・・・・世界のギタリスト・・・・・・・・・・・・・世界のエルヴィス・チャンピオン ジェームス・バートン ・・森 泰仁(もり・やすまさ) 文・Dorothy Queen . |
■チャンピオンへのチャレンジ 毎年8月、エルヴィス・プレスリーの地元メンフィス市は世界中からやって来る何万人もの人でにぎわいます。お目当てのメイン・イベントは、エルヴィスのインパーソネーターの世界コンテスト。森泰仁は1991年準優勝、そして翌1992年のコンテストで、見事、世界チャンピオンに輝きました。エルヴィスとは肌の色が異なるチャンピオン誕生のニュースはアメリカ全土を湧かせ、この大ニュースはアメリカから日本に伝えられました。その頃から、森はアメリカの人々から「J’Elvis」(ジェルヴィス)と呼ばれて愛され続けています。 ■嬉しいハプニングを伴った出会い 森泰仁とジェームス・バートンの初対面は1991年。ハワイ・カウアイ島で開催された『ブルー・ハワイ』上映30周年記念イベントに森が出演したときです。ゲストとして招かれていたジェームスが、森が歌う「サスピシャス・マインズ」を伴奏してくれたのです! エルヴィス・プレスリーのバンド・メンバーが、インパーソネーターのために演奏するのは異例なこと。森にとっては至極のプレゼントといえましょう。 ■ジェームスが「エルヴィス・ザ・コンサート」で来日、ロックンロールの殿堂入り この10数年にわたり、森泰仁は、日本でのトリビュート・コンサート開催の夢をジェームス・バートンに伝え続けてきました。そんな二人の語らいに具体性を帯びた光が兆し始めたのは1999年、「エルヴィス・ザ・コンサート」出演のためにジェームスが来日した折でした。そのタイミングに合わせて、森はウェルカム・パーティーを催し、来日メンバーを招待しました。森自身がワンボックスカーを運転し、彼らの宿泊ホテルとショー会場の間を何度も往復。ジェームスらは、約200名の人々が全員立ち上がっての拍手の渦で会場に迎えられました。 ■振り返れば12年 ジェームス・バートンを称えるコンサートについて森泰仁が提唱し始めた当初は、夢のまた夢だという声が圧倒的多数でした。近年においても、取材を受けた森がジェームス来日コンサートのことを口にするや、多方面からの失笑を買い、誰も本気に受け止めてくれなかったといいます。 (文中敬称略). 故エルヴィス・プレスリーのために演奏するジェームス・バートン。 ジェームスの華麗な演奏に感激した大勢のファンが、演奏が終るや舞台に駆け寄った。 Photo by Dorothy Queen . |
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