ナムトックに行きました

***泰緬鉄道に乗って、滝を見て来ました***


1.泰緬鉄道の観光コース

_昭和17年7月から18年10月に、日本軍がタイ(泰)とミャンマー(緬甸)を結ぶ415kmの鉄道を、僅か1年4ヶ月で建設しました。 伝染病の流行地域で、国際条約を無視し、総勢17万人の従事者のうち、俘虜5万5千人を建設に従事させ、1万3千人の病死者(全病死者4万4千人)を出したため、「死の鉄道」の名がついています。

_現在、タイ国鉄がノンプラドックから、滝のあるナムトックまで約170kmを営業しており。土曜と日曜に観光のため、早朝6時30分バンコック、ホアランポン駅発の予約制のデイーゼル列車が出ています。

_観光の見所は、映画で有名となったメクロン川鉄橋、クエノイ川下り、ジャングル・ハウス、ナムトックの滝など、色々の場所があります。

_このデイーゼル列車に乗るお客の大部分は現地の方、外国からのお客さまは、ほとんどいません。従って、すべての案内はタイ語、ある程度の土地勘がないと、なかなか利用し難い列車です。
_この観光列車は、タイ国鉄が運営していますが、観光会社とタイアップしており、タイ国鉄の案内所にあるパンフレット、には、

  • KWAI川(クウエー川と発音した方が良いみたい)とジャングルハウス
  • ジャングルハウスとプラサット・ムアン・シン遺跡
  • スリ・ナカリンのダムと、エラワンの滝
  • メクロン川下り、KWAI川
  • などのコースの案内がでています。

    (注・・)タイ人の課長さんが、水牛はカワイイ、KWAI川はクウエイと発音するように言ってました。ローマ字読みではKWAIはクワイですが、英語読みではクウエイになるのでしょうか。いずれにしてもクワイという発音は悪い意味があるのでヤメナサイという注意、本当かしら。


    2.ナコン・パトム着、朝7時37分

    _バンコックから58km、世界で一番大きな仏塔のあるナコン・パトムにつきます。
    _ここを出るのは、朝8時17分、40分の休憩があります。仏塔を見ていない方は、ここで見に行くことができます。

    _それよりも、朝6時半の列車ですから、ここで朝食の買い付けに出ます。駅前には屋台が沢山出ています。卵焼きのホカベンから、焼き鳥、ちまき、水、コーラ、クロスターでもシンハ(クロスターとシンハは、タイで美味しいビールのブランドです)でも、

    _ところで、列車にはトイレはついていませんので、ここで駅のトイレを利用します。1回2バーツです。

    _そろそろ、日が射して暑くなってきました。この列車は予約制ですが座席指定ではありません。もちろん冷房もありません。進行右手が涼しい側、左は景色が良くて暑い側、中央はデイーゼルの煙突で、これも暑い場所。


    3.クワイ川鉄橋駅着:09時27分

    _タイに関する映画の話で注意が必要なのは、タイでは「王様と私」の映画のことは、話をしてはいけません。タイ王国の王様は国民から絶大な尊敬と信頼を受けている非常に立派な王様で、法律で不敬罪があります。

    _また、泰緬鉄道に従事した先輩には、「戦場に架ける橋」の話はしないこと。以前、雑誌にナムトクに行った記事を書いた所、何通ものお手紙を頂戴しました。そのほとんどが、この映画には頭に来ている様子で、フィクションであることを強調されておりました。
    _実際の橋梁、メクロン鉄橋(建造した日本の軍人さんが、クワイ川鉄橋は俗の名称と言いました)は、インドネシアから調達されたもので、200mの川幅に11mの長さのトラス橋が11組あり、戦時には、この永久橋に平行して下流側に工事用の木橋が架けられていました。

    _メクロン鉄橋の渡る川はメクロン川で、メクロン川は橋梁の少し下流でクエノイ川と合流します。泰緬鉄道はクエノイ川に沿って上流のナムトックに向かうのですが、この一帯をクワイ川というのでしょうか。タイの地図では、このようになっているのですが、日本のJTBのポケットガイドでは、少し違うように見えます。

    _鉄橋のたもとにある、現在のクワイ川駅のあたりは観光地となっており、土産物のお店が沢山あり、博物館などの見学が出来ます。
    _この観光デーゼル列車は、ここで30分停車します。観光コースの違うグループは、ここで降車します。しかし、また夕方乗車して来ますので、席は空けておきましょう。ここにも有料のトイレがあります。発車は9時57分です。


    4.列車の走る沿線の風景

    _外は、もう既に暑い時間になっています。

    _列車が通る沿線は、森と、川と、林と、山と、そして所々に町並みが見えます。
    _大きな町に入る時には、豚舎があるらしく、悪臭が車内に入ってきます。風を入れるために窓はあけてありますから、木の葉でも、ススキの穂でも、何でも飛び込んできます。
    _沿線には広い道路が続いています。楽な旅の方が良ければ、冷房バスに乗っても、観光は出来ます。ただしバスでは鉄道の旅はできません。(アタリマエ)

