左遷
- 左遷というのは職業人生につきものです。それに自分が遭遇したときにどのようにすればいいのか記載します。
- 左遷のときに考えるのが自分より後輩が上司になってしまうことです。結構、当事者としては心理的にきついものがあります。その後輩も優秀であり、自分の中でも仕方がないなと思えるようであれば気持ちの整理がつきますが、どうしてなのかと疑問を抱くような場合には心中は穏やかでいられません。こういうときはなってしまったものは仕方がないと割り切るしかありません。自分がどうして落ちたのか考えてもどうにもなりません。文句をいって何か変わるかというと変わるものは何もありません。
- 左遷になったとき、会社をやめようかなと思うのは通例のことです。ただ、ちょっと待てよということで考えてみるもの大切です。職なんてあるだけマシだということも思えます。ハローワークには人がごったがえしているようです。それに比べると少々のことであれば我慢をすれば給料も入りますし、まあ、いいのかなという風にも考えられます。
- 左遷させられたとき、会社に恨みを持つのは当たり前です。裏を返していえば人事権者は恨みを持つことを前提に左遷人事をしているということもいえます。この人にうらみをもたれてもいいよという判断が下されていると考えるべきでしょう。だとすれば、ぐちゃぐちゃいってもどうにもなりません。ただ、ひとついえるのは左遷を食らってしまって、短気を起こさないことです。左遷を食らったときこそよくよく考えて行動をするべきでしょう。
- 左遷を食らうと会社側からは思った以上に軽く見られます。そのことに対するケアが必要です。他の部門からは自分がしかるべき職制にいないので相手にされないことがあります。この場合には非常にムカつくことがあります。そういうときには逆に自分はその手の仕事をする必要がないのだと考えを変更するといいでしょう。権限の必要な仕事はできないし、するべきでもないのです。また、相手にしてくれない相手に対して、自分を相手にしてほしいという具合に思わないほうが精神衛生上よさそうです。会社にどっぷりとつかってしまうと会社からの疎外感を感じてしまい、ノイローゼの原因にもなりかねません。重要なことの決定について別になにか相談を受けるわけでもなく、どうして自分がかかわりをもてないのだろうと疑問を持つこともあります。会社としては別に自分の力が不要なのだと割り切ればいいだけです。与えられた仕事だけ!!をし、余計なことはしない!!というところがポイントです。自分からいろいろ仕事をするというのは自分に権限があり、活躍を期待されているということなので、権限もなく、期待もないというのであればソコソコボーナスが悪くならない程度にがんばるという程度でいいのでしょう。
- 会社での地位が世間評価でかかわりがあるかというとよく考えてみると大して影響がありません。社長だったら、ちやほやいったんはされますが、お金をもっているからであり、お金をもっていない社長は世間で相手にされません。そういう状況になれば、自分が社長で偉いからちやほやされているのでなく、自分のお金に対して、ちやほやしているんだという現実が分かります。会社での評価がどうであろうと別に自分の私生活に影響がなにかあるわけではありません。私の場合にはある国家資格をもっていますが、会社でそれをもっているのは私だけであり、別に会社での評価が低かろうと国家資格をもっているので別になんら気にすることもありません。こういう気持ちの強さ?も必要なのかも知れません。
- 左遷の場合には、それでもその理由を知りたいところです。それなりに自分で納得できるものであればやむなしと思うことでしょう。ただ、納得できないものであれば異議申し立てしたいところです。とはいうものの実際には異議を申し立てたところでどうということはありません。人事も秘密主義が跋扈していると結局最後は組織としてはよろしくなさそうです。これからの組織はきちんとした評価システムがあり、できるだけ客観的評価で評価される人に説得的なものでないといけないのだと思います。
- 左遷については、評価者が左遷に値するという判断が前提にあります。では、どうして左遷なのか?仕事に失敗をしたから?あるいは仕事ができないから?上位者の気にいらないから?いろいろ理由はあると思います。自分の身に置き換えてみると仕事はそこそこやってきたつもりですし、失敗はない。となるとやはり軽く見られる、侮蔑されるというところに原因があるでしょう。仕事も評価を大きく受ける仕事ではなく、あちこちのトラブルの解消という目に見えにくい仕事です。先日、ロールプレイングの練習をし、ビデオ撮りをしていましたが、自分の姿をビデオでみてはっとしました。外見です。どうも他人からみた場合、バカにしやすく、お人よしこの上なしと見えるわけです。威厳がないということなのですね。これはもって生まれたものもありますが後天的にもなんとかなるものと思います。自分のことに関する知識が少し増えたような気がします。先日読んだ営業に関する本の中で自分のことを客観的に見ることの必要性を書いたものがありました。自分の価値は他人からは軽くしか映っていないということが改めてわかると次の対策が打てるというものです。
