが、天神社は断層の 高い側に造営されているようで、このあたりは 傾斜の緩い坂になっています。阿豆佐美天神の側の 道路からは、この傾斜の緩いが見られます。

_断層に沿って南に下ると、航空自衛隊立川空港北側の道路を横断します。このあたりは、非常に 緩い傾斜になっており、明確な傾斜は分かりませんが、 道路良く見ると 緩い傾斜があることが分かります。


(3) 立川市街地の立川断層

_立川市街地の中では、立川断層による 傾斜地は、永年に亘る田畑の開墾、 家屋等の建設によって存在が目立たなく なっていますが、断層付近と思われる場所には緩い坂 があり、断層の存在を見ることができます。

_立川空港北側道路 にある緩い傾斜は、空港の中では外からは判別できません 。立川空港の東側の立飛企業 (立川航空機製作工場)との間の道路では、よく見ると断層付近では緩い傾斜 になっています。立飛企業の南の市街地には、 立川女子高校の付近の が立川断層付近にあたり、校舎の両側が になっていることから、この付近が 立川断層による傾斜地であると思われます。

_女子高校から曙町にかけては、 宅地や工場として開発された地域で、目立った傾斜地は見当たらず 、立川断層の存在は、良くは分かりません。立川断層はこの先 南部線にそって青柳 に続いていると考えられています。

_立川断層が多摩川を越えて何処まで 続いているかについては、明確ではありません。 多摩丘陵地帯 に入り、延長すると百合丘あたりの丘陵地 になります。最近多摩川の南側の開発地域 で、立川断層の露頭 が発見されたという論文がありますから、 立川断層は多摩川を越えて南側に伸びている と考える方が増えているものと思われますが、明確に 何処まで続いているのかは分かっていません。

_断層の延長は、発生する 地震の規模に関係があり、断層の延長が長い ことは、それだけ発生する地震大きくなることですから、立川断層が 何処まで続いているかは、今後 慎重に議論されるものと思われます。


4. 立川断層と地震


(1)立川断層による地震の規模

_立川断層は、多くの論文で活断層として考えられており、 立川断層による崖状の地形は、 南武線の矢川の近くの青柳から、自衛隊の立川空港 箱根ヶ崎へとつながって見られ、 全長は32kmにもなります。

_断層による地震の大きさ(マグニチュード) は、 M=(1/0.6)logL+4.85という式があり、立川断層のうち、 名栗川のあたりは立川断層と 同時に活動はしていないと考えると、Lは21km となるので、M(マグニチュード)は7.0 と推定されています。

_阪神大震災マグニチュード は7.2と言われていますので、立川断層 動けば、阪神大震災に 匹敵する規模の地震がおこると推定できます。


(2)立川断層による地震の周期

_立川断層の活動周期は、 活動1回あたりの移動量1.8mで、1000年 あたりの移動量36cmですので、活動周期 は、1.8m/0.36m/1000年=5000年 となります。


(3)次の地震の起きる時期の予想

_次回の地震の発生は、前回 の地震の発生時期 が分かれば推定できますが、昔、断層ができたために湖が形成されたと思われる地下にあった 木片から、断層湖ができたのは 1400年+−75年昔のことと推定できたため、 次回の地震3500年西暦5500年?)位遠い将来 のことになるようです。

_いずれにしても、まずまず安心して良いと思われます。


_詳しく書いてある論文の一覧
1.立川断層とその第四紀後期の運動、山崎晴雄先生、第四紀研究16(4)、231―246
2.武蔵野台地の西端、古霞湖のC年代、角田清美先生、地球科学37(2)、114―116
3.関東平野とその周辺の活断層と主要な構造性線状地形について、松田博幸先生、故羽田野誠一先生、 星埜由尚先生、地学雑誌86(2)、92―109


5. 丹那断層と地震


(1)北伊豆地震

_北伊豆地震は、丹那盆地 から南に続く丹那断層 の動きにより発生した地震で、昭和5年 (1930年)11月26日午前4時3分、地震のマグニチュード (英語では:リクター・スケール;Richter scale)は 7.3で、阪神大震災に匹敵する大規模な地震 でした。

_この地震で、北伊豆地方では震度6烈震で、東京でも震度4の地震となり、 狩野川流域倒壊家屋 は、30―50%、所によっては 90%に達する被害 がありました。建設中の東海道本線の丹那トンネル では、水抜坑が2.1mずれたと記録されています。

_この地震を起こした断層の移動により、地表には 亀裂が生じ、地面の断層による 食い違いは 相対的に 2.5−3.5mで、断層の東側 北の方向にずれていました。 _この断層のずれは、北は現在の丹那盆地の北の 田代盆地・軽井沢から、南は 中伊豆町まで35km に達したと記録されています。

_この断層地震 は、1982年に調査された結果では、周期 700年―1000年 とされており、次の地震の発生は、 西暦2600年以降と推定されます。

_当分安心して差し支えないと思われます。


(2) 保存されている丹那地震断層(その1)

