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King Maara of the Sixth Heaven

King Maara of the Sixth Heaven

中世日本の文献における第六天魔王の神話

無住著『沙石集』(一二七九〜八三年成立)第一巻・第一話の冒頭部分(岩波日本古典文学大系本、五九ページ)。
  太神宮の御仏
 去弘長年中〔一二六一〜六四年〕、太神宮ヘ詣テ侍シニ、或社官ノ語シハ、當社ニ三寳ノ御名ヲ忌、御殿近クハ僧ナドモ詣デヌ事ハ、昔此國未ダナカリケル時、大海ノ底ニ大日ノ印文アリケルニヨリ、太神宮御鉾指下テサグリ給ケル。其鉾ノ滴、露ノ如ク也ケル時、第六天魔王遥ニ見テ、「此滴國ト成テ、佛法流布シ、人倫生死ヲ出ベキ相アリ」トテ、失ハン爲ニ下ダリケルヲ、太神宮、魔王ニ會給テ、「ワレ三寳ノ名ヲモイハジ、我身ニモ近ヅケジ、トク/\歸リ上給ヘ」ト、[こしら]ヘ給ケレバ歸ニケリ。其御約束ヲ〔タガヘジトテ〕、僧ナド御殿近ク參ラズ。社壇ニシテハ、經ヲモアラハニハ持ズ。三寳ノ名ヲモタヾシク謂ズ。佛ヲバ立スクミ、經ヲバ染紙、僧ヲ〔バ〕髮長、堂ヲバコリタキナドイヒテ、外ニハ佛法ヲ憂キ事ニシ、内ニハ深ク三寳ヲ守リ給フ事ニテ御座マス故ニ、我國ノ佛法、偏ニ太神宮ノ御守護ニヨレリ。
『大智度論』の次の一節(Tt. XXV 1509 x 134c22-23)にも明確に現われている。
天中有三大主。釋提婆那民二處天主。魔王六欲天主。梵世界中梵天王爲主。
また同じ『大智度論』には、魔王について次のように述べる一節がある(Tt. XXV 1509 lvi 458b11-19)。
魔名自在天主。雖以福徳因縁生彼。而懷諸邪見。以欲界衆生是己人民。雖復死生展轉。不離我界。若復上生色・無色界。還來屬我。若有得外道五通。亦未出我界。皆不以爲憂。若佛及菩薩出世者。化度我民。拔生死根。入無餘涅槃。永不復還。空我境界。是故起恨讎嫉。又見欲界人。皆往趣佛。不來歸己。失供養故。心生嫉妬。是以以佛・菩薩爲怨家。……
『大方等大集経』の「四魔」について述べる
復次善男子。若知苦者能壊陰魔。若遠離集破煩悩魔。若証滅者則壊死魔。若修道者則壊天魔
T. XIII 397 ix 53b3-4)

 ここではそうした混同の例として、天台大師・智ェによる『法華経』「普門品」の注釈を引用する。「普門品」では、有名な観音三十三身の記述の中で、

應以自在天身得度者。即現自在天身而爲説法。應而大自在天身得度者。即現大自在天身而爲説法。
と書いた部分がある(T. IX 262 vii 57a29-b2)。この「自在天・大自在天」が 遘vara と Maheァvara の訳であることは、『法華経』の梵本で確認できるが、それに対して智ェは『観音義疏』に次のような注釈を付している(Ttt. XXXIV 1728 ii 934b11-23)。
自在天是欲界頂。具云婆舍跋提。此云他化自在。假他所作以成己樂。即是魔主也。淨名云。多是不思議解脱菩薩。住赤色三昧不取不捨。應爲魔王令諸魔界即是佛界。四句現身以權引實。
大自在即色界頂魔醯首羅也。樓炭稱爲阿迦尼D。華嚴稱色究竟。或有人以爲第六天。而諸經論多稱大自在色界頂。釋論云。過淨居天有十住菩薩。號大自在大千界主。十住經云。大自在天光明勝一切衆生。涅槃獻供大自在天最勝。故非第六天。釋論云。魔醯首羅此稱大自在。騎白牛八臂三眼。是諸天將。未知此是同名爲即指王爲將。
(『維摩詰経』T. XIV 475 ii 547a15-17
十方無量阿僧祇世界中作魔王者。多是住不可思議解脱菩薩。以方便力教化衆生現作魔王
参照 (11))。

安然の『悉曇藏』(Tttt. LXXXIV 2702 i 372a10-16)によれば、「摩醯首羅には三種がある」という。その三種とは、一つは第四禅主(色界頂)の「毘遮舎摩醯首羅」で、これは『金剛頂経』で不動尊によって降伏された「三千界の大我慢」であり、二番目は初禅主で名前を商羯羅といい、『大日経〔疏〕』に「一世界に大自在を有するが三千界(の主)ではない」といわれた天部、そして最後の三番目は「伊舎那」であり、『金剛寿命経』に須弥山で降三世明王によって天后とともに降伏された第六天の主である、という (12) (『悉曇蔵』Tttt. LXXXIV 2702 i 372a10-16)(表参照 (13))。

