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「有職故実」関連基本図書・解題

■<北山抄解題>
●『日本文学大辞典』 新潮社 明治七年六月二十日 東京女子大学教授 石村貞吉
 北山抄 ほくざんせう 有職 十巻
<著者>藤原公任
<諸本>公任自筆の斷簡が三條公爵家に蔵されゐる。
    丹鶴叢書・増訂故實叢書所收。
<内容>年中の恒例又は臨時の朝儀、太政官・近衛大將・國司等の吏務に關して記したもので、一・二巻は年中要抄、三・四巻は拾遺雜抄、六巻は備忘、七巻は都省雜亊、八巻は大將要抄、九巻は羽林要抄、十巻は吏途指南と題してある。これ等は各別種の抄録であるのを後人が集めて一書とし、公任の晩年、隱栖の地である北山に因で『北山抄』と稱したものであらうと稱せられてゐる。
<價値> 「古事談」に、「知足院殿仰云、四條大納言(公任)北山抄は神妙之物也。大二條殿(教通)を聟に取て、九條殿(師輔)の御記をも伺見て候たる間、めでたき物にてある也」とあるが、「延喜式」「西宮記」(各別項)に次いで、一條天皇・後一條天皇頃の朝儀等を知るには、重要缺くべからざる書である。

●『国書解題』 六合館 佐村八郎 著 明治三十三年一月十日 発行 
『北山抄』寫本 七巻 藤原公任
<性質、年代>一條天皇以後の儀式を記したるものなり。漢文にて記し、割註あり。『桃華蘂葉』には、「西宮抄は古禮なり。北山抄は一條天皇以來の儀式なり。江次第は延久以後の禮儀なり。但し誤の事等あり。北山抄は證書たるの由、知足院殿仰なり。」云々とあり。七巻十冊に作る。

<著者> 藤原公任は關白頼忠の長子なり。村上天皇の康保三年丙寅(1626)生る。寛弘中累進して大納言に任せられ、正二位に進み按察使を兼ぬ。夙に學を好み高岳相如に就學す。著す所は本書の外に、和歌九品論議、新撰髓腦、前十五番名所和歌集、金玉書、深窓秘鈔等あり。後朱雀天皇の長久二年辛巳(1701)年七十六にて薨ず。世に四條大納言と稱す。

なお、最良の刊本は、『神道大系』のものとのこと(小口 雅史氏、FJAMEA/MES(11)/00246,date: 98/07/27)

■<大内裏図考証解題>

●『日本文学大辞典』 新潮社 明治七年六月二十日 東京女子大学教授 石村貞吉
 大内裏圖考証 だいだいりづかうしよう 有職 十四冊
<著者> 裏松光世。内藤廣前補正。
<成立> 寶暦八年から天明八年に至る30年間著者蟄居中の作で、藤貞幹も助力したと傳へる。後、文化年中、内藤廣前、尾張候の命に依りて校訂補正したもの。
<諸本> 故実叢書所蔵
<解説> 大内裏内の殿舎・門閣・園庭及び器具・調度・樹木に就いて、一々古書の記事を掲げ、切圖を載せて詳細に解説を施したもので、首巻、目録。一巻上、左京市街、下、右京市街。二巻上・下、宮城門。三巻上・中・下、朝堂院。附録上・中・下、大嘗宮。四巻上・下、豐樂院。五巻、武徳殿。六巻、内裏外郭門。七巻、中和院。八巻、蘭林坊・桂芳坊・華芳坊。九巻、内裏内郭門。十巻上・下、紫宸殿。附録、同殿御調度。十一巻上・中・下、清凉殿。附録上・下、同殿御調度。十二巻上、後凉殿・校書殿。下、射場殿・安福殿・進物所・造物所。十三巻、任壽殿・承香殿。十四巻、宜陽殿・春興殿。十五巻上、東軒廊等。下、敷政門等。十六巻、綾綺殿・温明殿。附録、賢所等。十七巻、常寧殿・貞觀殿・弘徽殿・登花殿・麗景殿・宣耀殿。十八巻、五舎。十九巻、神祇官。二十巻上・下、太政官。二一巻、外記聽等。二二巻、侍從所。二三巻、中務省。二四巻上・下、大學寮。二五巻、治部省・民部省・兵部省・刑部省・大藏省。二六巻、宮内省。二七巻、彈正臺・左右京職等。二八巻、左右近衛府・左右衞門府・左右兵衞府・検非遺使聽等。二九巻、神泉苑・穀倉院・悲田院等。三十巻、眞言院。三一巻、攝關頭下第。三二巻、諸殿御帳。別録、御屏風上下で、諸諸に内藤廣前の意見を載せ、誤を正し遺ちたるを補ってある。寫夲には廣前の増補の文を頭書にしてあるが、刊本には印刷の都合上本文より一段低く記してある。大内裏内の事を知るには第一のものである。