_丹那盆地の南側には、乙越 という地区があり、そこにあった大塚さんの家 は、この地震断層の亀裂が家を2分 し、亀裂上の家は大破して、家のかまどや庭の水路に 食い違いを残しました。この 食い違いの跡は、現在も国の天然記念物 として保存されており、その凄まじさを見学 することが出来ます。

_断層による亀裂が生じても、その近くの家が常に 破壊されるとは限りません。断層が家を2分してしまえば 被害がなくてすむことはないと思いますが、断層が家を 2分しなければ被害は軽微 ですむ場合があります。家の被害は地震のゆれ によるものと思われ、断層の亀裂の発生 は、その場所のゆれの大きさ とは直接には結びつかないものと思われます。 丹那盆地の中央にあった 川口さんの家では、 すぐ西側に断層が走り、 55−100cmのずれを生じましたが、家屋に 被害がなかったと記録されています。この例は、 阪神大震災の野島断層の例でもあったようです。

_有名な濃尾地震直後根尾谷断層の写真でも、 6mも断層がずれた写真に 倒壊していない家屋が写っています。 この家が地震後新築された ものかどうかは定かではありません。しかし、写真にある断層個所で2分された font color="880000">道路は、まだ復旧されていない状態ですから、 地震からまもなくの写真で、 家を新築するいとまがないとの推定もできます。

_北伊豆地震をおこした丹那断層のずれは、 2.5−3.5mでしたが、このあたりの 地形図を良くみると、田代盆地や、軽井沢、 大沢の池の付近では、 南北に900mもずれてS字状になっているように見えます。これは断層が 非常に長い期間何回 も生じ、その結果、始めは真っ直ぐであったが南北の方向にずれ、川が S字状になったものと推定されています。


(3)保存されている丹那地震断層(その2)

_丹那盆地の断層の保存個所 から、北の方に熱函道路旧道を上り、軽井沢地区から道路を左に曲がって 坂を下りて行くと、まもなく田代の盆地に着きます。 この地区も昔から開けていた地区で、この西側火雷神社があり、そこに断層の現場が保存されています。

_火雷神社は、火牟須比命をお祀りしてある 小さな神社ですが、地形図にも記載されている 有名な神社で、ここの断層の跡は、函南町が 天然記念物として保存しています。

_ここでは、断層の亀裂が神社の 拝殿前の石段鳥居を通過したため、石段と鳥居とがずれています。 ですから、その後拝殿に登る石段をずらして構築してあり 、正面からみると石段が二つ見えます。 ここは鳥居は地震で破壊され、鳥居を構成していた石が散乱 しているのが保存されています。断層のずれの跡 は地上に示してあり、石段の上からみると良く分かり ます。


(4)保存されている丹那地震断層(その3)

_科学的な価値はともかくとして、北伊豆地震の痕跡 として、狩野川にそった長岡町 に、国の天然記念物 に指定されている地震動の擦痕があります。

_これは、学校に下賜されて陳列されていた 海軍の魚雷が、地震動 と共に動いたために、魚雷を支えていた支持の魚雷の腹部 に痕跡を残したもので、天然の地震記録計 の役を果たしたものです。

_当然この魚雷の腹部 擦痕の跡は、地震動 を正確に記録したものではありませんので、自然科学的な価値 は分かりませんが、北伊豆地震 は多くの学者や専門家により調査されて報告されており、 日本における地震についての学問の進歩に非常に 寄与したものですから、日本の 地震学の進歩の足跡 としての価値は高く、それを国の 天然記念物の形で保存 しておくことの意義に、 賛成できるものと思っています。


(5)断層見学お勧めコース

_函南町を中心として、北伊豆地震を起こした丹那断層の痕跡 を保存してある場所は、熱海を通って中伊豆 に入る通路入り口ですから、断層と地震の関係を正確に知り、適切な 防災を考える上で、 是非見学して頂きたいと思っております。

_東京を起点としたお勧め 見学コースは、次の通りです。

_東京から、中伊豆に入る主なコースは5本あります。

_その1:東名―厚木・小田原道路―箱根ターンパイク−箱根峠線
_その2:東名−厚木・小田原道路−真鶴道路―熱海ビーチライン−熱函道路
_その3:東名−厚木・小田原道路−箱根新道−箱根峠
_その4:東名−厚木・小田原道路−箱根新道−三島−136号−熱函道路
_その5:東名−沼津インター−1号−136号−熱函道路

_ただし、箱根ターンパイク−十国峠−伊豆スカイライン は、しばしば濃霧 が出て、それこそ5m先 が見えず、走行時間が3倍もかかって、しかも 高い通行料をとられるのでしたら、寝てた方が マシということになりますから、天気が イマイチと思ったら、小田原西に入る時に、 早川方面−熱函道路に抜けるか、 箱根新道から三島に回るか、 考えた方が良いと思われます

_台風や、の時に、とにかく早く逃げて 帰るのでしたら、沼津インター−東名コース しかありません。箱根ターンパイクなどは雪で閉鎖 します。なお、天気の良い時 に、東京から、中央道−河口湖(ハーブ園) ―忍野八海(オそば)―御殿場(手作りハム)―広域農道(生みたて玉子:地ビール)−三島(鰻屋) などという、散財・ダイエット中断コース もあります。

