THE 3rd RALLY RAID MONGOL 1997

TEAM OFFRIDE


’97 Rally Raid Mongol 参戦レポート


ETAP 3 : 23th JULY TELMENNUUR>>BARUUNNTURUUN

TOTAL 392.98km CP-1 118.80km
CP-2 234.29km
SPECIAL 392.98km RCP 350.00km
MAX TIME 13:00
前日大破した計器周りをタイラップで締め上げて何とか応急修理をしてスタートしたが、80
km/h以上出すと今にもバラバラになりそうで苦しい状況が続く。ルートは北上してロシア
国境に迫る。ハイスピードのピストが続くが山々は岩だらけで寒々とした光景である。その
向こうはもうロシア。やがてだんだんコースが乾燥地帯に入ってきて最後は砂漠のようなデ
ューンの中をさまよう。「とうとうゴビに入ったか。」と思ったがここはまだゴビではないと言う。
エントラントの間では「似非ゴビ」と不名誉な綽名を付けられたビバーク地であったがキャン
プのデューンの麓には川が流れ美しい風景を楽しむことが出来た。

ふっと目が覚めてあわてて腕時計を見たが寝過ごしたのではなかった。ほぼ予定通りの時刻
だ。自然に目が覚めるようならばまだ体の芯に疲れはたまっていない。
テントの中でごそごそウェアを着込む。体を動かす度にあばらが痛んでつらい。

入り口を開けてまだ暗い空を見上げるとかすかに朝焼けの気配がする中に月がかかっていた。
感傷的になっていたわけではないが「昨日は保たせることができたが今日は走りきれるかどう
かわからないな。」と思い記念にマシンの写真を撮った。ほどなくキャンプの中が動き始めスタ
ート地点に並ぶ頃にはもう朝が明け切っていた。



ここは湖の畔に広がる草原の中だ。コマ図のトップに「メインピストに出るまでショートカットして
はならない。」と書かれている。ピストに出、左折して砂っぽい道を行く。コースはずっと電線と絡
んで伸びている。45km地点で石が立ち並んでいる丘に挟まれた谷を抜ける。コマ図がこれは
墓だと教えてくれた。峠を越えて湖のそばへ降りていった。静かで寒そうな湖だ。2台ほどここで
パスして丘を登る。「スタックに気をつけて」とマップに書いてある。多少勾配はきつく流水で溝が
できている部分はあるものの上るのには全く問題ない。なんでこんなこと書いてあるのかなと思っ
ていたら4輪に抜かれた。もうもうと煙を上げて走り去る後ろ姿を見ながら「そうか轍があるから4輪
だとスタックしやすいのか。」と合点がいった。ブッシュの中の狭い地形を縫って走っているうち上
空をMIATのヘリが追い抜いていく。

130kmくらいで休憩する。遠くに山並みが見える。あの向こうはロシアだ。草が短く痩せた感じの
する草原の真ん中で何もない。何も無くはないか。ちょっと離れたところに板囲いをして建設機械を
何台か置いてあるのが見える。順位の近い静岡の吉川さんも後から追いついてきて一緒に一服する。
後続が何台か手を挙げて私たちを抜き去っていく。懐から乾燥梅干しを出して吉川さんにも食べても
らった。そのうち先ほどの建物から中年の男が一人歩いて出てきた。吉川さんが「あの山の向こうは
ロシアですか?」と聞くと意味は通じたのか「オー、オロシア、オロシア。」と言って彼はうなずいた。
我々が煙草を吸っていると彼も煙草を取り出した。ロシア製だ。私の日本たばこと何本か交換してもら
った。ちょっといがらっぽい古くさい味だ。ロシアたばこは不味いと嫌う人が多いのも頷ける。でも私自
身は気にはならなかった。

国境の町をいくつかかすめた後だんだんピストが砂っぽくなってハンドルを取られ走りづらくなって
きた。大したことのないギャップでもハンドルを取られ何回か転倒する。昨日曲げてしまったマップホ
ルダーステーにだんだんクラックが入ってきた。あらかじめタイラップで締め上げて補強しておいた
のだが転倒の度に切れる。計器周りがだんだんぐらぐらしてきて気になってしょうがない。タイラッ
プは業務用の大きな袋入りを担いできたので補強を繰り返していけば当面は大丈夫だろう。それでも
80km/h以上出すとあっと言う間に補強がゆるんでくる。ストレスがたまる。

道はだんだん乾燥した土地に入り、右手に砂丘が見え隠れするようになってきた。「ゴビのデュー
ンだ!」(実は間違い。)やがて砂っぽい枯れ川にさしかかった。コマ図は「川の中を行け。」と指示
しているがちょっとずるをして小高いところを選んで走行する。トリップによるともうRCPに着いている
はずだがさっぱり見えない。そこら辺の草むらで用を足している間に先を見に行ってきた吉川さんが
「ヘリが見える。」と教えてくれあっと言う間にRCPに着いた。



