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![]() ●僕はアマチュアの天文学者なんだけど、ある晩、ジョー・ヘンリーに、僕の望遠鏡で星を見せていたんだ。それは、天空の中でも2番目に明るい星、ヘラクレスとヴェガといって、琴座の中の星でね。琴座というのは、竪琴の形にちなんでいるんだよ。 太陽神アポロンが、俗世の少女を訪れた神話があってね、彼らが過ごした愛の時間の結晶として、オルフェウスという男が生まれたんだ。寿命のある人間の母と、不死身の父の間に生まれたのだけれど、オルフェウスは不死身だった。彼は音楽の神様で、竪琴を奏で、美しい歌を歌った。 彼らの時代には、寿命のある人間にとって、最も素晴らしいことは、その人が死ぬときに起こると言われていたんだ。もしある人が、生前、人々に大きな貢献をもたらした人物だったなら、神々が、彼の現世での貢献を象徴するものを、何であれ、天空に投げ上げ、星座にしたんだよ。そして、これによって彼は永遠に生き続けることができたんだ。 オルフェウスが死んだとき、叙情詩と音楽の神であった父アポロンは、地上に降りて竪琴を手に取り、天空に投げ上げた。これが、今も見ることが出来る星座の成り立ちなんだよ。 琴座の中には、小さな煙の輪のように見える、環状星雲があってね。これが空の中でとても美しく見えるんだ。僕は、自分がかつてこの琴座の環状星雲に住んでいたのだと、狂ったように信じ込んでいたことがあった。おそらく、自分はオルフェウスの生まれかわりなんだ、とね。でも、それが本当じゃないなんて、誰に分かるんだい? そんなわけで、この曲の中にはたくさんの空想が織り込まれているんだ。星々と、永遠に生きながらえる魂の中にもね。 その晩、ジョー・ヘンリーは屋根裏で夜通しかけて「スピリット」の詞を書き上げ、翌日、ぼくがそれをチェックしたんだ。ふたりで若干の手直しを加えたのち、僕が曲をつけた。それはもう素晴らしい曲になったよ。 〜Cherry Lane Music刊『John Denver Anthology』より
![]() ●「大空に歌い、水面に踊る」はラブ・ソングとして書き始めた曲だったんだけど、でもそれは、アニーや僕の子供達だけに向けたものではなく、父なる宇宙、母なる大地に対する僕の信仰を表現しているのと同時に、すべての人々に向けたラブ・ソングだったんだよ。 僕はその頃までに、意識していようとなかろうと、好調と不調の時期を経験してきたのだけれど、自分を阻んでいた問題に目を向けようと少し過去を振り返ってみると、人生のありとあらゆる局面にいたるまで、ひたすら無条件な喜びと祝福があふれていることに気づかされるんだ。空を見上げれば僕のために歌ってくれるし、水面には日差しが踊り、子供達は満面の笑みを浮かべている。 僕は、こうしたものの中に、君たちを見ることが出来るんだよ。この曲は、まさにそんな愛や、人生の実現を表現したもので、それはいつでも誰にでも簡単に手に入るものなんだよ。 〜Cherry Lane Music刊『John Denver Anthology』より
![]() 「ライムズ・アンド・リーズンズ」は、僕が書いた曲の中でもベストのひとつだと思うよ。ある朝、僕はシャワーを浴びている最中にこの曲を書いたんだ。(少なくとも思いついたのはシャワー中だった。)僕が身にしみて常々感じていたこと−子供たちと花々は僕の姉妹兄弟であるという思いから生まれてきたんだよ。 僕は人生というものが見せるあらゆる側面、生命がとる様々な形態との間に隔たりを感じることはないんだ。自分がその一部だと思うし、離れがたく結びついていると感じている。そのことを表現するために子供や花々という言葉を使ったんだ。そこには兄弟、姉妹のような結びつきがあるんだよ。面白いと思ったのは、女性解放運動よりも先に、そうした発想を支持したいという願望があったことなんだ。 この曲は基本的に自伝的な曲なんだよ。現実社会の中で仕事を持っている誰かのことを描いた曲ではないんだ。曲の中ではその人物が何者なのかを描いているんだけど、それは僕自身なんだよ。僕は、聞き手のみんなを山に誘い、大地に立ち返って、魂の中に回帰してもらうように意図しているんだ。「ライムズ・アンド・リーズンズ」のような曲は、僕にとってそうした表現をするための手段なんだよ。 〜Cherry Lane Music刊『John Denver Anthology』より