    _車内には陽気なお客様が沢山います。スコッチで一気をやってます。後でぶっ倒れてシんでます。
    _車内では、観光客が鉦と太鼓(少しハイカラに言うと、ドラとボンゴ)を持ちこんで、タイの歌謡曲を歌って呉れます。本人たちは大いにのりまくって楽しんでます。どの歌もみなメジャーのペンタトーンで、リズムはみな同じ、日本の民謡なら、オテモヤンか、真室川音頭なのか、
    _それほど乾いているわけではないのですが、土埃もヤタラに入ってきます。ホテルに帰ったらシャワーをヤタラに浴びましょう。

    _列車は、クエノイ川に沿って上流へ上って行きます。
    _ジャングルハウスのあるワンヤイの近くは、クエノイ川河岸の100m位の高さの絶壁に沿って、日本軍が苦労して建造した木造の桟道を列車が渡って行きます。この区間の制限速度は5km/h。もちろん歩いた方が早いです
    _車内のお客は皆、川側の窓によってきます。車体が傾いて川に落ちそうになって、渡って行きます。クエノイ川に沿った一番の眺望はここです。

    _クエノイ川には、観光用の桟敷があって、川をひき船の観光船が渡って行きます。ジャングルハウスの駅で多くの御一行様が列車をおります。コースには川下り、川のそばのバンガローで一泊の旅行、様々なコースの起点になっているようです。駅の前には屋台の売店も沢山ありにぎやかです。


    5.ナムトック駅:11時30分着

    __ナムトックは、今は泰緬鉄道の終点になっていますが、現在滝の所まで、鉄道の延伸工事を施工しています。そのうち、滝の所まで列車で行けるものと思われます。

    _この区間は、戦時17万人の将兵、俘虜、労務者が艱難辛苦して建設した線路ですが、戦後この区間を管理した英軍が、日本軍を使って撤去してしまいました。今でもタイとミャンマー間の鉄道はありません。20年程前初めて来た時、なぜ鉄道をはがしたか、理由は分かりませんでしたが、後で「地政学上の理由」であると知りました。
    _地政学上、大英帝国の極東政策に「泰緬間の陸上交通は、これを閉じる」大原則があるのだそうです。たしかに日本人は、今でも幸いなことに平和ボケしてます。しかし、ムシロその方がイイです。

    _ナムトックの駅につくと、旅行社のツアーの御一行は予約のトラックに乗って、滝に向かいます。ツアーでないタイ語の不自由な御一行は待たされ、残りのトラックに乗ります。でも、滝まではほんの5分程度ですから、待っていても知れたもの。
    _駅前は木陰があり涼しい所ですが、トラックは埃のひどい町中を通り、まもなく6車線の広い道路にでます。

    _道路を数分走るとナムトックの滝のすぐ下に着き、トラックを降り、数分坂を上がった所に滝があります。
    _滝の手前に、蒸気機関車が一両おいてあります。おそらく、日本から持ってきたC56の改造(ゲージを1067mmから1000mmに)でしょう。死の鉄道の記念の碑文もあります。滝の前は現地の観光客であふれ、賑わっています。

    _日本には、花見、芋煮などあって、四季おりおり、理由をつけて飲むことができますが、雨期と乾期のタイでは、滝見位しか理由がつかないのかもしれません。

    _滝の前には、花毛氈が敷いてあり、席がとってあって、皆お弁当を広げて楽しんでいます。お弁当を持って来なかった人は、ここで子どもと一緒になって、滝の近くまで行って、水の中に入って遊んでいます。

    _水戸から郡山に入ると、袋田の滝があり、美しい滝ですが、滝の上は水田だということでした。ナムトックの滝も、上は水田ではないでしょうが、タイの免疫が不十分なうちは、水には入らない方が良いと思われます。

    _しかし、タイから帰った時、C形肝炎の話を聞き、ドックで追加検査して笑われました。子どもの時、田圃で泥鰌を取ったことのある日本人は、免疫があるのだそうです。しかし、O―157だって、28、47、128とあるのだそうですから、Cだって、C56の他、C62位まであるカモ知れません。

    _ここで、丁度時間はお昼になります。6時半にナコン・パトムで朝食を調達して、ヤハリお腹が空いてきます。見回すと、食事には苦労しないですむ様に、お店が沢山出ています。適当にお店を選んで、大いに食事を楽しみましょう。クロスターだって、シンハだって、メコンだって売っています。ただには注意しましょう。免疫はまだ十分でないでしょうから。


