第2巻 目次
修正・追加情報 原文(準備中)
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Corrections and Additions 5
訂正・増補・5
第1巻第7章「日本密教の摩訶迦羅天像と盲目のアスラ・アンダカの神話」第2節「忿怒相の摩訶迦羅天——その図像の起源」p. 308 に、次のように述べた。真言宗に伝えられた『理趣経』曼荼羅は、伝承によれば宗叡が八六六(または八六七)年に中国から請来したものだという。ただ、現存している宗叡請来の唐・咸通五年(八六四年)書写の『理趣経尊位曼荼羅図』は、諸尊の曼荼羅中の位置を尊名で示すだけで、図像そのものは描かれていない (10)。I, VII-n. 10 (p. 334):
『理趣経尊位曼荼羅図』TZ. XII 3239 953 sq., 968 また佐和隆研著『白描図像の研究』(京都、一九八二年、法蔵館)p. 114 も参照。同様のことは、同じ章の他の箇所でも繰り返した。P. 309:
……また宗叡が請来したという『理趣経』曼荼羅も(ただしこれには図像そのものは載せられていない)……また p. 322:……さらに付け加えるなら、アンダカ・アスラ降伏の神話におけるカーリー‐ヨーゲーシュヴァリー女神と他の「七母天」の役割を考えれば、『理趣経』の「諸母天曼荼羅」の中央に描かれた六臂のシヴァ‐マハーカーラとそれを囲む八女神の図は、明らかに「アンダカ・アスラ降伏の相」の一種のヴァリエーションと考えることができる (24)。
そして、もしそうであるなら、日本に伝えられた忿怒相の摩訶迦羅天像の淵源は、このヒンドゥー教の「アンダカ・アスラ降伏の相」にほかならないと言うことができるし、また、胎蔵曼荼羅や『四種護摩本尊及眷属図像』に描かれた摩訶迦羅天像は(先の想定とはちょうど逆に)、『理趣経』の「諸母天曼荼羅」を元にして、そのコピーとして作られたものと考えられるのである (*)。(*) 先に述べたように、現存最古の(宗叡請来の)『理趣経』、「諸母天曼荼羅」は、唐代中国に遡るが、ここには図像そのものは描かれていない。中国以来の伝統が確かな摩訶迦羅忿怒相の図像は、胎蔵曼荼羅および『四種護摩本尊及眷属図像』のそれにかぎられている。しかし、もしこの系統の図像が『理趣経』、「諸母天曼荼羅」に基づいて描かれたのなら、当然『理趣経』、「諸母天曼荼羅」のそれも中国に遡ると考えなければならないだろう。
I, VII-n. 24 (p. 335):
このことはすでに、栂尾、前掲書〔=栂尾祥雲著『理趣経の研究』京都、臨川書店、一九八二年〔初刊一九三〇年〕〕 p. 340-341 が、Rao 〔= T. A. Gopinath Rao, Elements of Hindu Iconography〕を引いて論じている。ところが、本書の刊行後、Harriet Hunter, “The Rishukyō Mandara Said to Have Been Introduced by Shūei”, Cahiers d’Extrême-Asie, VIII, 1995, p. 371-388 を読む機会があり、宗叡によって請来されたとされている『理趣経』曼荼羅は、大正蔵図像篇第12巻に収録された、石山寺所蔵の『理趣経尊位曼荼羅図』(または『唐本理趣経曼荼羅』)TZ. XII 3239 だけではなく、むしろ一般には、大正蔵図像篇第5巻に収録された醍醐寺蔵の『理趣経十八会曼荼羅』が有名であることを知った。こちらは、尊名だけでなく図像が入っており、その図像が日本のすべての『理趣経』曼荼羅の基本とされている。『大黒天変相』p. 308, fig. 46 に掲載した「諸母天曼荼羅」は、栂尾祥雲著『理趣経の研究』fig. 52 から借りたものだが、この図像も、『理趣経十八会曼荼羅』TZ. V 3044 789, fig. 14「七母女天理趣会」に基づいている。
石山寺蔵の『理趣経尊位曼荼羅図』は、写本の末尾に咸通五年(唐の年号・864年)「仲春月中旬」に汴梁(こんにちの開封)の相国寺粥院で大悲院の玄慶三蔵の本を写した、という奥書があり、一方、宗叡の伝記には、彼がこの地を訪れ、玄慶のもとで「金剛界灌頂」を受けたことが述べられており、また、同じ宗叡が請来したことが確実な『蘇悉地儀軌契印』(TZ. VIII 3167)の奥書に、咸通五年「孟夏月中旬」、上都(長安)の「東市」で趙琮が「録記」した、とあることによって、宗叡の請来によるものであることがほぼ確実と考えられる。一方、醍醐寺蔵の『理趣経十八会曼荼羅』は、「安貞二年」(日本の鎌倉時代の年号・1228年)に書写された、ということしか明確ではないようである(H. Hunter, art. cit., p. 371-372 参照。