![]() ●「ロッキー・マウンテン・ハイ」は僕らがロッキー山中に移り住んだ最初の夏に書いた曲でね。僕はキャンプやら何やら、人生でいちばんやってみたいと思っていたことを、いちばんの憧れだった場所で、まさにこれから始めようとしていた時期だった。 すべてが新鮮で可能性に満ちていて、それはもう幸福な日々だったよ。 新しい友達も出来たけれど、古い友を失いもした。その友人は、週末、奥さんと一緒に僕らの家に遊びに来てくれたんだが、僕のバイクに乗っていて命を落としてしまったんだ。 そうした個人的な出来事と並行して、72年冬季オリンピックのコロラド誘致をめぐる大論争が巻き起こったりもしていたんだよね。 ある夜、ペルセウス流星群を見ようとキャンプ旅行に出かけたところ、文字通り「天空に雨と降る炎」を目の当たりにしてしまったんだ。その瞬間から、僕はこのいたって個人的な「再生の歌」の作曲に取りかかることになったんだよ。 〜Cherry Lane Music刊『John Denver Anthology』より
![]() ●もしかすると、これは「ジェット・プレーン4部作」にするべき曲だったかも知れないな。 この曲を書いたのはクリスマスの頃で、僕は映画『オー!ゴッド』の撮影に携わっていた。僕がこの仕事に注いだコミットメントは、当時、僕が自分という人間やその生活に対して感じていたことに矛盾するものだった。つまり、僕が自分のキャリアにエネルギーを注げば注ぐほど、家庭や愛する家族からは遠ざからなければならなかったんだ。 クリスマスは、どの家族にとっても特別な時期だよね。僕は心底、家に帰って家族と一緒にクリスマスの準備をしたかった。外に出てクリスマス・ツリーを買ったり、家の中のデコレーションを手伝ったり、ただ家族と一緒にいたかったんだ。 僕はクリスマス・イブの夕暮れ時に帰宅し、クリスマスの翌朝にはまた出掛けていかなければならなかった。家を出ていく時、アニーはとても悲しそうな顔をしていた。その年のクリスマスは、今ひとつ楽しくならなかったんだ。僕も同じように悲しい気持ちで、「山の向こうの宇宙船に乗って」旅立っていった。 でももう一方で僕は、自分の持てる力を出し尽くし、あらゆるチャンスを生かして、この世の中で際だった価値を生み出すような仕事を手掛けていこうという、人生の選択をずっと以前にしていて、そのことを意識してもいたんだ。僕は「大海に漕ぎ出した船乗り」なんだよ。 〜Cherry Lane Music刊『John Denver Anthology』より
![]() ●「たぶん、愛」は僕の人生の中でも最も暗い時期に書いた曲だったんだ。当時、僕はカリフォルニアでレコーディングをしていたんだけれど、すべてがうまくいかなかった。心の闇が、アルバムの全曲に影を落としている感じだったよ。バンドにもまとまりがなく、僕は感情が崩壊してしまう一歩手前だった。 ある日、僕は電話を入れてレコーディング・セッションをキャンセルしてしまった。(そんなことをしたのは、僕の全キャリアの中でも、このとき一回きりだったのだが。)その日は一日、カリフォルニアの海岸沿いをドライブしたよ。当時、一緒に働いていたアニーの弟・ベンに同行してもらってね。 そのドライブの道すがら、絶望に打ちひしがれながらも、僕はこれまで経験してきた恋愛について様々に想いを巡らせてみた。この曲は、その中から、ほとんど自然発生的に生まれてきたものなんだよ。 〜Cherry Lane Music刊『John Denver: A Legacy Of Song』より
![]() ●みなさんが、ワシントンDCやフィラデルフィアといった場所に、夏に行ったことがあるかどうかは分からないけれど、とにかくものすごく蒸し暑いんだよ。 夜中に一人で眠れないときなどは、頭の中でいろんな考えや思いつきが踊り出してしまってね。そういう意味では僕は幸運だと思うよ。ギターを手にとってその経験と戯れることが出来るんだから。そこから歌が生まれてくることもあるしね。 まとわりつくような夏の気候ってのは、そんなものなのさ。暑くて不快な場所を抜け出して、風雨の後の砂漠のような場所に行きたくなってしまうんだ。山の向こうに虹がかかり、すべてが清潔で、新鮮で、心地がよい場所にね。 〜Cherry Lane Music刊『John
Denver Anthology』より ・収録アルバム:『明日への希望』(1970) |
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