航海日誌

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00/09/30(土) 2000年ようやく初運用

99年は平均月イチペースの運用を保ったEoB、しかし、12月に運用納め をしてからは1mも動かないまま9ヶ月が過ぎ、2000年の夏を終わった。 ついに土日とも会社を休めるようになった9/30、EoBの存在を忘れかけて いた人々に連絡をとったところ、集まったクルーは成田1名。 さびしい久しぶりの運行となった。

この間は数ヶ月おきに、何度かエンジンを始動してみた。 4月に来たときは、エンジンがかかったあと、冷却水が出ないので インペラ破損かと驚いたが、吐出口が塩詰まりしていただけで、 針金でつついて復旧。 まだエンジン・バッテリとも新しいので、しばらくセルを回せば エンジンはかかる。 今日も、それまでよりかかりが渋かったが、エンジンは始動できた。

エンジンは問題なくとも、船体のダメージは大きかった。まず、 船底は貝と海草のパラダイスと化していた。写真上の白い部分は 水面上の船体、中央が喫水線、下が楽しそうに暮らす貝の群れ。
さらに我々を驚愕させたのが、左の題して「海からダイコン」。 船同士や船と桟橋がぶつからないように空気の入ったフェンダーを 両舷からぶら下げているが、そのうちの2つが先端が水に浸かって いて、貝と藻が繁殖してしまった。(通常この事態は予想されるの で先端が水に届かないようにロープの長さを調整しているが、緩ん だところを親切な人がつけなおしてくださったらしく、位置が変わ っていた)
しかたなくスクレーパーでフェンダーから貝と藻を落す成田。 見た目にはマリーナで作業するクルーというより、農業用水で ダイコンを洗うオヤジ。
12:00出航。・・・しかし、予想通り、船底の汚れがひどく、 エンジンがうなるだけでプレーニング(滑走)しない。やむを えず、エンジンを回すため排水型走行をしながら、行ってみた かったリバークルージングに切り替えた。堀割川河口を横浜市民 ヨットハーバーを左に見て遡上し、八幡橋が見えてきた。
八幡橋をくぐり、国道16号を左に見て平行に、天神橋や根岸橋 などをくぐる。中潮の干潮帯だったが、橋げた高さにあまり 余裕は無かった。途中工事個所があり、警戒船がいて対向艇 の行き違いを待たされた。中村橋をくぐり、中村川との分流 点まで来た。上は首都高速狩場線。中村川を右に行けば、 元町を経て横浜港(山下町)へ出られるはず。今日は ここで折り返し。
堀割川を下り、根岸湾にでてバッテリ充電のためしばらく 根岸湾で周回。ルアーをキャストしてみたが、今回も釣果なし。 14:20YBMの給油バースへ着岸。今回の時間あたり燃費は13.0リッタ。 前回、前々回(13.2、13.3リッタ)とほとんど同結果。
関係者のみなさん、次は集まってください。

感想ノート:
成田@東S三です。 9月の最終日およそ9ヶ月ぶりに、East of Babylon号の航行である。 天候は、曇り。はっきり言おう。船底は貝、 わかめの完全な住みかとして存在していた。先端だけ水に浸かって いたフェンダーですら、同様であった。
エンジンのかかりも余り良くなかったが、とりあえず出航し、ナビ ゲーションシートから回転数を見ていたが、今まで滑走できるよう な回転数までまわしても、スピードが上がらない。船底の方たちが、 かなりがんばって抵抗となっているようだ。かつ、エンジンが時折 悲鳴を上げている。 やはり機械というもの、常時使ってあげないと、いかんものらしい。
あまり、調子が良くないので、本日は川のぼりに挑戦した。 川には、不法係留の船、橋、釣り人がたくさんあり、速度を落と して航行した。今回は、釣り人と仲良くできた。 今後はさらなる川への挑戦をお願いしたい>船長
帰港時から雨となり、給油・着岸時に外に出ていた私は、ずぶぬれ となり、YBMのシャワー施設を始めて使った。なかなか清潔で こちらは大変よろしかった。
反省点、定期的にエンジンは回してあげよう>船長。天気予報は十分 確認してから出航しよう>船長&自分 (船長注:当然ですが私は気象と波浪の予報、潮時は確認してます。 クルー募集の頃の週間予報では曇りでしたが、直前には小島奈津子が 「週末毎に天気が悪いですね」といっていました。風さえ吹かなきゃ 操縦席には屋根があるからねぇ)

本日のコース。
YBM->根岸湾->堀割川河口(市民ヨットハーバー)->八幡橋->中村橋 (中村川分流)->堀割川河口->根岸湾->YBM

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