■<桃華蕋葉解題>

『日本文学大辞典』 新潮社 明治七年六月二十日 東京女子大学教授 石村貞吉
 桃華蕋葉 たうくわずゐえふ 有職 一卷
<著者> 一條兼良
<成立・由來>奧書に、「文明十二年卯月上旬、爲左大將(冬良)覺悟、任筆所注置也、不可出ウ外、深可藏櫃底莫言之後世恩寺殿抄彌御判七九歳」とある。
<諸本> 群書類從卷四百七十一雜部二十六に收めてある。又一本とこの抄の後に「胡曾抄」を附け加へたものがある。
<解説> 一條家の故實・作法・領地等のことを主として書いたもので當家着用裝束以下事と題し、束帶色目、直衣之事、布袴之事、狩衣直衣之事、狩衣事、水干事、衞府具足事、鞍具足事、狩襖事、魚袋、剱色々事、平緒色々事、玉帶色々事、車事、、随身人數事、同裝束事、衞府長事、小随身事、小雜色事、進禁裏仙洞書状并請文事當家口傳、私書札禮節事、當家相傳十二合文書事、家門管領寺院事、家領并敷地等之事等を記し、別に夲朝本書事と題し、國史・律令等の書名を掲げ、可覺悟條々題し、讀み難き文字を抽出し假名を附けてある。

■<職原鈔解題>


『日本文学大辞典』 新潮社 明治七年六月二十日 東京女子大学教授 石村貞吉
 職原抄 しょくげんせう 有職 二卷  
<著者> 北畠親房
<名稱> この書又別に「明職」「官位鈔」と題したものがある。何れも皆後人の命名で夲來の題名は明かでない。壺井義知は、もとは唯「百官」と題して書き出されたものであらうといつてゐる。又職原は職源で、支那の唐・宋二朝の文武百官の名稱及び職掌を書いたものに、唐職源・宋職源といふものがあるに據ったものであらうと謂はれてゐる。
<成立・由來>興國二年二月下旬常陸國小田城中に於て著はされたものであることは、著者の奧書に「在逆旅不築一巻之文書、毎事荒怱、恰如蒙瓮、上章執徐之春、夾鍾候豫之日、強而染翰、聊以終卷、見引餘習、不顧後嘲耳」とあるので明である。上章は庚、執徐は辰、夾鍾は二月、候豫は二月の節より二十八九日過ぎた時なので、恰も興國二年二月下旬に相當するのである。この奧書を、著者がこれより二年前に執筆し、これより二年後に修正を加へた「神皇正統記」の奧書と對照すると、殆ど同樣の意味が書き綴られてあるに依ってみても、兩書製作の動機が同樣のものであることが知られる。これより二年前に後醍醐天皇崩御、後村上天皇即位のことがあつて南朝の気勢も又舊の如きを得ない時に際し、元老なる著書が、新天皇のために、陣中夛忙の際、筆を呵して皇統の正僞を辨説し、王朝盛時の職官の概要を記述した心情は、實に人をして悲壯の感を起こさしめるものがある。
<刊行>正平二年、著者親房の男顯統の書寫したと傳へる顯統本、親房五世の孫教具校定と傳へる教具本、 親房の後裔材親の奧書ある材親本等があるが、内容はいづれも大差がない。中原職忠の板行した刊本は、妄りに増減添削して舊來の諸本と大に面目を異にするものとして了つた。然るに壺井義知出でて舊本に據って刊本の付加をしてきり、本文の修正に試み、この諸本文の校定に貢献したところが大であつた。群書類從本は顯統で、卷尾の編者塙保己一の奧書には、「僕所藏古寫本ね與流布夲稍異、頃者比校白川少將祕本及屋代弘賢藏元龜三年鈔本、不尤少異、而大抵符合、則知流布本殆渉後人加筆也、僕本盖存眞面目及傍以活版訂正、以為定夲」とあつて善本と認むべきものであるが、まだ淮大臣の條や唐名等派、流布本のまゝであつた。又籘貞幹舊藏本の奧書に、「友人源儒皮、得縉紳家所傳之古夲見示、其文簡潔不重複而尤不可解者、而又各官下不注本位及唐名、是爲淮后公舊尤疑矣」とあつて眞の顯統本とも思はれる善本である。近藤芳樹の標注校夲は、この貞幹所藏本を定本として壺井義知本をその他二本を參考したもので、頗る依據するに足るものである。
<内容>官職の沿革を漢文で記したもので、二官・八省を初めとし、中央地方の官職・武官等より検非遺使・蔵人等の令外官に至るまで網羅し、簡略では要を得たものであつたので、江戸時代を通じて官職の學といへばこの書を講究することとなり、廣く讀まれたことは、その注釋書・末書の數多いので知られる。従って古くから後人の筆削等が少なくなかったが、壺井義知出でて「辨疑」を著わし、その本来の面目を顯さんことに努めた。刊本の淮大臣の條、親王以下侍に至る條、各官の下にある相當位階及び唐名、桃華老人(一條兼良)の補遺といふ位階の條等は、悉く後人の加筆で、卷尾の女官内侍司以下十二司、上藹小上藹以下女司、院司、女院、關白家僧官位、位署書式、天武朝十二階四十八階、諸衞左右馬尤、内舍人等の員數等の條は、清原秀賢の後附だとされている。なほ春宮坊瀧口の條には省略されたところもある。
<注釋書>

