損益通算廃止年度内遡及事件

  1. 所得税の納税義務は暦年の終了時に成立するものであり(国税通則法15条2項1号),措置法31条の改正等を内容とする改正法が施行された平成16 年4月1日の時点においては同年分の所得税の納税義務はいまだ成立していないから,損益通算廃止に係る改正後の同条の規定を同年1月1日から同年3月 31日までの間にされた長期譲渡に適用しても,所得税の納税義務自体が事後的に変更されることにはならない。として納税義務の事後的変更には当たらないと整理をしています。
  2. しかしながら,長期譲渡は既存の租税法規の内容を 前提としてされるのが通常と考えられ,また,所得税が1暦年に累積する個々の所 得を基礎として課税されるものであることに鑑みると,改正法施行前にされた上記長期譲渡について暦年途中の改正法施行により変更された上記規定を適用することは,これにより,所得税の課税関係における納税者の租税法規上の地位が変更さ れ,課税関係における法的安定に影響が及び得るものというべきである。 とし、とはいうものの納税者の租税法規上の地位が変更さ れることは認めています。
  3. 憲法84条により課税関係における法的安定が保 たれるべき趣旨を含むものと解するのが相当であるとし、そして,法律で一旦定められた財産権の内容が事後の法律により変更 されることによって法的安定に影響が及び得る場合における当該変更の憲法適合性 については,①当該財産権の性質,②その内容を変更する程度及び③これを変更すること によって保護される公益の性質などの諸事情を④総合的に勘案し,納税者の租税法規上の地位の変更が当該財産権に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかによって判断すべきものであるとしています。
  4. 暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用によって納税者の租税法規上の地位が変更さ れ,課税関係における法的安定に影響が及び得る場合においても,その暦年当初からの適用がこれを通じて経済活動等に与える影響は,当該変更の具体的な対象,内容,程度等によって様々に異なり得るものであるところ,租税法規の変更及び適用も,最終的には国民の財産上の利害に帰着するもので あって,その合理性は上記の諸事情を総合的に勘案して判断されるべきものである という点において,財産権の内容の事後の法律による変更の場合と同様というべき としています。
  5. 上記改正は,長期譲渡所得の金額の計算において所得が生じた場合には分離課税がされる一方で,損失が生じた場合には損益通算がされることによる不均衡を解消し,適正な租税負担の要請に応え得るようにするとともに,長期譲渡所得に係る 所得税の税率の引下げ等とあいまって,使用収益に応じた適切な価格による土地取引を促進し,土地市場を活性化させて,我が国の経済に深刻な影響を及ぼしていた 長期間にわたる不動産価格の下落(資産デフレ)の進行に歯止めをかけることを立法目的として立案され,これらを一体として早急に実施することが予定されたもの であったと解される。
  6. また,本件改正附則において本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を平成16年の暦年当初から適用することとされたのは,その適用の 始期を遅らせた場合,損益通算による租税負担の軽減を目的として土地等又は建物 等を安価で売却する駆け込み売却が多数行われ,上記立法目的を阻害するおそれが あったため,これを防止する目的によるものであったと解される。
  7. 平成16 年分以降の所得税に係る本件損益通算廃止の方針を決定した与党の平成16年度税 制改正大綱の内容が新聞で報道された直後から,資産運用コンサルタント,不動産 会社,税理士事務所等によって平成15年中の不動産の売却の勧奨が行われるなど していたことをも考慮すると,上記のおそれは具体的なものであったというべきで ある。
  8. そうすると,長期間にわたる不動産価格の下落により既に我が国の経済に深 刻な影響が生じていた状況の下において,本件改正附則が本件損益通算廃止に係る 改正後措置法の規定を暦年当初から適用することとしたことは,具体的な公益上の要請に基づくものであったということができる。
  9. そして,このような要請に基づく法改正により事後的に変更されるのは,納税者の納税義務それ自体ではなく,特定の譲渡に係る損失により 暦年終了時に損益通算をして租税負担の軽減を図ることを納税者が期待し得る地位 にとどまるものである。
  10. 納税者にこの地位に基づく期待に沿った結果が実際に 生ずるか否かは,当該譲渡後の暦年終了時までの所得等のいかんによるものであっ て,当該譲渡が暦年当初に近い時期のものであるほどその地位は不確定な性格を帯 びるものといわざるを得ない。
  11. また,租税法規は,財政・経済・社会政策等の国政 全般からの総合的な政策判断及び極めて専門技術的な判断を踏まえた立法府の裁量 的判断に基づき定立されるものであり,納税者の地位もこのような政策的,技術的な判断を踏まえた裁量的判断に基づき設けられた性格を有するところ,本件損益通算廃止を内容とする改正法の法案が立案された当時には,長期譲渡所得の金額 の計算において損失が生じた場合にのみ損益通算を認めることは不均衡であり,こ れを解消することが適正な租税負担の要請に応えることになるとされるなど,上記地位について政策的見地からの否定的評価がされるに至っていたものといえる。
  12. 以上のとおり,本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定の暦年当初からの適 用が具体的な公益上の要請に基づくものである一方で,これによる変更の対象とな るのは上記のような性格等を有する地位にとどまるところ,本件改正附則は,平成 16年4月1日に施行された改正法による本件損益通算廃止に係る改正後措置法の 規定を同年1月1日から同年3月31日までの間に行われた長期譲渡について適用するというものであって,暦年の初日から改正法の施行日の前日までの期間をその 適用対象に含めることにより暦年の全体を通じた公平が図られる面があり,また, その期間も暦年当初の3か月間に限られている。納税者においては,これによって 損益通算による租税負担の軽減に係る期待に沿った結果を得ることができなくなる ものの,それ以上に一旦成立した納税義務を加重されるなどの不利益を受けるものではないとしています。。