摩醯首羅亦有三種。一四禪主名毘遮舍。此乃金剛頂經佛初成道、令不動尊降伏三千界主大我慢者是也。二初禪主名商羯羅。此乃大日經中、商羯羅天。於一世界有大自在、非於三千界者是也。三六天主名伊舍那。此乃壽命經中、佛下須彌令降三世降伏強剛難化天王大后是也。
 ここで、「第四禅主毘遮舍」とあるのは、先に言及した『入大乗論』にいう二種類の摩醯首羅の説に基づいているが、『入大乗論』の文(Tt. XXXII 1634 ii 46b1-9)が、摩醯首羅を「毘舍闍摩醯首羅すなわち世間の(悪鬼的な外道の神としての)摩醯首羅」と「浄居天の(十地菩薩としての)摩醯首羅」に分けるものであった――:
問云。所云摩醯首羅者。爲同世間摩醯更有異耶。答云。是淨居自在。非世間自在。汝云摩醯首羅者。名字雖同。而人非一。有淨居摩醯首羅。有毘舍闍摩醯首羅。其淨居者。如是菩薩鄰於佛地猶如羅ム障。於一刹那頃。十方世界微塵數法悉能了知。
のに対して、安然はそれを
入大乘論云。摩醯首羅天有二種。一毘遮舍摩醯首羅是第四禪王。二伊舍那摩醯首羅是第六天王(抄)
(『悉曇蔵』Tttt. LXXXIV 2702 i 371a5-7)、あるいは
今眞言宗云。伊舍那天忿怒身名魯駄羅。亦名摩醯首羅。是第六天宮魔王也。入大乘論云。摩醯首羅天有二種。一伊舍那摩醯首羅。二毘遮舍摩醯首羅。前是第六天魔也。後是是第四禪天王也
(『真言宗教時義』Tttt. LXXV 2396 iv 435b4-7)として引用しており(「毘遮舍摩醯首羅」を第四禅天すなわち浄居天に、「伊舍那摩醯首羅」を第六天宮の魔王に配して)、その意味を完全に逆転させている。

る。魔王の降伏について述べる『真言宗教時義』の一節(Tttt. LXXV 2396 iv 434b21-25)によれば――、

今眞言宗四身土中皆有魔王。但自性土本來降伏。受用身土成佛後降。變化身土先降後成。等流身土不成常降。魔界如也。佛界如也。一如無二如者、是自性土中眞如降魔也。
(たとえば『真如観』の次の一節
……其中ニ魔事ヲ對治スル事、眞如ニ過ギタル物ナシ。魔界如、佛界如、一如ニシテ、二如ナシト觀ズルヲ殊勝ノ對治トスル也。如ト者、眞如ナリ。魔界モ佛界モ、タヾ一ノ眞如ノ體トスト思ヘバ、更ニ魔、異リナシ。魔界・佛界、其體一也。
参照〔岩波日本思想大系『天台本覚論』、一四五ページ〕)

たとえば『摩訶止観』の

魔事爲法界者。首楞嚴云。魔界如佛界如。一如無二如。實際中尚不見佛。況見有魔耶
Ttt. XLVI 1911 v.1 50a4-6)、
知魔界如佛界如。一如無二如平等一相」
viii.2 115a1-2)、
在一念中。一切法趣魔。如一夢法具一切事。一魔一切魔一切魔一魔。非一非一切。亦是一魔一切魔。一佛一切佛。不出佛界即是魔界。不二不別。〔中略〕魔界即佛界、而衆生不知。迷於佛界横起魔界。於菩提中而生煩惱。是故起悲欲令衆生於魔界即佛界。於煩惱即菩提是故起慈。慈無量佛悲無量魔。無量慈悲即無縁一大慈悲也
(viii.2 116b11-26)などは、これが天台の重要な教説であったことを示す例と言えるだろう。また、ここに引かれた『首楞厳三昧経』の
魔界如即是佛界如。魔界如佛界如不二不別。我等不離是如。魔界相即是佛界相。魔界法佛界法不二不別。我等於此法相不出不過。魔界無有定法可示。佛界亦無定法可示。魔界佛界不二不別
T. XV 642 ii 639c14-19 (14))や先に見た『維摩詰所説経』の
魔王者。多是住不可思議解脱菩薩。以方便力教化衆生現作魔王
など

 安然の「三種の摩醯首羅」という説は、安然自身の著作では必ずしも確定的ではないように見えるが、後の真言宗の注釈書類にはこれを引くものが見られ(曇寂撰『大日経住心品疏私記』Tttt. LX 2219 iii 407a20-b3、亮禅述・亮尊記の『白宝口抄』TZ. VII 3119 clii 284b24-c19 など。また『望月仏教大辞典』二五六二ページ下段「密教に於ては大千世界の主を大自在天、一世界の主を商羯羅天、六天の主を伊舎那天と称す」)、広く知られるものとなったと思われる (15)。