■<集古十種解題>

●『日本文学大辞典』 新潮社 明治七年六月二十日 東京女子大学教授 石村貞吉
 集古十種 しふこじつしゆ 故實書 八十五卷
<著者>松平定信
<成立>定信の臣廣瀬典が命を奉じて寛政十二年正月に書いた序に、定信が政務の餘暇、古を好む餘りに古噐・古畫を採集したが、年代遼遠で一人の力では到底蓋す事の出來ない事を悟って、校本を以て世に示し、廣く世の指摘を得て訂正増補したいとの意が述べてある。 <諸本>原本は大型木版であるが、他は皆縮刷で、明治三十五年東陽堂刊行の縮寫「集古十種」九卷は大型の本であるが、一葉に數種の圖を描いてある。その樂噐之部には村岡良粥の解説、甲冑之部には川崎千虎の解説が載せてある。この他に郁文舍刊行本二十一冊、國書刊行會本洋綴四冊のものがある。明治十七年松平定教氏が後編の刊行も企てたが、序・凡例・目録一冊、着色古畫肖像部一冊、都合二冊で終つてしまつた。
<解説>當時現存した古畫・古噐物・碑銘等を主として採録し、その所在地及び實物の寸尺等を記した一大圖録で、古畫肖像・扁額・文房具・弘法大師眞蹟七祖賛・・名物古畫・雪村所葦牧溪王潤八景・定家卿眞蹟小倉色紙・碑銘・鐘銘・銅噐・甲冑・弓矢・族旗・刀剱・馬具・樂噐・印章等の諸部に分かれ、各部毎に目録・凡例がある。その各部の凡例に據って見ると、實物から直ちに模寫したもの、古い模本や傳寫夲から寫したもの、贋作と知りつゝも收録したもの等があり、又「扁額廣覽」と名づけて自ら一書であつたものを收めたものであり、文房具中の硯は、平安市人に硯譜を著はした人があつて頗る精神觀るべきものがあるので、多く彼に讓って此に略し、印章の部は、藤貞幹の收録に補足したもので、「約之貞幹功、十居七八」と言ってゐる。なほその所在地を記した國・郡・村名にも誤ったものも少なくなかった。

Posted on 98/07/25: Nifty:FJAMEA:11:00231 by でびさん(SGZ00211@nifty.ne.jp


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