武富士事件

  1. 租税特別措置法69条2項の規定が設けられる前においては,贈与税の課税は贈与時に受贈者の住所又は受贈財産の所在のいずれかが国内にあることが要件とさ れていたため(法1条の2,2条の2),贈与者が所有する財産を国外へ移転し, 更に受贈者の住所を国外に移転させた後に贈与を実行することによって,我が国の 贈与税の負担を回避するという方法が,平成9年当時において既に一般に紹介されており,Aは,同年2月ころ,このような贈与税回避の方法について,弁護士から 概括的な説明を受けた。
  2. 本件会社の取締役会は,平成9年5月,Aの提案に基づき,海外での事業展開を図るため香港に子会社を設立することを決議した。上告人は,同年6月29 日に香港に出国していたところ,上記取締役会は,同年7月,Aの提案に基づき, 情報収集,調査等のための香港駐在役員として上告人を選任した。また,本件会社 は,同年9月及び平成10年12月,子会社の設立に代えて,それぞれ香港の現地法人(以下「本件各現地法人」という。)を買収し,その都度,上告人が本件各現地法人の取締役に就任した。
  3. 上告人は,平成9年6月29日に香港に出国してから同12年12月17 日に業務を放棄して失踪するまでの期間中,合計168日,香港において,本件会社又は本件各現地法人の業務として,香港又はその 周辺地域に在住する関係者との面談等の業務に従事した。他方で,上告人は,本件 期間中,月に一度は帰国しており,国内において,月1回の割合で開催される本件 会社の取締役会の多くに出席したほか,少なくとも19回の営業幹部会及び3回の 全国支店長会議にも出席し,さらに,新入社員研修会,格付会社との面談,アナリ ストやファンドマネージャー向けの説明会等にも出席した。また,上告人は,本件 期間中の平成10年6月に本件会社の常務取締役に,同12年6月に専務取締役に それぞれ昇進した。 本件期間中に占める上告人の香港滞在日数の割合は約65.8%,国内滞在日数 の割合は約26.2%である。
  4. 上告人は独身であり,本件期間中,香港においては,家財が備え付けら れ,部屋の清掃やシーツの交換などのサービスが受けられるアパートメントに単身で滞在した。そのため,上告人が出国の際に香 港へ携行したのは衣類程度であった。本件香港居宅の賃貸借契約は,当初が平成9 年7月1日から期間2年間であり,同11年7月,期間2年間の約定で更改され た。他方で,上告人は,帰国時には,香港への出国前と同様,Aが賃借していた東京都杉並区所在の居宅で両親及び弟とともに起 居していた。
  5. 上告人の香港における資産としては,本件期間中に受け取った報酬等を貯 蓄した5000万円程度の預金があった。他方で,上告人は,国内において,平成 10年12月末日の時点で,評価額にして1000億円を超える本件会社の株式, 23億円を超える預金,182億円を超える借入金等を有していた。
  6. 上告人は,香港に出国するに当たり,住民登録につき香港への転出の届出 をした上,香港において,在香港日本総領事あて在留証明願,香港移民局あて申請書類一式,納税申告書等を提出し,これらの書類に本件香港居宅の所在地を上告人 の住所地として記載するなどした。他方で,上告人は,香港への出国の時点で借入れのあった複数の銀行及びノンバンクのうち,銀行3行については住所が香港に異動した旨の届出をしたが,銀行7行及びノンバンク1社についてはその旨の届出を しなかった。なお,本件会社の関係では,本件期間中,常務取締役就任承諾書及び役員宣誓書には,上告人は自己の住所として本件杉並居宅の所在地を記載し,有価 証券報告書の大株主欄には,本件香港居宅の所在地が上告人の住所として記載された。
  7. A及びBは,オランダ王国における非公開有限責任会社であるD社(総出資口数800口)の出資をそれぞれ560口及び240口所有していたところ,平 成10年3月23日付けで,同社に対し本件会社の株式合計1569万8800株を譲渡した上,同11年12月27日付けで,上告人に対し,Aの上記出資560 口及びBの上記出資のうち160口の合計720口の贈与をした。 このD社の出資は相続税法上は国外財産にあたる。贈与税の課税は贈与時に受贈者の住所(又は受贈財産の所在のいずれか)が国内にあることが要件とさ れていたため受贈者の住所が国内にあれば贈与税の課税対象となるし、国内になければ贈与税の課税対象とはならない。
  8. A及び上告人は,本件贈与に先立つ平成11年10月ころ,公認会計士か ら本件贈与の実行に関する具体的な提案を受けていた。また,上告人は,本件贈与後,3か月に1回程度,国別滞在日数を集計した一覧表を本件会社の従業員に作成 してもらったり,平成12年11月ころ国内に長く滞在していたところ,上記公認会計士から早く香港に戻るよう指導されたりしていた。