 まず『太平記』の文を引用しよう(岩波日本古典文学大系本、第二巻、一六六〜一六七ページ。便宜上、番号を付す)。

[1] 夫日本開闢ノ始ヲ尋レバ、二儀已分レ三才漸顯レテ、人壽二萬歳ノ時、伊弉諾・伊弉册ノ二ノ尊、遂妻神夫神ト成テ天ノ下ニアマクダリ、一女三男ヲ生給フ。一女ト申ハ天照太神、三男ト申ハ月神・蛭子・素盞烏ノ尊ナリ。第一ノ御子天照太神此國ノ主ト成テ、伊勢國御裳濯川ノ邊、神瀬下津岩根ニ跡ヲ垂レ給フ。[2] 或時ハ垂迹ノ佛ト成テ、番々出世ノ化儀ヲ調ヘ、或時ハ本地ノ神ニ歸テ、塵々刹土ノ利生ヲナシ給フ。是則迹高本下ノ成道也。[3] 爰ニ第六天ノ魔王集テ、此國ノ佛法弘ラバ魔障弱クシテ其力ヲ失ベシトテ、彼應化利生ヲ妨ントス。時ニ天照太神、彼ガ障碍ヲ休メン爲ニ、我三寳ニ近付ジト云誓ヲゾナシ給ヒケル。依レ之第六天ノ魔王忿リヲ休メテ、五體ヨリ血ヲ出シ、「盡未來際ニ至ル迄、天照太神ノ苗裔タラン人ヲ以テ此國ノ主トスベシ。若王命ニ違フ者有テ國ヲ亂リ民ヲ苦メバ、十萬八千ノ眷屬朝ニカケリ夕ベニ來テ其罸ヲ行ヒ其命ヲ奪フベシ」ト、堅誓約ヲ書テ天照太神ニ奉ル。今ノ神璽ノ異説是也。誠ニ内外ノ宮ノ在樣自餘ノ社壇ニハ事替テ、錦帳ニ本地ヲ顯ハセル鏡ヲモ不レ懸、念佛讀經ノ聲ヲ留テ僧尼ノ參詣ヲ許サレズ。是併當社ノ神約ヲ不レ違シテ、化屬結縁ノ方便ヲ下ニ祕セル者ナルベシ。
 次に、通海の『太神宮参詣記』における第六天魔王の神話を見ておこう。通海は、伊勢神宮の祭主家にあたる大中臣家の出身で、醍醐寺の尊海のもとで学び、大中臣家の氏寺・蓮華寺の寺務職となったという。『太神宮参詣記』は通海によって、一二八六〜八八年に書かれたものと言われている。全体が、「僧」(=通海?)と「俗」(神宮の神官)との対話形式で書かれている。第六天魔王神話に関する部分は相当に長いので、ここでは重要と思われるはじめの三分の一ほどを全文引用する(続群書類従、第三輯下、神祇部、七八一ページ下段〜七八五ページ上段。引用部分は七八一ページ下段〜七八三ページ中段。便宜上、番号を付す。〔〕内は筆者の付加)。
[1] 一。僧ノ云ク。神拜ノ次第。託宣ノ旨趣貴ク承リヌ。抑モ當宮ニ佛法ヲ忌セ給トテ。加樣ニ二ノ鳥居ノ内迄參侍レドモ。中院ノ神拜ヲユルサレス此邊ニテ法施ヲ奉レハ。事モ相ヘタヽリ。念モ及サル心地シ侍リ。サモ御誓ハ何ツヨリ始テ。何カナル文ニ見ヘタル事ニカト云ニ。
[2] 一。俗ノ云ク。佛法ヲ忌事ハ昔シ伊弉諾伊弉冉尊ノ此國ヲ建立セント思給テ。第六天ノ魔王ニ乞請給シニテ。王ノ申テ云ク。南閻浮提ノ内。此所ニ佛法流布スヘキ地也。我佛法ノアタナルニ依テ。是ヲ不可許ト申シカハ。伊弉諾尊。然者佛法ヲ可忌也トテ。コイ請ケ玉シニヨリテ。佛法ヲ忌也ト申シ傳ヘタリ。