- 左遷される人、昇格昇進する人と明暗を分けますが、私同様に左遷される仲間に入る人がいます。自分だけではないのです。そういうところに気づくと気分は楽になります。また、左遷されてもまだ下には下がいると思わせるような仕組みを作るということも行われています。徳川時代には士農工商という身分制度がありましたがその下にさらに身分を作りました。左遷されるかどうかはひとえに人事権者の決定によります。人事についてはいろいろ言われていますが、いくら科学的にどうこういおうと気分や雰囲気で決まります。好き嫌いだけで決まることが世間ではざらで一流と言われているところでも同様です。大きな企業ほど一見客観的に数値化して評価をするような体裁をとりますがその数字自体が本当は疑うべきものです。まあ、気楽にいくのが一番いいです。左遷組には責任はないのですからね。(2004年8月21日)
- 左遷される人は権力者のグループには確実に入っていません。その事実を左遷を機に自分なりに把握するべきです。左遷されるとかなりの確率で会社生活での出世はありえません。一部例外として、権力者がスキャンダルで失脚したときに脚光をいきなりあびることもありますがそれにしてもそれなりに存在感がないとその際でも日の目をみることはありません。(2004年9月26日)
- 左遷についてはやはり自分の中にその理由がほとんどの場合あります。左遷になる前にそれを察知できれば何か手を打てますがほとんどの場合には無理でしょう。左遷される場合にはほとんどの場合にはその組織には適合していないと判断されているのですから冷静に受け止め、たんたんと職務をこなすことが賢明だと思います。(2004年12月11日)
- 左遷させるかどうかは会社の権力層が判断しますが、かなり、仕事の現実を理解していないということに驚かされます。雪印事件では経営トップが実態を把握していないということで失態を演じましたが、これは一般の企業でもそれも経営トップではなく、ミドルレベルでも生じます。リストラをかけるかけないの判断でもミドルは自分の一つ下のレベルは概ねわかりますがそのもう一つ下になったときには非常にわからなくなります。一つ下のレポートに基づいて判断しますがそのレポートにバイアスがかかればもう終わりです。本当は必要な人材なのにレポートが悪いと不要と判断され、リストラにかけると逆にその人は喜んで外に出て、競合会社で手ごわい競争相手となって自分たちの前に現れることもあります。もともと実際の仕事を切り盛りしていたし実務を一番よく知っており実力があります。つまり手を動かすことにより、知識が地についているのです。だから何があっても対応できるということになります。そういう人を間違ってリストラすると後でダメージが戻ってきます。リストラにかけるときには本当にいらないかどうかをよくよく吟味すればいいですね。一つのコツはその更に下のフォロワーがその人の周りでどのような行動をしているかどのようにその人を見ているかを見ていれば判断がより正確につくものと思います。(2004年12月23日)
- 本当のところ、会社で左遷されたところで少なくとも自分の自分に対する評価は変更するべきではありません。もし、今まで会社での仕事を懸命にやってきて、自分に対して自分がほめることができるのであればそれはそれでいいことです。きちんと自分を誉めてあげましょう。それは残された人生生きていくためにそれも大切な自分とともに生きていくために大切なことです。自分の生涯の一番最後には会社の存在はありません。そこには究極的には自分しかいないのです。自分とはずっとつきあっていかないといけないので大切にしましょう。(2005年2月5日)
- 左遷の憂き目を見て、時間がたつと左遷の意味がわかってきます。結局は、結構、時の上司の自己保身というのもあります。5年くらいたち、そののちの様子を見るとよくわかります。左遷というのはそのときの会社の一つの判断の結果ではありますがその結果については会社が責任を将来について負わなければなりません。左遷をした当時の上司の様子をあとで観察し、どういう経緯をたどったか確認してみると面白いかもしれませんね(2008年11月24日)
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