  9. 本件杉並居宅の所在地を所轄する杉並税務署長は,本件贈与について,平 成17年3月2日付けで,上告人に対し,贈与税の課税価格を1653億0603 万1200円,納付すべき贈与税額を1157億0290万1700円とする平成 11年分贈与税の決定処分及び納付すべき加算税の額を173億5543万500 0円とする無申告加算税の賦課決定処分(本件各処分)をした。
  10. 原審は,上記事実関係等の下において,次のとおり判断して,上告人の請求 を棄却すべきものとした。
    1. 上告人は,贈与税回避を可能にする状況を整えるために香港に出国するものであ ることを認識し,本件期間を通じて国内での滞在日数が多くなりすぎないよう滞在 日数を調整していたと認められるから,上告人の香港での滞在日数を重視し,これ を国内での滞在日数と形式的に比較してその多寡を主要な考慮要素として本件香港居宅と本件杉並居宅のいずれが住所であるかを判断するのは相当ではない。
    2. 上告人 は,本件期間を通じて4日に1日以上の割合で国内に滞在し,国内滞在中は香港へ の出国前と変わらず本件杉並居宅で起居していたこと,香港への出国前から,本件 会社の役員という重要な地位にあり,本件期間中もその役員としての業務に従事して昇進もしていたこと,Aの跡を継いで本件会社の経営者になることが予定されていた重要人物であり,本件会社の所在する我が国が職業活動上最も重要な拠点であ ったこと,香港に家財等を移動したことはなく,香港に携行したのは衣類程度にすぎず,本件香港居宅は,ホテルと同様のサービスが受けられるアパートメントであ って,長期の滞在を前提とする施設であるとはいえないものであったこと,香港に おいて有していた資産は総資産評価額の0.1%にも満たないものであったこと, 香港への出国時に借入れのあった銀行やノンバンクの多くに住所が香港に異動した 旨の届出をしていないなど香港を生活の本拠としようとする意思は強いものであっ たとはいえないことなどからすれば,上告人が本件期間の約3分の2の日数,香港 に滞在し,現地において関係者との面談等の業務に従事していたことを考慮して も,本件贈与を受けた時において上告人の生活の本拠である住所は国内にあったも のと認めるのが相当であり,上告人は法1条の2第1号及び2条の2第1項に基づ く贈与税の納税義務を負うものである。
  11. 原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次 のとおりである
    1. 法1条の2によれば,贈与により取得した財産が国外にあるものである場合には,受贈者が当該贈与を受けた時において国内に住所を有することが,当該贈 与についての贈与税の課税要件とされている(同条1号)ところ,ここにいう住所 とは,反対の解釈をすべき特段の事由はない以上,生活の本拠,すなわち,その者 の生活に最も関係の深い一般的生活,全生活の中心を指すものであり,一定の場所 がある者の住所であるか否かは,客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきものと解するのが相当である。
    2. 上告人は,本件贈 与を受けた当時,本件会社の香港駐在役員及び本件各現地法人の役員として香港に 赴任しつつ国内にも相応の日数滞在していたところ,本件贈与を受けたのは上記赴任の開始から約2年半後のことであり,香港に出国するに当たり住民登録につき香港への転出の届出をするなどした上,通算約3年半にわたる赴任期間である本件期 間中,その約3分の2の日数を2年単位(合計4年)で賃借した本件香港居宅に滞在して過ごし,その間に現地において本件会社又は本件各現地法人の業務として関 係者との面談等の業務に従事しており,これが贈与税回避の目的で仮装された実体 のないものとはうかがわれないのに対して,国内においては,本件期間中の約4分の1の日数を本件杉並居宅に滞在して過ごし,その間に本件会社の業務に従事して いたにとどまるというのであるから,本件贈与を受けた時において,本件香港居宅は生活の本拠たる実体を有していたものというべきであり,本件杉並居宅が生活の本拠たる実体を有していたということはできない。
    3. 原審は,上告人が贈与税回避を可能にする状況を整えるために香港に出国するものであることを認識し,本件期間を通じて国内での滞在日数が多くなりすぎないよ う滞在日数を調整していたことをもって,住所の判断に当たって香港と国内におけ る各滞在日数の多寡を主要な要素として考慮することを否定する理由として説示するが,前記のとおり,一定の場所が住所に当たるか否かは,客観的に生活の本拠た る実体を具備しているか否かによって決すべきものであり,主観的に贈与税回避の 目的があったとしても,客観的な生活の実体が消滅するものではないから,上記の 目的の下に各滞在日数を調整していたことをもって,現に香港での滞在日数が本件 期間中の約3分の2(国内での滞在日数の約2.5倍)に及んでいる上告人につい て前記事実関係等の下で本件香港居宅に生活の本拠たる実体があることを否定する理由とすることはできない。