[3] 一。僧ノ云ク。此事大キニ信シカタシ。吾朝ノ建立ヲ日本記ニ注セルニハ。清物ハ天トナル。濁レル物ハ地トナリシ始メ。中カニアシカイノ如クナル物イテキタリテ神トナル。是ヲ忝モ。國常立ノ尊ト申ス。夫ヨリ天神七代ト申ニ。伊弉諾尊。此世界ノ王トシテ相爭人ナク侍リキ。此下ニ國ナカランヤトテ。天ノ御鉾ヲ指シヲロシテ。海原ヲカキ給シ鉾ノシツクコリテ一島トナル。此吾國ノ始メ也。伊佐奈岐尊。此國ノ王トシテ。天下ヲシロシ召テ。自ラ作リ出シ給ヘル國ヲ。天ニ二ツノ[アル]シナシ。何ノ故ニ。第六天ノ魔王ニ乞請ケ給ヘキヤ。モトヨリ他人ノ國ニ非ス。鉾ノ滴ヨリ始テ造リ給ヘル神國也。魔王モ爭カ諍イ侍ルヘキ。况ヤ六天ノ魔王ト申事ハ。佛法ニコソ説レタレ。其誓經教ニ見ヘス。跡ト形チナキ事ニヤ。
[4] 一。俗ノ云ク。此事實ニノカレカタキ難也。但シ又。或人ノ申シ侍シハ。第六天ノ魔王トハ伊舍那天ノ事也。伊舍那ト申ハ、即伊佐奈岐尊ノ御事也。其讀同キ也。不可疑ト申侍リキ。
[5] 一。僧ノ云ク。伊弉諾尊ヲ魔王ト申サン事モ不可然。我身ニ乞請ケテ。始テ國ヲ建立シテ佛法ヲ流布セント懇望シ給ハンヤ。何ニ况ヤ。伊舍那天ハ佛法護持ノ天等〔尊?〕也。密宗ノ傳法灌頂ニ。〔佛〕性三昧耶戒ヲ授ル時。十二天ノ屏風ヲ立テ。其降臨ノ儀ヲ顯セリ。伊舍那天ハ。即チ其隨一也。佛法ヲ忌也トノ玉ヘト。大日ノ垂迹。天照太神ニ約束有ヘカラス。又第六天ノ魔王ヲハ。昔降三世明王ニ降伏セラレシ時キ。ビルサナ慈悲三魔地ニ入ヲワシマシテ。即チ金剛壽命陀羅尼ヲ説キ。密印ヲ結魔□〔醯〕首羅天王ノ加持ス。天王還復甦生シテ壽命ヲ増シ。諸佛ニ皈依シ菩提心ヲ發シ。灌頂授記ス。八地ノ位ヲ證得スト云リ。是儀軌ノ文也。既ニ不動地ヲ證スル菩提也。爭カ其後佛法ヲ忌給ヘト。天照太神ニ被レ申ヘキ。然ハ卅卷ノ教王經ニ云ク。伊舍那天即彌ュ瞿沙如來〔H瞿沙、より正確には跋娑彌莎AH瞿沙〕ト出現シ。頌ヲ説テ云ク。
大哉一切正覺尊。 諸佛大智无有上。
能令死者有情身。 去識還來得活命。
魂魄出タル人ヲモ。佛法ノ力ニテ。去レル識ヲモカヘシテ。活タルトコソ説レテ侍レト。今ニ於テハ佛法ノ怨ト成不可。此第六天ノ誓イニヨリテ。神宮ニ佛法ヲ忌セ給ヘト云事。何ノ文ニ見ヘタルニヤ。
 「僧」と「俗」の議論はさらに続くが、引用はここまでにしておこう。
 はじめにテクストの問題について興味深いのは、これと非常に近い文が、行誉による『塵添ヘ嚢鈔』巻第十二に見られることである(浜田敦、佐竹昭広共編、臨川書店刊、二五八ページ上段〜二五九ページ下段以下)。両者を比較すれば、行誉が『太神宮参詣記』に基づいて

