第2巻 目次
修正・追加情報 原文(準備中)
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Corrections and Additions 3
訂正・増補
- 第2巻・第5章「象頭神の歓喜」 p. 211 に、次のように述べた。
たとえば、『覚禅鈔』が引用する日本の偽経『四部毘那夜迦法』(おそらく安然の著作と思われる。上述 II, p. 173 細注参照)によれば—— (88)、およそ影が人身から離れることのないように、〔人について離れず〕障礙を作す〔神がいる〕〔上引の含光の言う「常随魔」を参照〕。その神名を荒神という。これは則ち毘那夜迦である (89)。〔この神は〕昔、〔仏弟子〕舎利弗の前に形を顕わし、こう言った。「我は三宝荒王・那行都佐神である〔「那行都佐」は何らかの日本の神名と思われるが、読みは未詳〕。おおよそ我を敬わぬ人はつねに貧窮し、福無く、多病多患である」。仍っていまこの法を修すべきである。たとえ真言を誦する法を受持しない者でも、〔この〕天の像を造立し住所に安置せよ。そして食の上分を取ってこの天に奉供せよ。〔これによって〕福徳は自然に出現するであろう(云々)。
II, V-n. 88 (p.229):
(88) 『覚禅鈔』TZ. V 3022 cv 452a19-29. ——同じ引用は『白宝口抄』TZ. VII 3119 cxxx 174a10-20 にも見ることができる。
(89) 「凡人身如影、不離作障礙神、名荒神、是則毘那夜迦也」という文は、『白宝口抄』に『憬瑟軌』の文として(?)引かれている。しかしこの一節は、憬瑟の『形像品儀軌』(Ttt. XXI 1274) にはまったく見られない。これはおそらく引用の誤りかと思われる。『白宝口抄』TZ. VII 3119 cxxxi 182a7-20, とくに a19-20 参照。——『四部毘那夜迦法』が事実安然(八四一〜八八九年以降)の著作だとしたら、この引用文に「荒神」が記載されていることは注目に値する。これは「荒神」という語の最古の用例のひとつだろう。中国の用例としては、遼の非濁(十一世紀)による『三宝感応要略録』に見ることができる(Ttt. LI 2084 i 833b16-28 参照)。この点について、スタンフォード大学の Bernard Faure 氏に、「那行都佐神」は荒神関係の(おもに修験道の)文献では比較的頻繁に現われる神名であり、時には「那行」と「都佐」という二つの神格とされ、おそらく「なぎょうとさ」、または「なぎょう」と「とさ」と読むであろうとご教示いただいた。さらに、山本ひろ子氏の『異神』(『異神——中世日本の秘教的世界』、平凡社、一九九八年)に記述があることを教えられた。
以下、山本ひろ子著『異神』から、関連個所をいくつか抜き書きしよう。
第三章「宇賀神——異貌の弁才天女」p. 345:
荒神縁起のテクストとして比較的古いものに、南北朝期成立の『神道雑々集』(天理図書館吉田文庫蔵)所収「荒神之事」があげられよう。そこには、やはり舎利弗にまつわる荒神譚がみえている。昔在二大智舎利弗一アリ。修二行シ善法一ヲ建二立スル道場一ヲ之時、常ニ為レニ魔ノ<ルビ="(ママ)">歳</ルビ>ヲ被二破壊一不レ得二法成就一。爾時舎利弗大歎怪テ而隠居伺ヒ忍時、一体ニ有二リ西八午八長大ノ者一。率二シテ八人ノ眷属一ヲ出来ス。即チ舎利弗出テ相ヒ「汝ハ誰」ト問フ。答テ云ク。「我是三宝荒神毘那夜迦也。亦名那行都佐神也。我是仏兄也。而以往ヨリ修願人不レル敬レセ我ヲ故、令レム破二壊善法一ヲ。我ヲ不二ル敬祭一人貧窮ニシテ無福短命ニシテ多二シ病患一。一切ノ災難ニ今遭相ス」。云々。舎利弗白ス。 「我未レダ知仏荒神ト云フコトヲ。自今以後可二ソ恭敬一ス。其名号ヲ今ニ知ラセ給ヘ」ト宣フ。答テ云ク。「我ハ〔那〕行〔都〕佐神。又毘那夜迦也。即チ従類九億四万三千四百九十荒神也。