.

田中タケル's
愛と哀しみのプロフィール

2008年7月19日更新

.


なまえ●田中タケル
生年月日●1966年4月6日(シャイな牡羊座)
出身地●神奈川県横浜市
現住所●東京都世田谷区
身長●176cm
体重●64kg(体脂肪率18%)
血液型●A型
趣味●飲酒
特技●うたた寝
好きな言葉●「その意気やよし!」「だがそれがいい!」
「やるじゃない!」「うむ、死んでいる」「ちょっと待ってくださいよ、ジャッカル」(C)原哲夫

好きなアーティスト●別格は、エルヴィス・プレスリー、ジョン・デンバー、映画音楽のジョン・ウィリアムズ、チャットモンチー。そのほか、ニール・ダイアモンド、ジュディ・コリンズ、カーリー・サイモン、ギタリストのジェームス・バートン、前川清、小林旭、西城秀樹、郷ひろみ、世良正則、松田聖子、田原俊彦、内田有紀、木村カエラ、いきものがかり、Perfume などなど...

好きなテレビ番組●きらきらアフロ(TV大阪)

1966年(0歳) 神奈川県横浜市に生まれる。

…が、育ったのは主に神奈川県厚木市(1973-1990年)。1990年に東京都世田谷区に転居し、現在に至る。
1975年(9歳) 前川清とジョン・ウィリアムズに目覚める。
.
子供番組の主題歌以外で初めて燃え狂ったレコードは、なぜか内山田洋とクールファイブの「中の島ブルース」と映画『ジョーズ』のサントラだったのでした。
1980年(14歳)  ジョン・デンバーに目覚める。

この年の秋頃テレビ放映された『オー!ゴッド』という映画に主演していたお兄さん=ジョン・デンバーが気になっていたところ、偶然、家の押し入れの奥に眠っていた彼のLPレコード『詩と祈りと誓い』を発見。B面1曲目の「故郷へ帰りたい(カントリー・ロード)」を聴いて雷に打たれたような衝撃を受け、「これこそ俺が求めていた音楽じゃ〜〜!!」と心の中で絶叫。以後、ハマりっぱなしで今日に至る。
1985年(19歳) エルヴィス・プレスリーに目覚める。

エルヴィス好きな母親が繰り返し見ていた『エルヴィス・オン・ツアー』のVHD(!)を横で見るともなしに見ているうちに、いつのまにやら自分の方がすっかりハマってしまい、母を遙かにしのぐエルヴィス・フリークがここに誕生。同じ頃に発売された70sのバラード集『オールウェイズ・オン・マイ・マインド』も聞き狂いました。以後、ハマりっぱなしで今日に至る。
1986-1998年
(20-32歳)
自主映画の制作に燃える。
大学時代、映画好きが高じて、自分の思いのままに映画を作る楽しみに溺れ狂いました。(監督・主演から裏方まで何でもやりました。)8ミリフィルムが廃れてビデオへと移行した時代でしたが、あえて滅亡寸前のフィルムで制作を続けました。卒業後もしばらくは制作を続けていましたが、30歳を過ぎたあたりで才能に限界を感じて引退。(笑) 

※写真は大学3年生の時の監督・主演作『高校大パニック'88〜炎の友情〜』(1988年)。
1990-1999年
(24-33歳)
小劇場の俳優として活動。
大学卒業後も映画製作に狂っていたところ、同じ大学の卒業生が中心となって結成された劇団からお声がかかり、舞台俳優のまねごと開始!新宿のトップス・シアターや青山円形劇場といったそれなりに名の通った劇場での公演にも出演しましたが、30歳を過ぎたあたりで才能に限界を感じて引退。(←またかよ。) 

※写真は新宿シアター・モリエールでの劇団青空美人公演『47±1』(1991年)。
1997年(31歳) ジョン・デンバーのファン・サイト『In A Far Away Land』開設。

こよなく敬愛していたジョン・デンバーが飛行機事故で急逝。いてもたってもおれず、パソコンなど不得手だったにもかかわらず追悼のホームページを立ち上げました。現在も日本全国のJDファンの拠り所として存続しています。
1998年(32歳) エルヴィスのファン・サイト『俺を忘れろ!!』開設。

ジョン・デンバーのサイト立ち上げで身に付けたノウハウを応用して70sエルヴィス・サイトも開設。海賊盤の情報交換が目的のマニアックなサイトのつもりだったのですが、当時はまだ和製エルヴィス・サイトや掲示板が珍しかったためか、特に1999〜2000年頃には大勢のエルヴィス・ファンが掲示板に殺到し制御不能なほどでした。今はすっかり落ち着いちゃいましたけど。(笑)
2000年(34歳) ジョン・デンバーのトリビュート・バンド「パイナップラーズ」結成。