オン・パジェスによる一八六八年、パリ刊の和仏辞書の「神璽」の項目である (16)。

Chinchi, シンシ, c.--d. Dairocoutenno maw冢o wochiteno fan, ダイロクテンノマヲウノヲシテノハン. Un certain cachet ou sceau qui est lユun des trois joyaux antiques des souverains du Japon (mais les auteurs varient cet 使ard). 〔仏語部分の和訳「ある種の印または判。日本の王が古来所有する三つの宝物の一つ(ただし諸説ある)」〕
『源平盛衰記』(四十四巻)に「神璽をば注しの御箱と申、國の手璽也」というのも、まさに同じ「神璽=王の手印」というイメージに基づいている (18)。『太平記』のいう「神璽の異説」によるなら、王権の正当性

「百合若大臣」冒頭部分の一節を引く (19)。

 そも、わが朝と申すは、国常立尊よりも始め、さては伊弉諾と伊弉冉はかの国に天降り、二柱の神となり、第一に日を生み給ふ。伊勢の神明にておはします。其の次は月を生む。高野の丹生の明神月読尊これなり。〔中略〕その外、末社の部類等は、みな此の神の総社たり。神の本地を仏とは、よくも知らざる言葉かな。根本地の神こそ、仏とならせ給ひつつ、衆生を化度し給ふなれ。それはともあらばあれ、そもわが朝と申す〔は〕、欲界よりはまさしく魔王の国となるべきを、神みづから開き、仏法護持の国となす。大魔王他化自在天に腰を掛け、種々の方便めぐらして、いかにもしてわが朝を魔王の国となさんとたくむによりて、すなはち天下に不思議多かりき。〔中略〕
 そもわが朝と申すは、国は粟散辺土にて、小さしとは言ひながら、神代よりも伝はれる三つの宝これあり。一つに神璽とて、第六天の魔王の押し手の判、是あり。二つに内侍所とて、天照神の御鏡あり。三つには剣宝剣とて、出雲の国簸上が山の大蛇の尾よりも取りし霊剣あり。これみな天下の重宝にて、代々の御代に異国より凶夷起って欺けど、神国たるによりつつ亡国となる事もなし。
式目学者・一色直朝による「蘆雪本御成敗式目抄」(天文二十二〔一五五三〕年年奥書)には、次のような奇妙な一節があるという (20)。
天照大神ノ前ニ出家不詣事ハ、第十六天魔王ト書誓ヲメサルヽ間、心ニ佛法ヲ貴守護アレトモ、魔王ノ首尾如此也、日本誓文ニ伊勢ヲ不書事ハ、天照偽テ御誓アル間書ヌ也、其虚言ハ、我モ魔王ト同心シテ日本ヲ魔國ト可成トテ、三種神寶ヲ乞取テ后、魔王ヲ退治シテ日本ヲ神國ト成シ給程ニ、此故ニ不入義也。
一色直朝とほぼ同時代で当時のきっての式目注釈学者だった清原宣賢が講じた内容を筆記した『倭朝論鈔』(天文十〔一五四一〕年)には、
関東ニモ此式目ヲヨムト云テ人ノ語ルハ、天照大神ノ名ガ此内ニナイハ、虚言ヲ仰セラルヽ神チヤホドニト云也、ソレハ何トナレハ、大己貴神ノ此國ヲ御持アルヲ、色々ノタバカリ事ヲ云テ此國ヲ御取アツタ神チヤト云。
といい、関東の説を評して「近此ヲカシイ事也、永忍ノ式目ニハ天照大神ノ御名ヲ入タ也」と述べているという (22)。

『中臣祓訓解』では、本覚神=伊勢両宮、不覚神=出雲大社、始覚神=石清水・広田大社という三種類の神の分類を説く中に次のような文を見ることができる (23)。

……二ニ不覚といふは出雲荒振神の類なり。遠く一乗ノ理法ヲ離れテ、四悪四洲ヲ出デず。仏法僧ヲ見、諸仏の梵音ヲ聞きテ心神ヲ失フ。无明悪鬼ノ類なり。神は是れ実ノ迷神ナレバ、名づけテ不覚ト為るなり。
これにちょうど呼応するように、伊勢神道の神学書、渡会常昌による『大神宮兩宮之御事』では、
内外宮ヲハ本覚神ト申也。八幡大菩薩等ハ、仏法ヲ悟テ本覚ヲアラハス故ニ、始覚神ト申ス也。出雲ノ大社ハ、元品ノ無明也。故ニ実迷ノ神ト申也。

と書かれている(黒田俊雄氏の引用による (24))。

大黒天もまた、「一切衆生无明惑」と評されていたことである(『渓嵐拾葉集』Tttt. LXXVI 2410 xli 637c2-3)。それと同様に、降三世明王に降伏される摩醯首羅天も「根本無明、無明三界主」などとされていた(曇寂『金剛頂大教王経私記』Tttt. LXI 2225 v 169a24-28 など)。密教的な「降伏思想」の文脈では、魔王と大自在天/摩醯首羅天が非常に近いものとして表象されていたこと、大黒天と大自在天は、ともにシヴァの形態または異名であって、その親近性は日本でもよく知られていたこと(たとえば『大黒天神法』に「大黒天神者、大自在天變身也」とある。T[ttt.] XXI 1287 355b12)、そして大国主と第六天魔王が、ともに「此國ヲ御持ア」った、あるいは「欲界よりはまさしく魔王の国となるべき」であった、すなわち日本、あるいは「欲界」の本来の主権者、王者だったと考えられていたこと、などを考え合わせると、これらが一つの大きな表象群をなしていたことが予想できる。

以下は『中臣祓訓解』冒頭部分の一節である (26)。

所以[このゆゑ]ニ[ムカシ]天地開闢[アメツチヒラキハジ]メシ初メ、神宝日出でます時、法界法身心王大日、無縁悪業ノ衆生を度センが為ニ、普門方便の智恵ヲ以て、蓮華三昧の道場ニ入り、大清浄願ヲ発シ、愛愍ノ慈悲ヲ垂レ、権化の姿ヲ現じ、跡ヲ閻浮提に垂れ、府璽を魔王に請ひテ、降伏の神力を施シテ、神光神使八荒ニ駅シ、慈悲慈檄、十方ニ預シヨリ以降、忝ク大神、外ニハ仏教ニ異ナル儀式ヲ顕シ、内ニハ仏法を護る神兵と為る。内外詞異ナルト雖モ、化度ノ方便に同じク、神ハ則ち諸仏ノ魂、仏ハ則ち諸神ノ性なり。
 神璽が魔王によって与えられた、とする説話は、このほかに、たとえば『仏法神道麗気記』(「天地麗気記」巻第十四)や『日本記一、神代巻取意文』、あるいは『神道集』の「蟻通明神事」などにも認めることができる (27)。また、前田家本『水鏡』、神武天皇の段には、伊弉諾尊が日本を造ったとき、大海を領していた第六天魔王が、自らの領地が「神国」とされたことを怒り、伊弉諾・伊弉冊の第五子・迦具土神として生まれて、伊弉冊と新たに造られた国土をともに焼いて元の大海とした。それに激怒した伊弉諾が(利天と同一視された)高天原の浮橋で、トツカノ釼で魔王を斬り殺した、その怒りの力で三つに分かれた剱が、三種の神器のうちの三振りの宝剣の由来である、とする、まったく異様な説が述べられている (28)。