ここはだいぶ乾燥した土地らしく枯れかかった芝みたいな草がまばらに生えているだけである。驚い
たのは干からびた動物の糞が至る所に転がっていることである。腰を下ろすにもちょっと困るくらいだ。

例にもれずここにもモンゴル人がたくさん来ていた。今までのキャンプやRCPと違ってここのモンゴル
人たちはあまり物怖じする様子がない。ランチパックを開けて食べていると横から手が伸びてきてあっ
と言う間につまみ食いされたと怒っていたエントラントもいた。実は私もここでカメラを無くしてしまった。
ベルトに付けていたものを脱いだウェアと一緒に傍らに置いてランチパックを食べていてふと振り返る
ともう無くなっていた。

旭田さんが自分のを貸してくれたおかげでその後も写真を撮り続けることができ、予備のカメラを持って
きていなかった私にはとてもありがたかった。ただしこれは自分の品物をちゃんと管理できていなかった
私の責任である。日本とは違うのだ。特にモンゴルは「落ちている物は拾った人の所有になる」という慣
習のある国なのである。

ここではモンゴル人ライダーが転倒で痛めたのかタンクのガソリン漏れと格闘していた。キャブもかぶっ
てしまったらしくエンジンが掛からない。私はこういうことには慣れているのでエンジンの方はちょっとし
たこつですぐ始動してあげることができた。

タンクの方はステーの付け根が割れていてこれは難しい。チューイングガムやテープで押さえたがこれで
どれだけ持つだろうか。下手すると火だるまだ。でもこれ以上のことはしてあげられない。

さて、時間が来てスタートしてすぐの丘を駆け上がるともう路面は砂に変わっていた。まるっきりのデューン
ではなく砂地の上にまばらに草が生えている。ピストは先に行ったバイクの轍でふかふかになってい
て非常に走りづらい。道を少しはずれて轍の無いところを選んで走った。

かつてはデューンだっただろう大きなうねりを幾つも越えて進むがその頂上付近が10mくらいのお盆のよ
うな窪みになってえぐれているところが多く、それとは知らずときたま突っ込んでジャンプしてしまいひやっ
とさせられる。

コマ図の中にバリースが記載されているのを見ていよいよゴビかと思って緊張する思いである。ピストは
どんどん砂っぽくなってくる。上り坂を上がりきった先が急に深い谷になっている地点が最初のバリース
だった。朝のブリーフィングで「対岸にキャンプが見えるが降りていくと二度と上がってこれなくなるから気
をつけるように。」と言われていた谷だ。しかし博田・ガントルガ・田島の上位陣はここを突っ切っていった
らしい。アフリカツインの佐々木さんもここをいったが谷底の川で砂に埋まりキャンプまで歩いていってモ
ンゴル人に助けてもらったと後で聞いた。

すぐそばに白い4輪がこっちを向いて停まっていた。ボディーには大きく「SSER」の文字が見える。「そう
か。万が一のためにオフィシャルが待機しているんだな。」と思いつつコマ図の指示通りに右折する。右側
も尾根だが一カ所が崩れていてピストがそこを通過している。バイクの轍が抜けている方向がほぼCAPと
も合っていたので進むが2〜3キロ行ったところに次のバリースがあるはずなのに何も見えず轍も薄くなっ
てきた。おかしいぞ。周囲はうっすら草の生えた小さな丘が連なっていて見通しが利かないので手近の高
台に上がって周りを見る。すると2つ3つ横の丘の上にやっぱり停まってあたりを見回しているXRが見えた。
#36吉川君だ。胸ポケットから小型望遠鏡を取り出してあたりを探している。登山用のコンパス内蔵の奴を
使っている。
彼の姿を見かけるようなら自分はそんなにオンコースから離れてはいないと思い、さらに2〜3kmそのまま
行って見たがいっこうに次のバリースが見つからない。

しかたがないので最初のバリースまで戻ることにした。戻る途中でさっきのオフィシャルカーが自分が最初
進んだ方向に走っていくのとすれ違いあれっと思い最初のバリースで距離をリセットしてからとって返した。
ところがそいつも最初俺が行ったのと同じコースに轍を残している。そのとき気づいたのである。「SSER?
?そういえばロゴが結構派手でいつもと違っていたなぁ...。あぁっ、SSSRだ!オフィシャルカーではな
い!」やられた。解説しよう。SSSR( Sun Sun driving School Rally team ): 九州の自動車学校の先生チ
ーム。おもろいおっさんばかりのチームである。