    6.ナムトック発:14時40分

    _帰りは、またトラックに乗って駅まで帰ります。帰りがけにお土産の店を覗いて行きましょう。特に買うようなものはありませんが、揚げたバナナなど試食してみたことのない日本人は、ここで安く試食できます。量が多いことだけ、後で辟易します。

    _早く駅に戻ってみても、デーゼル列車が来ているわけではありません。また、来ていても冷房が効いているわけではありません。駅前は、お店はありません。ただし、トイレはここにあります。

    _帰りは、カンチャナブリで50分停車します。駅から泰緬鉄道の殉職者の墓地を訪れることが出来ます。6車線の広い道路に沿った所にあります。駅には、世界一の狭軌の蒸気機関車の展示があります。マレット形ですが、万世橋の交通博物館にある方が大きいように思います。何方か調べて見て下さい。いずれにしてもメーターゲージで世界一は間違いありません。


    7.お疲れさまでした。帰着時間不明:9時ころ

    _帰りの時間は、分かりません。とにかくバンコック中央駅(ホアランポン駅)が混んでいて、待たされます。18時半の定刻には到着しないものと覚悟して寝ていましょう。
    _もう外は暗くなっています。とにかく暑い一日です。帰りのタクシーラマ4世通りにでると、すぐ来ます。白タクはやめて、メーターつきにしましょう。チップは余りはずまないように、現地の日本の方から注意されてます。しかし、細かい金額が分からないので、適当に少なめに出しましょう。タクシーでは、親不孝通りに誘われますが、ここは明日から仕事ですので、早く帰って休みましょう。

    _12月のバンコックは、王様の御誕生日のお祝いで賑わっています。美しい電飾が沢山あります。ゆっくりと市内を回って楽しむことができます。日本から行って一番良い季節です。しかし、ナムトックの旅は、冷房のバスをお勧めします。このページでお楽しみ頂くだけの方が、よろしいかと思います。お疲れさまでした。


    余禄:先輩から聞いた話など

    _泰緬鉄道の建設に行った先輩の話など、少しつけ加えます。

    (1)泰緬鉄道の建設で、路線測量は竹やぶの中を、本当に象に乗ってかき分けて行ったとのことです。
    _象に乗っても、あたりの様子が分からない位の、丈の高い(高い竹の..)やぶですから、ビルマ側からの測量と、タイ側との測量が出会う点は、非常に難しい問題で、そろそろ出会いそうなものなのに、一向にその様子が見えない。航空機からの連絡でも良くわからないので、ソレデハと、ある日直線に行く測量を、エイヤット斜めに進んで、400m位行ったところ、アッタアッタ、竹を切り開いたビルマ側の部隊が進んだ道に、ぶつかったとのことです。
    _今ならレーザーとかで、問題ないのでしょうが、当時としては、出来の良い方ではなかったかと言っておられました。

    (2)終戦も近くなると、制空権は連合軍側に移り、線路の爆撃は激しくなって線路を維持するのが、容易でなくなって来た時からのことだそうです。
    _そのころは昼間は連合軍の偵察機が路線を見て行き、爆撃して不通になった個所が復旧されていないかを確認し、復旧してあれば爆撃するという状態だったそうです。
    _それで考え出したことは、軌道の部分はすぐにでも復旧できますが、復旧できないのは橋梁の部分なので、昼間は橋梁を爆撃された通り壊して倒しておいて、日没からそれをもとに戻して、列車を通し、朝までにまたもとの通りに壊しておくという離れ業を編み出したそうです。
    _こんな方法で、恐らく当時の世界で、先端的で第一級の技術を使って、随分列車を通した、この部隊は世界一の技術部隊だったはずである。と自慢してました。
    _それなので、先輩の皆さんが、映画の「戦場に架ける橋」のくだりを我慢ができなかったものと、思ってます。

    (3)戦争犠牲者の病死者がひどい状態になってから、日本軍の病死もひどくなり、日本人も俘虜も現地労務者も、犠牲者がでると、念仏を書いた木柱を立てて合葬したそうです。
    _しかし、戦後になって、欧州の人は、自分の息子が異教のしきたりで何処に葬られたか分からない状態は、我慢出来ないことで、そのこと自体が激しい憎悪の対象になったと、しきりに反省してました。
    _これと反対の話なのですが、千葉の海岸に不時着して亡くなった米軍パイロットを、石をおいた無縁塚に葬むり、田舎のことですから、盆には草花を供えておいた時、戦後調査に来た米軍の将校が、この無縁塚に花が供えてあったので感激し、非常に村に良く言って帰ったとのことです。
    _国の命令で、やむを得ないことはあるのでしょうが、まず、お互いの習慣を理解して行動することは、どんな場合でも必要なことのようです。


  • タイの人がお墓を造らないのを、初めは理解できなかったのですが、分かるにつれて、不思議には思わなくなってます。カンチャナブリの犠牲者の墓地に行くたびに、色々なことが思われます。


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    アップデート:1997年1月18日
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