 しかし、この宝剣を「第六天」に帰する説は、『現図麗気記』に

一柄三霊[ヒトツカノミハシラノミタマノ]天叢雲剱[アマノムラクモノケン]ハ、第六天大自在天王ヨリ之ヲ受持ス。三戟利剱ナリ。〔中略〕[ヲツカ]ニ二輪有リ。大自在天の両眼也……
という一節があり、前田家本『水鏡』以外でも例がないわけではない(ここで「第六天大自在天王」という表現に注意したい。これは明らかに安然に遡る日本密教独自の魔王・大自在天観を下敷にしたものと思われる (29))。

 一方、屋代本「平家釼巻」、およびそれに酷似した三千院円融蔵の『三種神器大事』(文安二〔一四四五〕年写本)には、より「古典的」な第六天魔王の神話を見ることができる。ここでは、阿部泰郎氏が『三種神器大事』に基づき、屋代本「平家釼巻」を参照して補訂された文を引いておこう (30)。

神璽ト申ハ、〔神ノ〕印ト云文字也。〔神ノ印ト申ハ、第六天ノ魔王ノ印也。イカナル子細ニテ帝王ノ御宝ト成ケルラン、無二覺束一。是ヲ委ク尋ヌレバ〕(以下、天地開闢説と諸神誕生のことが続くも省略す)
天照太神、〔日本〕國ヲ讓リ領スベキ処ニ、第六天ノ魔王、押ヘ給フ間、意ノマヽニ進退ナク、年月ヲ経。第六天ノ魔王ト申ハ、欲界ノ頂キ、他化自在天ニ住ス。其下六天以下、欲界ヲハ我マヽニシテ進退スヘキナリ。〔而ルニ〕此国ハ、大日ト云文字ノ上ニ到來ル嶋ナレバ、仏法繁盛ノ地也。人ミナ仏道ナルベキ地ナリ。〔サレハ〕コヽニ人ヲ住サセズ、仏道ヲ弘メズ、偏ニ我、領ゼントス。佐ル程ニ、天照太神〔不及力給シテ〕、三十一萬五千歳ヲ経給ケリ。〔天照太神〕魔王ニ[ノタマイ]ケルハ、此国ニ仏法僧ヲ在ラセズシテ、知行スベキナリ、ト仰有ケレバ、其時、魔王、心ユリテ、ユルシケリ。其時、日本国ヲハ安堵シ給ヘリ。御手シルシトテ、印ヲシテ奉ケリ。今、神璽ト申ハ是ナリ。
 
吉田兼右の著書『古今和歌集灌頂口伝』には次のような一節があるという (31)。
  第五 日本國事
二神共為夫婦して一女三男を生給て、国のあるじとし給にければ、第六天の魔王此国を打破らんとしければ、大神魔王の心をなだめかね、御妹渡津神のひめとて形よくまし/\しを魔王にあたへて、国さだまりたりとも、全く佛法流布すべからずとて心をとり給ふ時、日本国を天照太神に奉給、讓状を神璽と云、今の内裏の重宝也。
たとえば北畠親房の『神皇正統記』「神代」の最後には、
或説ニ、伊弉諾・伊弉冊ハ梵語ナリ、伊舎那天・伊舎那后ナリト云
といい、岩波日本古典文学大系本(五三ページ)ではその個所の頭註として『神皇系図』に
伊弉諾尊、則東方善持藏愛護善通由賀神、梵所名之伊舎那天也。伊弉冉尊、則南方妙法藏愛鬘行識神、亦名之伊舎那
とある文を引いている(校注者・岩佐正氏)。あるいは『重校神名秘書』には
天神七代成神伊弉諾尊(陽神)。伊弉冉尊(陰神)。〔此二神青橿城根[アヲカシキネノ]尊之子也。一名號伊舎那天也……〕
とあり、また『両宮形文秘釈』上にも
天神七代ス「生ノ神也。伊舎那天。伊舎那后。伊舎那妃。互ニ[スク]ナリ。此ニハ自在天ト云フ。亦之ヲ稱シテ伊弉諾伊弉冊尊ト名ヅク……
という文を見ることができる (33)。