  13. これらの諸事情を総合的に勘案すると,本件改正附則が,本件損益通算廃 止に係る改正後措置法の規定を平成16年1月1日以後にされた長期譲渡に適用するものとしたことは,上記のような納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものと解するのが相当である。したがって,本件改正附則 が,憲法84条の趣旨に反するものということはできない。と結論づけています。
  14. 谷口勢津夫『税法基本講義』 35頁(弘文堂、2021)では個々の租税立法に関する比較衡量においては次の点を考量されるべきとしています。
    1. 遡及の程度(法定安定性の侵害の程度)
    2. 遡及課税の必要性(立法目的)
    3. 予測可能性の有無・程度(法改正前情報開示の有無、時期、態様等)
    4. 遡及課税による実態的不利益の程度
    5. 代替的措置の有無・内容
  15. 改正法は,「長期譲渡所得の金額の計算において所得が生じた場合には分離課税がされる一方で,損失が生じた場合には損益通算がされることによる不均衡を解消し,適正な租税負担の要請に応え得るようにするとともに,長期譲渡所得に係る 所得税の税率の引下げ等とあいまって,使用収益に応じた適切な価格による土地取 引を促進し,土地市場を活性化させて,我が国の経済に深刻な影響を及ぼしていた長期間にわたる不動産価格の下落(資産デフレ)の進行に歯止めをかけることを立法目的として立案され,これらを一体として早急に実施することが予定されたものであったと解される。」と対象となった改正法の趣旨を述べています。
  16. 「本件改正附則において本件損益通算廃止に係る改正後 措置法の規定を平成16年の暦年当初から適用することとされたのは,その適用の 始期を遅らせた場合,損益通算による租税負担の軽減を目的として土地等又は建物等を安価で売却する駆け込み売却が多数行われ,上記立法目的を阻害するおそれがあったため,これを防止する目的によるものであったと解されるところ,平成16年分以降の所得税に係る本件損益通算廃止の方針を決定した与党の平成16年度税制改正大綱の内容が新聞で報道された直後から,資産運用コンサルタント,不動産会社,税理士事務所等によって平成15年中の不動産の売却の勧奨が行われるなど していたことをも考慮すると,上記のおそれは具体的なものであったというべきである。」と認定しています。  
  17. 「長期間にわたる不動産価格の下落により既に我が国の経済に深 刻な影響が生じていた状況の下において,本件改正附則が本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を暦年当初から適用することとしたことは,具体的な公益上の 要請に基づくものであったということができる。」とし、「このような要請に基づく法改正により事後的に変更されるのは,・・・・納税者の納税義務それ自体ではなく,特定の譲渡に係る損失により 暦年終了時に損益通算をして租税負担の軽減を図ることを納税者が期待し得る地位にとどまるもので」あり、「納税者にこの地位に基づく上記期待に沿った結果が実際に生ずるか否かは,当該譲渡後の暦年終了時までの所得等のいかんによるものであっ て,当該譲渡が暦年当初に近い時期のものであるほどその地位は不確定な性格を帯 びるものといわざるを得ない」 ものとされています。  
  18. そもそも「租税法規は,財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断及び極めて専門技術的な判断を踏まえた立法府の裁量 的判断に基づき定立されるものであり,納税者の上記地位もこのような政策的,技術的な判断を踏まえた裁量的判断に基づき設けられた性格を有するところ,本件損益通算廃止を内容とする改正法の法案が立案された当時には,長期譲渡所得の金額 の計算において損失が生じた場合にのみ損益通算を認めることは不均衡であり,これを解消することが適正な租税負担の要請に応えることになるとされるなど,上記地位について政策的見地からの否定的評価がされるに至っていたものといえる」としています。
  19. 以上要するに「本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定の暦年当初からの適用が具体的な公益上の要請に基づくものである一方で,これによる変更の対象とな るのは上記のような性格等を有する地位にとどまるところ,本件改正附則は,平成 16年4月1日に施行された改正法による本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を同年1月1日から同年3月31日までの間に行われた長期譲渡について適用 するというものであって,暦年の初日から改正法の施行日の前日までの期間をその 適用対象に含めることにより暦年の全体を通じた公平が図られる面があり,また,その期間も暦年当初の3か月間に限られている。納税者においては,これによって 損益通算による租税負担の軽減に係る期待に沿った結果を得ることができなくなる ものの,それ以上に一旦成立した納税義務を加重されるなどの不利益を受けるものではない。」 と解されます。
  20. これらの諸事情を総合的に勘案すると,本件改正附則が,本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を平成16年1月1日以後にされた長期譲渡に適用するものとしたことは,上記のような納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものと解するのが相当で」あり,本件改正附則 が,憲法84条の趣旨及び30条の趣旨に反するものということはできないとしました。
  21. 税制改正大綱がでると世の中は騒がしくなります。確かに税制改正大綱が出て、新しい税制の内容がわかるとその対応をする動きが出てきますが、4月成立で1月に効力遡及ことを最高裁判所が認めているので、納税者としては気をつけないといけないのだろうと思います。租税法は刑事法と違い遡及立法の禁止原則はそのまま妥当しませんが予測可能性を害することになるので、遡及立法の禁止原則の趣旨は及ぶものと考えることができます。租税法の定立には「総合的な政策判断及び極めて専門技術的な判断を踏まえた立法府の裁量的判断」が行われており、それを考慮に入れる必要性があります。


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