要はその車も私と同じように迷っていて進んでいる方向はたぶん間違っているだろうということなのだ。
また最初のバリースに戻って今度はCAPを厳密に守って行こうと決めた。そっちの方向はさっきの谷に望む
砂丘の尾根線の馬の背沿いに走るちょっと嫌なラインである。しかしこの方向に進んではじめてコマ図通り
にバリースを見つけることができた。このラリーは4輪2輪混走なのでてっきりバリースは4輪でもそばに近
寄れるところにあると思いこんでいたのが盲点になっていた。やれやれというわけで次のバリースを探した
が何度行ったり来たりしてもそれらしきものが見つからない。

かなりの時間を費やしたがさっぱりである。これではどうにもならないのでコマ図のコースを無視することに
した。見つけることのできた最後のバリースはキャンプ地まであとわずか8km。朝のブリーフィングで受けた
説明では例の谷間の反対側にキャンプ地が見えるだろうということだった。
コマ図をよく読んでみると大きく左回りのループを描くようなコース取りらしい。特に複雑な(走行できなくなっ
たり帰ってこれなくなったりする)地形はありそうにないし見渡す限りどこでも走れそうである。そこでルート
の中のGPSポイントを目指してストレートカットして行くことにした。うまく行けば多少GPSポイントをはずして
も先行車の轍を発見できるだろう。一人で戻ってこれなくなるような地形の中に入っていくのが怖いのでデュ
ーンの頂で何度もストップアンドゴーを繰り返しながらオンコースのピストに合流し何とかGPSポイントになっ
ているバリースを発見することができた。

さてここからデューンの谷間を下ってキャンプへはほんの少しのはずである。しかし谷間を降りていくのは非
常に怖い。谷を一つ間違えただけでキャンプに到達することができなくなるかもしれないし砂地の斜面は下
手をすると戻ってこれなくなるかもしれない。ここでもバリースを探しながら何遍も行ったり来たりを繰り返した
が小一時間さまよったあげくあるデューンの尾根にバリースとともに轍を見つけることができようやく確信をも
ってキャンプに向かうことができた。



砂のうねりを何度か越えて前方にヘリとキャンプのテント群を見つけたときは正直言って嬉しかった。今日は
そんなに距離も長くなかったので時間はまだ早く日も傾いてはいない。ゴールした直後旭田さんを見つけて
バイクを寄せていくと「いやぁ、めっちゃ早く着いたんやけれどダッフルバッグも届いてへんししゃあないからテ
ントを張って昼寝してましたわ。」と言う。どうやらダッフルバッグを運んでいるトラックが遅れて今着いたばか
りらしい。工具類もバッグの中なのでついさっきようやく整備を開始したところだそうだ。



私もテントを張るのもそこそこに整備を始める。昨日の転倒でひん曲がったマップホルダーステーはクラックだら
けになって部材がばらばらになり始めている。ダッフルバッグから業務用のタイラップ大袋を取り出してがんじが
らめに縛り上げる。明日はタイラップ大袋ごと背中に担いで走らにゃいかんなぁ。

ふと見るとRCPでタンクが割れていたモンゴル人の親父がなんとかして直そうと仲間と格闘している。のぞき
込んでいると何かしゃべってくる。どうやらエポキシ接着剤を持っていないかと言っているらしい。「持っていな
い。静岡の吉川さんが強力な奴を持っているらしいから彼がゴールしたらもらって試してみたらどうか。」と何度
も言ってようやくわかってもらえたようだ。

このことがあって以来どういうわけか何かとモンゴル人ライダー達と接触が多くなりちょこちょこ小物を貸してあ
げたりするようなことが多くなってきた。さて今日も晩飯はアルファ米のお茶漬けとスープである。日本では過
去の参加者からさんざん「毎日毎日羊肉だぞ。」と脅かされていたのでこういう食べ物は食べやすくて実に嬉し
い。

オフィシャルのテントの周りをうろついていると突然馬に乗ったモンゴル人がやってきて大鍋に山盛り入った羊
の生肉を持ってきた。差し入れのようだ。藤田さんが肉をもらって「サンバイノー」とお礼を言って鍋を返す。鍋を
受け取って彼は颯爽と馬に飛び乗って帰ろうとしたがちょっと乗り損ねた拍子に馬が暴れ後ろ足で太股のあた
りを蹴っ飛ばされてしまった。いやいやあれは相当に痛いぞ。後で羊肉のお裾分けに預かったが噂通り実にお
いしくなかった。

そのうち整備も終わり今日は早めに寝ることにする。皆のテントが固まっているのはデューンの尾根近くで夜
風が出るとたまらんのでちょっと低いところにあるオフィシャルのゲルのそばに設営をしてテントに潜り込んだ。