_というわけで、
_天気が良ければ、十国峠−熱海峠で、 伊豆スカイラインと反対の方角に右に急角度で曲がって、イマイチならば、 熱海から熱函道路−熱海峠で、 旧熱函道路(有料でない方)を下りて来ますと、 しばらくして、軽井沢地区に入りますが、 その1km程手前で、右に急角度で曲がって田代盆地 へ下りて行く道があります。
(―――非常に分かりにくいので、地図を良く見て下さい)
_しばらく行くと、田代地区に入りますから、左折し、 直ぐに広い道路に突き当たりますので、右折した所に、 火雷神社があります。

_次の天然記念物の丹那断層は、火雷神社から南に戻り 、田代地区に入らずに、広い道をしばらく行くと、左に下りる道 があります。
(―――この道を逃すと、延々と道に迷うことになりますから、 地図を良く見て下さい。)
_左に道を下りて、しばらく行くとガソリンスタンドがあり、丹那牛乳 のプラントと、酪農天国オラッチェがあります。
(―――この脇の酪農天国オラッチェか、農協の売り場にあるナチュラルチーズは、 美味です。ただし、通の人が買い占めるので、かなり品切れです。)

_丹那牛乳の脇の道を入り、川を見て、盆地 を見渡しますと、盆地の中央左に川口の森が見えます。 断層は、この川口の森を2分し、 今降りてきた丹那牛乳の所から、火雷神社に達しました。従って、川口の森を 右手に見るように左折し、川口の森の北側 のあぜ道を走って行くと、広い道路に突き当たります。 川口の森を右手に見るように、右折し、 道なりにしばらく行くと、 丹那断層があります。駐車場 は4、5台分があります。

_次の天然記念物、地震動の擦痕にゆくには、 道を西に取り、左に 坂を上って、分かりにくい道を通って、熱函道路 にでます。ここは、もう料金所の後 font color="000088">ですから、料金を取られることはありません。さらに熱函道路を下って行くと、 左に小松のアイスクリーム屋(喫茶ファソン)があります。 「ラッテ」というのに、ラムレーズンをつけたのが、一番美味しいので、ほとんどの人が頼みます。 喫茶店ですので、一息入れて行きましょう。 駐車場は混んでます。一番左は 車いすの方のためです。左の奥にいきましょう。

_熱函道路を降りて、混み合う道は避けることとし、直進 して伊豆中央道に入ります。 トンネルを過ぎると、料金所があります。次の江間 で左におります。余裕のある人は、ここを右に曲がって しばらく行った右側の「富久屋のイタリアン・ロールケーキ」 を買います。
(―――これも通の人が買い占めてしまいますので、前日に予約(0559―38―3039) しないと買えません。)

_地震動の擦痕は、伊豆中央道を降りた所を に曲がり、神社の角にある 2つ目の信号(江間)を に曲がり、100m程行った所を左に曲がってすぐ の所にあります。江間は、いちご狩りで有名ですが、 いちごを食べるだけに興味がある方なら、このあたりのスーパー で買う方をお勧めします。

_お昼にするなら、日帰りの方は「美味しい魚」 を食べられる店が良いでしょうが、日帰り温泉に入って、 泊まりは経済的な西伊豆の民宿にして、食事は 豪勢にお魚を召し上がろうという方でしたら、 日帰り温泉は、長岡温泉の湯屋:光林か、 奈古谷温泉の駒の湯源泉荘(薬草・露天風呂) がお勧め、このあたりに沢山ある温泉の共同浴場 も悪くはありませんが、お勧めではありません。

_お昼をおそばにするなら、 伊豆長岡の橋本のかき揚げザルか、 修善寺の禅風亭なな番の禅寺ソバがお勧め、 禅寺ソバは葉つき生ワサビの持ち帰り可。 ただし両店ともお昼は外までお客が並んでますから、時間をずらして 行くことが肝心です。なお、長岡の温泉まんじゅう は、おやつに最適です(冷凍 してとっておけるので)。駐車場の便利な店、(交通整理をして呉れる)、 なので、あずさがお勧め。

_ここまで来たら、夕方は早く帰らないこと、 6時に出ても、8時に出ても、余り帰着時間 は変わりません。東京に帰るには、夕方の135号、136号、真鶴道路 などで帰るのは禁物渋滞に入る位なら、ゆっくりして、 8時過ぎに帰ればスイスイと帰れます。 伊豆スカイライン、小田原・厚木道路経由、環八 までなら、早い人は、1時間40分(平均速度 60km/h位カナ)。
(――― に捕獲されても知りませんゾ。)

_ゆっくりしたついでに、晩飯を食べて帰ろうというなら、 三島の鰻桜屋:混んでる: 江戸風に近い、南千住の尾花に似てる)、沼津港前の寿司屋がお勧め、 双葉:高いけど美味しい、 その他回転寿司:安いけど美味しい、 いずれも東京よりは安価)によりましょう。
(―――ただし、沼津港の水揚げは 土曜日がお休みです。

_お疲れさまでした。


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アップデート:2003年08月02日
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