 その『高野物語』巻第三には次のような第六天魔王の神話が語られている(便宜上、番号を付した) (35)。

[1] 又、或相傳云ヘル事アリ。吾國未ナラサリシ時、第六天魔王、ミソナハシ給。此嶋必、仏法弘ルヘシ。シカラハ、我サカヒヲ出、無爲イタランモノ、此國多カルヘシ、ト嘆給、大日如來、魔王、若、魔王、是ナシ給ナラハ、仏法弘カルヘシトテ、案、化シテ魔王御子、吾國、魔王申給ヤウ。天尊、嘆給事ナカレ。吾、此國成、子孫ヲシテ未來國王タラシメテ、國ニハ仏法イミテ、是メンニハヰヲ、仏法弘マラサルヘシトノ、魔王、心ユキテ、國登給。[2] 其後、大日如來、内證仏菩薩・眷属タチ並給ヘルヲ、アマツ社・國社、三千七百余所申、是也。神代間ニモ、前仏、ツネニ來化給。〔中略〕人王、崇神天王御時、殊神明アカメ奉。□欽明天王御宇、仏法初ワタリシニ、ナヘ〔テノ〕神祇冥衆力エテ、擁護ナシ給。故、仏法、時トシテスタルヽ事ナシ。[3] 王臣篤信ニシテ民庶邪見ナシ。然トモ、大神宮奉始、旨トノ[(ママ)]、殊仏法イミテ僧尼キラヒ給事、魔王心、外聞ツヽシミ給心ナルヘシ
[4] 源、大日ケル、國大日本國云、主ヲハ天照太神申也。天照云御名、大日〔ト〕心ナルヘシ。大神、大覺〔ニ〕タカハス。此事聞給、天照大神御名ヘハ、イサナキ・イサナミ[ミコト]申ハ、伊舍那君天・伊舍那后申、同事ニヤ。伊舍那、第六天魔王御名也。此事、叶侍、誠ニテケリト、イト忝カナ、吾國、魔王梵號ト、一ツナル事、不思議コソ侍レ。
 

『渓嵐拾葉集』では、「第六天魔王」の代わりに「阿修羅王」が天照太神と「約諾」を交わした、という説が見え(Tttt. LXXVI 2410 iv 511b14-16 「一。神宮僧不詣事 昔天照太神於日宮。阿修羅王與約諾故也(云々)」 (36))、また『八幡愚童訓』(乙本)では、

 然に伊勢大神の僧尼を近付けず、読経念誦をとをざけ給事は、「此日本国仏法繁昌すべき所也。ゆきて障碍せん」とて、大梵天王くだりし時、天照大神、「吾行て仏法をとヾむべし」と申請て、梵王をこしらへ置給て、此国に尺教流布のわづらいなし。彼御約束をたがへじとて、我前には仏法をとをざけ給ふ様なれ共、内には仏法を守、聖人をたとび給ふ事他にことなり。
と述べて、「大梵天王」が第六天魔王と同じ役割を果たしている(日本思想大系『寺社縁起』、二五六ページ)。さらに、西山克氏によれば、伊勢神道の教義書で、立川流との関連や即位灌頂の記述などにかかわって近年注目を集めている『鼻皈書』(一三二四年成立?)でも、同じ神話が語られており、『八幡愚童訓』と同様に第六天魔王の代わりに大梵天王を登場させているという (37)。

『大和葛城宝山記』は初期の両部神道書として有名だが、その冒頭「神祇」という題の条に、仏典から直接借りたヒンドゥー教の創造神話が述べられていることでも重要である(この点については次節で詳しく見ることにする)。その創造神話のあと、第四番目の項目として「大日本州造化の神」と題した条に次のような文を見ることができる。

 大日本州造化の神
 伊弉諾尊・伊弉冊尊(此の二柱ノ尊ハ、第六天宮ノ主、大自在天ニ坐しまス。尓の時、皇天ノ[ミコトノリ]ニ任せて天ノ瓊戈[ぬほこ]ヲ受け、咒術の力ヲ以て山川草木ヲ加持シ、能ク種種ノ未曾有ノ事ヲ現はス。往昔の大悲願の故ニ、而モ日神・月神ヲ作リ、四天下ヲ照らス。昔、中天ニ於いて衆生ヲ度し、今は日本の金剛山ニ[いま]します)。
 さらに同じ『大和葛城宝山記』には、
……自在天子(神語の諾冊ノ二柱ノ尊なり)……
という註も見られ、この著者によって伊弉諾(伊弉冊)が一貫して
第六天宮ノ主、大自在天、または自在天
に同定されていたことが分かる (38)。

『天地麗気記』に見える第六天魔王の神話を前提とした一節である。ここでも、「伊弉諾=伊舎那」同一説は無関係だが、「第六天(魔王)」が「伊舎那」と明記されていることに注目したい (40)。