おのれのジョン・デンバー・サイトのオフ会で知り合った面々から自然発生的にカバー・バンドが誕生。最初は飲み友達同士の仲良しバンドでしたが、年々活動が本格化、最近ではサウンドもかなり充実し、厳しいJDファンの間でも好評をいただいております。
2001年(35歳) エルヴィスの心の故郷、米テネシー州メンフィスを訪ねる。

念願叶って遂に憧れのメンフィスの土を踏みました。グレースランド、サン・レコードなど、エルヴィスゆかりの場所を訪れて感無量!ミッドサウス・コロシアムでの『エルヴィス・ザ・コンサート』(エルヴィスのオリジナル・バンドの面々が、在りし日のエルヴィスの映像と歌声に合わせて演奏するヴァーチャル・コンサート)の感動は生涯忘れることはないでしょう。
2003年(37歳) エルヴィスのトリビュート・バンド「タケエル★BAND」を結成。
長年の夢だった70sエルヴィスのカバー・バンドを結成!70年代初頭のエルヴィス・サウンドの熱き息吹を再現せんと奮闘努力しつつ、着実にステージを重ねております。

季刊誌『ELVIS Sound Magazine』創刊、レギュラー執筆者として参加。
Atsushi氏主宰のこだわりのエルヴィス・ファンジンに創刊当初から2005年にかけて参加。コレクターズ・レーベルから発売のCDのレビューを担当しました。
2004年(38歳)

隔月誌『THE ELVIS』創刊、レギュラー執筆者として参加。
プロスペックで刊行されたエルヴィス・ファンジンにレギュラー執筆者として参加。特集記事やフリーテーマのコラムを担当しております。


ジョン・デンバーのアルバム
『風の詩』『心の詩』の日本盤CD解説を執筆。
長年の夢叶って、ジョン・デンバーのCD(旧譜の再発売)の解説を執筆させていただきました。光栄にもJD全盛期の人気アルバム2枚を担当。同時に発売された計6タイトルに収録のボーナス・トラックを選定したり、ブックレット、インレイに掲載する当時のアナログ・シングルのジャケットも提供させていただいたりと、制作に深く関わることが出来て、まさにファン冥利に尽きました。

2007年(41歳) ジョン・デンバー没後10年企画の紙ジャケCD×5Wの制作に参加。

全作品の複写元のアナログLPを提供させていただいたほか、『友への誓い』『ライヴ』『イッツ・アバウト・タイム』のライナーを執筆。また同時発売の『エッセンシャル・ジョン・デンバー』の解説用に南こうせつさんへのインタヴューを仰せつかり、曲解説も書かせていただきました。そのご縁で、こうせつさんのFM番組『週末はログハウスで♪』のジョン・デンバー特集の回にゲスト出演させていただきました。


初の単行本『魅惑のエルヴィス〜その素晴らしき世界〜』を上梓。

エルヴィス・ソサエティさんほかのご厚意により長年の夢だった自分名義の単行本を出版させていただきました。ファンジン『THE ELVIS』に提供した記事を加筆訂正、多数書き下ろしを追加して完成した入魂の1冊です。この執筆のおかげでだいぶ寿命が縮まりました。(笑) エルヴィス没後30周年の年に自分なりの「エルヴィス愛」を形にすることができて感無量です。





ジョン・デンバーのホームタウン、米コロラド州アスペンを訪ねる


これも長年の夢だった初アスペン行きを10月に果たし、没後10年記念のトリビュート・コンサートなど鑑賞して感無量。アスペンの街は聞きしに勝るパラダイスのような場所でした。8月にはエルヴィス没後30周年で盛り上がるメンフィスを再訪したばかりだったので、立て続けの渡米は経済的にはちとキツかったものの、心境的には「わが生涯に一片の悔いなし!」状態。
2008年(42歳)

そして今後はというと…。

昨年はいわゆるひとつの本厄を迎えただけあって、様々なシビレる災厄にも見舞われましたが、結果的には非常に稔り多き1年となりました。特に、今後10年が変わってしまうんでないかというくらい、面白く刺激的な人たちとの出会いが相次いだのが大きかった。こうした新しい出会いを大切にしつつ、今後もライヴと執筆活動を両輪として、あれこれと面白いことをやっていきたいものです。


.
近頃の所業一覧へ.

...

nisenora@bekkoame.ne.jp