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・・・・世界のギタリスト・・・・・・・・・・・・・世界のエルヴィス・チャンピオン
ジェームス・バートン ・・森 泰仁(もり・やすまさ)

〜コンサート実現をもたらした、1991年からのエピソード〜
文・Dorothy Queen
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1991年12月6日 中国新聞(夕刊)より


■チャンピオンへのチャレンジ

毎年8月、エルヴィス・プレスリーの地元メンフィス市は世界中からやって来る何万人もの人でにぎわいます。お目当てのメイン・イベントは、エルヴィスのインパーソネーターの世界コンテスト。森泰仁は1991年準優勝、そして翌1992年のコンテストで、見事、世界チャンピオンに輝きました。エルヴィスとは肌の色が異なるチャンピオン誕生のニュースはアメリカ全土を湧かせ、この大ニュースはアメリカから日本に伝えられました。その頃から、森はアメリカの人々から「J’Elvis」(ジェルヴィス)と呼ばれて愛され続けています。
森は後日、「自分がアメリカの厳しい目で受け入れられたことはもちろん嬉しい。けれどもそれ以上に、アメリカン・ミュージックを愛する日本の若者たちに勇気を与えられたことが、何よりも嬉しかった」と語っています。

■嬉しいハプニングを伴った出会い

森泰仁とジェームス・バートンの初対面は1991年。ハワイ・カウアイ島で開催された『ブルー・ハワイ』上映30周年記念イベントに森が出演したときです。ゲストとして招かれていたジェームスが、森が歌う「サスピシャス・マインズ」を伴奏してくれたのです! エルヴィス・プレスリーのバンド・メンバーが、インパーソネーターのために演奏するのは異例なこと。森にとっては至極のプレゼントといえましょう。
このハプニングをきっかけに、世界のギタリストと日本の一青年が意気投合し、友情を深めていきました。今日では家族ぐるみの付き合いをするまでの親密な間柄になっています。

■ジェームスが「エルヴィス・ザ・コンサート」で来日、ロックンロールの殿堂入り

この10数年にわたり、森泰仁は、日本でのトリビュート・コンサート開催の夢をジェームス・バートンに伝え続けてきました。そんな二人の語らいに具体性を帯びた光が兆し始めたのは1999年、「エルヴィス・ザ・コンサート」出演のためにジェームスが来日した折でした。そのタイミングに合わせて、森はウェルカム・パーティーを催し、来日メンバーを招待しました。森自身がワンボックスカーを運転し、彼らの宿泊ホテルとショー会場の間を何度も往復。ジェームスらは、約200名の人々が全員立ち上がっての拍手の渦で会場に迎えられました。
野球帽をかぶり、くつろいだ服装で現れたジェームスは、森らが演奏するアメリカン・ミュージック・ショーを楽しみ、ファンと親密に会話。さらに滞在中を通して、ジェームスと森は語り合い、また買物や食事などを共にするなど、限られた貴重な時間を共有しています。
そして2001年、ジェームスがロックンロール殿堂入りを果たしたことを知った森は、祝福のメッセージを早速送るとともに、日本でのトリビュート・コンサートについて一層熱心に提案しました。2002年8月には、メンフィスにおいて、二人は膝を交えてじっくり話し合っています。今から約7ヶ月前の話し合いによって、ジェームス・バートン単独来日の意向がほぼ固まったといえます。

■振り返れば12年

ジェームス・バートンを称えるコンサートについて森泰仁が提唱し始めた当初は、夢のまた夢だという声が圧倒的多数でした。近年においても、取材を受けた森がジェームス来日コンサートのことを口にするや、多方面からの失笑を買い、誰も本気に受け止めてくれなかったといいます。
しかし、長い年月のさまざまな機会を通して訴え続けた、そのことがジェームス・バートン本人の心を動かすまでに至りました。
音楽評論や作詞で知られる湯川れい子の力強い協力を得て、森が提案した計画がスピードアップ。正式な回答が湯川の音楽事務所にもたらされたのです。いよいよです!
「継続は力なり」の意味を、森泰仁は今こそかみしめていることでしょう。

(文中敬称略).
Report & Text by Dorothy Queen
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1999年11月、東京、Elvis The Concert。
故エルヴィス・プレスリーのために演奏するジェームス・バートン。
ジェームスの華麗な演奏に感激した大勢のファンが、演奏が終るや舞台に駆け寄った。
Photo by Dorothy Queen

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