航海日誌

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99/12/19(日) 1999年運用納め

99年3月に進水したEoB。平均月イチペースの運用となり、12月、本年最後の 出航となった。予定クルーは小野、山下さん、成田だったが、山下さん が当日朝、「昨日サッカーでムチャをしたから」というスゴい理由でドタ キャン。成田と2名となった。 目的地打合せに際し、観音崎方面を打診したところ、船酔いに弱い成田、 前回(6月)の観音崎沖でうねりにやられた印象からゴネたが、強引に 決定。本日の目標は「GPSを活用して変針点を決めて航海計画を 立てる」とした

計画では、根岸No1ブイまではいつも通り、磁針方位180度で沖の根ブイ と浦賀水道航路の左舷ブイを結ぶ線上で140度に変針、観音崎灯台で 浦賀水道航路の屈曲点のブイの南を90度で航路を直角に横断し、その まま90度(最後はやや北)で東京湾観音へ向かう、その後浅瀬や漁具の 影響を十分避け、かつ航路に侵入しないよう第二海堡へ向かい、中の瀬 航路を横断して金沢沖へ戻る、とした。10:35出港。

大型船航路では、我々小型船は、大型船の妨げにならないよう、 できるだけ直角に近い角度ですみやかに横断しなければならない。 観音崎沖で浦賀水道航路を横断したが、南から、大きな客船が湾奥 方向へ進んで来た。EoBが航路外へでてから、船尾にちかづいて来た 船をよく見ると、「飛鳥」についで日本船籍で2番目に大きな、 「ぱしふぃっくびいなす」(25000トン)だった。成田の不安をよそに、 空気は冷たいものの日差しが暖かく、海もこのとおり穏やか。
EoBは進水以来初めて東京湾を横断し、千葉県側海岸へやってきた。 富津の南、磯浜の 崖の上に真っ白にたたずんで東京湾の船舶安全を見つめる東京湾観音。 99年の無事の感謝と、2000年の安全を祈ってクルー2名は手を合わせた。 北風が富津岬にさえぎられるこの周辺は、油を流したようになめらか だった。 この周辺は、水深は5m以上あって乗り上げの危険はないが、漁具が 多いので、夜間は危険と思われる。昼間も十分な注意が必要。
東京湾観音から270度でしばらく戻ってから、315度方向へ変針して 第二海堡をめざす。北は第二海堡、南は第三海堡の間の浦賀水道航路 は「立入り・横断禁止区域」であり、違反が目立つため取り締まりも 厳しい。誤って近づかないよう注意。写真は西南から見た第二海堡。 海軍により築かれた人工の要塞島である。いまは渡船による釣り人のメッカ。
第二海堡から北上し、今度は300度で中の瀬航路を横断。270度に変針 して、金沢沖へ戻り、以降いつものルートで帰港。
14:35YBMの給油バースへ着岸。今回の時間あたり燃費は13.2リッタ。 前回(13.3リッタ)とほとんど同結果だったので、海が穏やかな時の 4000〜5000回転巡航のアベレージのようだ。
帰港時は風が弱い南風に変わっており、ふき寄せられることも無く、 自バースに問題無く着岸。
関係者のみなさん、1999年、EoB 1年目お疲れ様でした。

感想ノート:
成田です。  12月19日晴れ。夜勤明けでYBMに向かう。途中 山下さんからリタイアの連絡が入り、私の体調もあるので、船長には 少々早く切り上げるよう提案した。そこで、今日の目的地 は比較的近く、まだ行ったことの無い「東京湾観音」と決定。 途中、本船航路を横断するため、最短距離で渡る(垂直に)ということで、 気合を入れていたら、なぜか釣り舟は、航路のど真ん中にいっぱいいた。 そんなこんなで、東京湾観音まで近づいたが、ここも、海苔の養殖で、 障害物があったが、たくみに、障害を避け(2回曲がっただけだが) きちんと下までいけた。  今日の教訓、中ノ瀬西通行帯の位置を きちんと把握しよう。

本日のコース。
YBM->根岸No1ブイ->横須賀沖->観音崎->東京湾観音->第二海堡 ->中の瀬->金沢沖->根岸No1ブイ->YBM

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