なお、Hunter 氏は、同論文 p. 372, n. 7 などで、小野玄妙著『仏教之美術及歴史』、東京、一九三七年を引いているが、これは、小野玄妙著『仏教の美術と歴史』、東京、金尾文淵堂、一九三七年、の誤記である。〔小野玄妙には『仏教之美術及歴史』、東京、仏書刊行会、一九一六年、という別の著作がある〕)。そもそも、安然の『諸阿闍梨真言密教部総録』(Tttt. LV 2176 ii 1131b25)によれば、日本の請来された『理趣経』曼荼羅には、円仁によるものと宗叡によるものの二つが存在したという(Hunter, ibid. 参照)。それゆえ、醍醐寺蔵の『理趣経十八会曼荼羅』は宗叡請来のものかどうかも確実ではない(円仁請来本に基づいている可能性もあるし、さらに日本で作成されたものという可能性も否定できないだろう)。ところが、この醍醐寺本と石山寺本の『理趣経』曼荼羅、および不空による『理趣釈』に記された曼荼羅の記述を比較してみると、日本の真言宗で最大の権威を与えられている醍醐寺本の図像は、『理趣釈』の記述と非常に大きく矛盾していること、逆に、尊名しか記されていない石山寺本のほうが『理趣釈』にずっと忠実であることが判明する(詳しい論証は、Hunter 氏の論文を参照していただきたい)。では、醍醐寺本の図像は何に基づいているのか。Hunter 氏による調査で明らかにされているのは、石山寺本は基本的に『理趣釈』の文による記述に基づいている(部分的には、不空による他の儀軌に基づく場合もある。たとえば「五秘密壇」TZ. XII 3239 954, fig. 1 は『大楽金剛薩埵修行成就儀軌』T. XX 1119 510b8-c28 に基づくという。Hunter, art. cit., p. 375, 383 and n. 46 参照。なお、この「五秘密壇」は最後の第十八会に置かれるべきで、はじめに置かれているのは誤りである。Hunter, art. cit., p. 377 and n. 23)のに対して、醍醐寺本は、密教の図像的な伝統、すなわち現図金剛界曼荼羅や胎蔵界曼荼羅、ある場合には『哩多僧蘖囉五部心観』や『胎蔵旧図様』の図像が用いられていること、なかでも現図胎蔵界曼荼羅の図像と近いものが多いことである(Hunter, art. cit., p. 383-384)。
これは要するに、日本の真言宗の伝統の中でこれまでほとんど疑問に付されたことがなかった『理趣経』曼荼羅の伝統を全面的に見直すことを迫るきわめて重要な発見である。
いま述べたように、醍醐寺本『理趣経曼荼羅』の図像には、現図胎蔵界曼荼羅と近いものが多いが、『大黒天変相』の該当箇所で問題にした「諸母天曼荼羅」の中央に描かれた摩訶迦羅の図像もまさしくその一例である(Hunter, art. cit., p. 384 参照)。こうして見ると、『大黒天変相』で述べた、現図胎蔵界曼荼羅の摩訶迦羅像と『理趣経』「諸母天曼荼羅」における摩訶迦羅像のどちらがオリジナルで、どちらがコピーであるのか、という問題——それに対して、筆者は、インドのアンダカ・アスラ降伏の神話を考えるなら、七母、または八母女天に囲繞された摩訶迦羅像のほうが神話的にオリジナルに近く、それゆえ『理趣経』「諸母天曼荼羅」が先行したであろう、という推測を提起した(『大黒天変相』p. 308-309, とくに p. 322「アンダカ・アスラ降伏の神話におけるカーリー‐ヨーゲーシュヴァリー女神と他の「七母天」の役割を考えれば、『理趣経』の「諸母天曼荼羅」の中央に描かれた六臂のシヴァ‐マハーカーラとそれを囲む八女神の図は、明らかに「アンダカ・アスラ降伏の相」の一種のヴァリエーションと考えることができる」)——は、おそらく逆の答え、すなわち「常識どおり」に、現図胎蔵界曼荼羅の図像のほうがオリジナルであり、『理趣経』「諸母天曼荼羅」の摩訶迦羅像はそのコピーである、という結論を出さなければならないように思われる。
これは、神話的論理だけに頼って歴史的事実についての推測をすることがいかに危険か、ということを示す一例であるとも言えそうである。とは言っても、醍醐寺本『理趣経十八会曼荼羅』が何に基づいたものなのか、またそこに描かれた図像とその他の現図両界曼荼羅などの図像のどちらが元でどちらがコピーであるのか、という問題に、最終的な決着がついているわけではない。筆者としては、摩訶迦羅の図像に関するかぎり、また「神話的論理によるかぎり」、『理趣経』「諸母天曼荼羅」のほうがオリジナルにより近いだろう、という推測そのものは、変える必要はないだろうと考えている。
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