是各能ク知二ル恭敬者一ハ<ルビ="ほしいまま">欲</ルビ>ニ法ヲ令二ム成就一セ」。即チ舎利弗備二ヘ百味供物一ヲ奉レレバ祭リ、万願成就可レキ令レム如レカラ是ノ也。昔、舎利弗が道場を建立しようとすると、「魔」のために破壊され成就することがかなわなかった。それは三宝荒神のしわざであった。荒神は「我ハ是三宝荒神・<ルビ="ビナヤキャ">毘那夜迦</ルビ>也。亦ノ名ハ那行都佐神ナリ」と名乗り、自分を恭敬しない者の善法を破壊し、「<傍点>貧窮</傍点>」「<傍点>無福</傍点>」「短命」など一切の災いをもたらすだろうと告げる。そこで荒神への恭敬を誓った舎利弗が百味の供物を供えて敬祭すると、諸願はことごとく成就したという。
右の荒神譚と同種の祭文が叡山に伝わっている。応永十七年(一四一〇)、山王院造営の際の地鎮祭に宝性院宥快が修した荒神供の表白 (7) (『荒神供次第』)にそれがみえるが、祭文の成立はもっと遡りうるとみてよい。『神道雑々集』「荒神之事」の記事は、すでに流布していたこの種の荒神祭文を収載したものと考えられよう。
n. 7 (p. 462-463):
右次第者、応永十七年壇上山王院造営之時、為二地鎮一宝性院宥快法印之所修也。
○表白金二丁
(前略)抑モ昔シ釈迦尊ノ弟子舎利弗尊者為二利益衆生一ノ為二興隆仏法一ノ造二営シ仏像一ヲ建二立シ玉フ伽藍一ヲ。于レ時夜々有二リ破レル之者一。尊者以テ為二シテ奇怪一ト私カニシテ而覗レヒ玉ヒケルニ之ヲ八面二臂両足ノ暴惡ノ形ナル者出デ来テ為レ之ヲ。尊者問テ曰ク。汝ハ是レ胡ニ為レ者ニシテ而破下損スル我ガ為二ニ弘法利<ルビ="シヤウ">生</ルビ>一所レノ修スル善業上ヲ。鬼王応テ曰。我ハ乃チ仏之兄三宝大荒神ニシテ而猶如二ク影ノ随一レガ形ニ未三タ曾テ捨二離一切衆生之身一ヲ。曰二<ルビ="アラミサキヒト">荒御前人</ルビ>那行都佐神一ト者是レ也。破下滅スルコト不レ帰二依セ我一ニ之人ノ善業上ヲ皆悉ク如レシ是。復タ爰ニシテ怪ン焉。尊者曰。帰二依センコト汝一ニ之如何ン。〔後略〕那行都佐神は『仏説大荒神施与福徳円満陀羅尼経』という偽経にも現われている(醍醐寺三宝院内修験聖典編纂会・編『修験聖典』京都、大学堂書店・三密堂書店、一九二七年初版、一九六八年再版 p. 51b-54a 所収)。ここでは、「那行都佐神」は「那行」と「都佐」の二神に分かれている。ここでも、山本ひろ子氏の記述と引用を引く。
山本ひろ子、同上書 p. 347-348:
仏と比丘衆の会中に、一人の天女が現われて「衆生における富貴・貧窮転変の因縁を私は知らないが、ただ私には『如意宝珠』という名の『秘神咒』がある」と述べる。そして仏の許可を得てその咒を説いた天女は、続いて荒神の因縁譚を語る。
過去世の空王如来に三人の「使者」=「飢渇神」「貪欲神」「障礙神」がいた。三神は「我等は末世に荒神となり、財物や福徳を剥奪しよう。もし人が、一切の所望をかなえようとするならば、我等に帰依し、供養するように。人々が貧窮無福の身と成るのは、ひとえに我等の所為なのだ」という誓言を発したという。 天女がかかる因縁譚を語り終えると、東方の虚空から三人の鬼王が飛来して仏に向かい「我等の誓願はかくのごときものです」と告げると、仏は讃嘆して次のように語った。<傍点>慈悲ト忿怒トハ譬ヘバ如二車輪一ノ。闕二ク一輪一ヲ時、不レ得二人ヲ度一スルヲ。</傍点>荒神ノ君ハ惟レ如来ノ権身ニシテ為レニ保二ンガ仏法一ヲ称一ス仮ニ明神一ト。那行・都佐・多婆天王・毗<&M016752;>那夜迦・正了智等護法善神十八神王皆悉ク如レク是ノ一身分名ナリ。不信ノ衆生ニ令レメ発二サ強チニ信一ヲ、懈怠ノ群類ニ為レナリ令二メンガ精進一セ。……昔日ノ三人ハ大日如来・文殊師利・不動明王ニシテ、亦貪・瞋・痴ナリ。今日ノ三鬼ハ復如レシ是ノ。<傍点>意荒立ツ時ハ三宝荒神、意〔若〕寂ナル時ハ本有ノ如来ナリ</傍点>。荒神の真身とその働きの秘密が、仏の宣説を通して語られているわけだ。そして三荒神が、「人民」を「護持」し、「福徳」を「施与」し、「障礙」を「除却」するための二つの神咒を説くと、大衆らが歓喜信受したとして経文は終わる。