    4. このことは,法が民法上の概念である「住所」を用い て課税要件を定めているため,本件の争点が上記「住所」概念の解釈適用の問題と なることから導かれる帰結であるといわざるを得ず,他方,贈与税回避を可能にする状況を整えるためにあえて国外に長期の滞在をするという行為が課税実務上想定 されていなかった事態であり,このような方法による贈与税回避を容認することが適当でないというのであれば,法の解釈では限界があるので,そのような事態に対応できるような立法によって対処すべきものである。そして,この点については, 現に平成12年法律第13号によって所要の立法的措置が講じられているところで ある。
    5. 原審が指摘するその余の事情に関しても,本件期間中,国内では家族の居住する 本件杉並居宅で起居していたことは,帰国時の滞在先として自然な選択であるし, 上告人の本件会社内における地位ないし立場の重要性は,約2.5倍存する香港と 国内との滞在日数の格差を覆して生活の本拠たる実体が国内にあることを認めるに 足りる根拠となるとはいえず,香港に家財等を移動していない点は,費用や手続の 煩雑さに照らせば別段不合理なことではなく,香港では部屋の清掃やシーツの交換 などのサービスが受けられるアパートメントに滞在していた点も,昨今の単身で海 外赴任する際の通例や上告人の地位,報酬,財産等に照らせば当然の自然な選択で あって,およそ長期の滞在を予定していなかったなどとはいえないものである。ま た,香港に銀行預金等の資産を移動していないとしても,そのことは,海外赴任者に通常みられる行動と何らそごするものではなく,各種の届出等からうかがわれる上告人の居住意思についても,上記のとおり上告人は赴任時の出国の際に住民登録 につき香港への転出の届出をするなどしており,一部の手続について住所変更の届 出等が必須ではないとの認識の下に手間を惜しんでその届出等をしていないとして も別段不自然ではない。そうすると,これらの事情は,本件において上告人につい て前記事実関係等の下で本件香港居宅に生活の本拠たる実体があることを否定する 要素とはならないというべきである。
    6. 以上によれば,上告人は,本件贈与を受けた時において,法1条の2第1号所定 の贈与税の課税要件である国内(同法の施行地)における住所を有していたという ことはできないというべきである。 したがって,上告人は,本件贈与につき,法1条の2第1号及び2条の2第1項 に基づく贈与税の納税義務を負うものではなく,本件各処分は違法である。 (以上裁判所ホームページより)
  12. 住所は民法の借用概念であり、現状では統一説が支配的です。論拠は法的安定性です。住所は生活の本拠とされ、実質的な生活をしている場所と考えることができます。また、定住の意思は外部から認識しにくい点から、客観的事実に基づいて判断していくことになると思います。
  13. 本件は贈与税額を約1157億円、無申告加算税約174億円の課税処分について争われています。だから租税回避が検討されたと思われます。 これだけのスキームを考えるというのはすごいことだと思います。最高裁判所でもひっくりかえせなかったからです。
  14. 補足意見では、本件における客観的な事情にかんがみると 香港のみならず日本にも生活の本拠があったのではないかという疑問も生じるものの、判例上、民法上の住所は単一であるのでいずれか一つに決定せざるを得ず、本件では香港に生活の本拠たる実体を認めざるを得ないとしています。住所については、生活が複雑になっている現状を踏まえると単一ではなく、法律関係に照らして複数認めていくのが今後の方向性だろうと思います。
  15. また、補足意見は、次のように述べています。租税法律主義の下で課税要件は明確なものでなければならず,これを規定する条文は厳格な解釈が要求されるのである。明確な根拠が認められないのに,安易に拡張解釈, 類推解釈,権利濫用法理の適用などの特別の法解釈や特別の事実認定を行って,租税回避の否認をして課税することは許されないというべきである。そして,厳格な法条の解釈が求められる以上,解釈論にはおのずから限界があり,法解釈によって は不当な結論が不可避であるならば,立法によって解決を図るのが筋であって,裁判所としては,立法の領域にまで踏み込むことはできない。後年の新たな立法を遡及して適用して不利な義務を課すことも許されない。結局,租税法律主義という憲法上の要請の下,法廷意見の結論は,一般的な法感情の観点からは少な からざる違和感も生じないではないけれども,やむを得ないところである 。


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