「那行」と「都佐」神は、山本氏が研究する奥三河の花祭にかかわる「牛頭天王島渡り」祭文にも、牛頭天王の眷属として現われている。山本、同上書 p. 528, 530, 542, 544 参照。さらに、それに関連して、山本氏は次のように書いている。
〔「牛頭天王島渡り」祭文の〕第三パート及ここ〔第四パート〕で〔牛頭〕天王は古端長者の家を偵察させるため「那行・都佐神」を発遣しているが、この神名は他の縁起類には登場せず、この「島渡り祭文」にのみ見受けられる。ちなみに祇園縁起では「<ルビ="みるめ">見目</ルビ>・<ルビ="かぐ">嗅</ルビ>(<ルビ="きく">聞</ルビ>)<ルビ="はな">鼻</ルビ>」であり、『簠<&M026517;>簋<&M026448;>内伝』では「<ルビ="あみら">阿儞<&M001244;>羅</ルビ>・<ルビ="まみら">摩儞<&M001244;>羅</ルビ>」となっている。
ではこの「那行・都佐神」とは本祭文の制作者の造作かというと、さにあらず、台密の法流と修験道の荒神祭文に見出せるのである。「荒神供次第」の表白をあげよう〔彌永注:以下の「荒神供次第」は前掲『修験聖典』p. 484b-488a に収録されている。引用個所は p. 485a-b〕。敬白二真言教主大日如来本尊界会<傍点>那行・都佐神</傍点>・多婆天王・正了知・八大従神諸眷属一而言。
夫那行・都佐神王者本有倶生之惑障也。此性ト与二理性一倶随レ縁随レ機、此障ト与二衆生一同倶行キ倶転ズ。是則唯仏ト与レ仏能以知識ス。凡夫ハ愚暗ニシテ不レ可測量。然間不レレバ弁二根源一有二基咎一。不レレバ知二神威一無二其勤一者也。方今某甲企二七日之行業一備二六度之妙供一。仰願本尊界会那行・都佐神。照二見一心ノ懇志一令レ玉ヘ成二就二世之悉地一矣。那行・都佐神とは「本有倶生之惑障」で、衆生の出生と共に生じてその人の善悪を記録する「同生神」であり、時として咎をもたらす神であるという (32)。なお荒神供では本尊荒神の根本秘印の外に、麁乱神と障礙神と飢渇神の印が結ばれているほか、叡山の荒神祭文には明らかに八王子と荒神信仰との習合が認められる (33)。 荒神(三宝荒神)は民間では竈の神とされ、修験道や陰陽道また地神盲僧の世界では重要な修法の本尊として定着した。花祭にも荒神祭が存在するが、「島渡り祭文」における「那行・都佐神」の神名と活躍は、本祭文が荒神祭文と密接な関係を有することを計らずも証すものであった。
n. 32 (p. 633-634):
叡山文庫(池田長田師蔵)の『荒神供秘法』(文化八年)は、三宝荒神の「根源」は「一切衆生ノ本有倶生ノ惑障」と断じた後、次のような荒神の因縁譚というべきものを載せている。
(昔釈尊の弟子の舎利弗が衆生救済のために堂塔建立し、仏像を造り、経を書写して伽藍に安置したが、夜な夜な堂塔を破壊する者があった)
爰ニ舎利弗奇シミ給ヒテ竊カニ伺ヒ之ヲ見給ヘバ、八面二臂両足暴惡ノ形人出来シテ堂塔化像ヲ破リ、経論法文ヲ損フ。爰ニ舎利弗問ヒテ宣ハク、汝何人哉。(中略)鬼王答テ曰ク、我ハ是仏兄三宝大荒神也、一切衆生ニ影ノ如ク相副フ<傍点>荒神ノ御前ノ人</傍点>也。名ヲ那行都佐神ト曰フ。我ニ帰依セザレバ、人ノ善業此ノ如ク破リ妨ゲシム也。
このように「那行都佐神」は荒神の変化神で、暴惡の仏閣破壊者として登場していることは、「島渡り祭文」中の荒御前としての同神の造型と鮮やかに照応しよう。なおそこでは、「那行」・「都佐神」としてペアの二神にみなされている。
〔後略〕
n. 32 (p. 634): 〔略〕
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