……二神[ふたはしラ]ノ大神[ヲホンカミ]、予結幽契[ミトノマグハヒ]シテ、永ク天下[あメノした]ヲ治メタマフ。〔中略〕時に清陽ナルヲ以テ天ト為シ、重濁[ヲモクニゴレル]ヲ以テ地ト為ス。[ヤワラ]ニ[カカヤ]クコト一二[アメツチ]ト定マテ後、天ヲ以て[カミ]と為し、地ヲ以テ仁[ヒト]ト為す。百億万劫ノ間、九山[くせん]八海ニ主無かリシ時、第六天ノ伊舎那魔化修羅[いざなまけしゅら]、ャs遮邪魔醯修羅、鳴動[メイドウ]忿怒シテ天下ニ魂[ミタマ]無し。此の時、遍照三明ノ月天子、下りテ堅牢地神ト成ル。国ヲ平ラゲント思食[おぼしメ]ス事、八十万劫ナリ。其の後、瑠璃ノ平地ニ業塵ヲ聚めテ五色ノ地ヲ生ジテ、漸ク草木生ジ、花[ヒラ]ケ、真果[コノミ]ヲ成シ、果落[ミコボ]レテ種子[タネ]ト成ル……。
 「弘法大師全集」所収の『天地麗気記』(巻第一「天地麗気記」) では、右の引用個所の直前に
光明大梵天王(伊弉諾)尸棄大梵天王(伊弉冊)一體無二……
と書いているので、ここの文脈では、伊弉諾・伊弉冊は大梵天王と同一視されているようである。右の引用文は岩波日本思想大系『中世神道論』の校注者・大隈和雄氏が巻末に掲載された原文に拠ったが、訓読文では「第六天の伊舎那魔化修羅、ャs魔醯修羅」と改められている。一方、「弘法大師全集」所収本では、同じ個所は「第六天ノ伊舎那魔醯修羅(欲界頂)毘遮魔醯修羅(色界頂)」と表記されている (41)。――ここで、「伊舎那魔化〔醯〕修羅・ャs〔毘〕遮邪〔舎〕魔醯修羅」が列挙されているのは、明らかに先に挙げた安然による『入大乗論』の(誤った)引用(「入大乘論云。摩醯首羅天有二種。一伊舍那摩醯首羅。二毘遮舍摩醯首羅。前是第六天魔也」)に基づいているので、「ャs」を「ャs」に改めるのは誤りだろう(一方、「弘法大師全集」所収本で、「欲界頂」、「色界頂」と注記するのは、おそらく真言宗の教義に通じた校訂者による付加と思われる)。また、「魔化修羅」という表記には、「魔」が「修羅(阿修羅)」に「化けた」という含意があるかもしれな

(27) 『仏法神道麗気記』、「弘法大師全集」第五巻、一一二ページ

傳ヘ聞ク。神明垂迹ハ、昔閻浮提下化ノ時、魔王ニ神璽ヲ受ケシヨリ以還[コノカタ]、形白靈鏡ニ亘テ、無邊法界ヲ照シ、衆生心地ニ入リ、不生ノ妙理ニ住シ、神道ノ寶輅ニ乘ジテ、三藐三佛陀ニ至ル。神ト王ヲ隔テズ、天地則チ一也……」(私に読み下す)。
伊藤正義稿「日本記一、神代巻取意文」、『人文研究』(大阪市立大学文学部)第二七巻九号、一九七五年、九〇〜一〇七ページ(とくに九九〜一〇〇ページ、一〇三ページ、一〇五ページなど)。『神道集』、神道大系、文学編・一、一九八八年、一九一〜一九二ページ。――阿部泰郎「日本紀と説話」二二〇〜二二二ページ参照。
(28) 阿部「日本紀と説話」二〇三〜二〇四ページ参照。『水鏡』国史大系本、一〇ページ。
天照太神ノ父ノ御神イザナギノ尊。此日本國ノ始テ國ト成給シ時。彼第六天ノ魔王我管領ト思。大海ヲ神國ト成サレタル事ヲ安カラズ思テ。彼后ノイザナミノ尊ノ一女三男ノ四神ノ御子ノウツリ。第五ノ御子其名字火神(カグツチ)。ミカドトハラマレ。サテ生シ時。其母并其類火ノ焼失ニ。此ノ開白ノ日本國ヲ悉皆焼拂テ本ノ大海ニ成シタリキ。是ヲ後ニ彼父ノ御神イザナギサトリ座シテイカリヲ成シテ。トツカノ釼ヲ拔持。雲ノ上利天ノタカマノ原。テンノヤソカワノ浮橋ノ上ニテ。此第五ノ皇子第六天ノ魔王ノ變作ヲ。父ノ王直ニキリキル給シ時。御イカリノ御チカラヲツヨク出シ給シ故ニ。彼ノトツカノ御剱ヨリ三ツノ剱分散ジキ。此三ツノ剱傳リテ今代マデ日本ニアレバ。神世ヨリ傳リタル剱三アリトハ申也……」。

[付録]第六天魔王神話の各種の異伝
 順序は大ざっぱな年代順を心がけたが、調査できなかった文献もあり、たんなる目安と考えていただきたい。
 各テクストについて、調査できたかぎりにおいて、作者、タイトル、年代、リファレンス、備考などを記し、その他場合によってテクスト自体を引用した。
[1]『中臣祓訓解』(一一九一年以前)(前回、五八ページ下段に引用)
[1−a]度会実忠『漢朝祓起在三月三日上已』(一二五六年)に引用(伊藤、第六天魔王、六九ページ上段、七一ページ上段に言及)
[2]多和文庫蔵『御遺告随筆(慧光記)』(文政十年〔一八二七〕写)(「内容的に見て中世以前成立のテキストと見なされる」〔伊藤〕)(以下に、伊藤、第六天魔王、七五ページ上段の引用を再録する)

(前略)此ノ日本国ハ大日ノ本国ニシテ、而天照太神者、大日如来也。天照大ノ神ノ父母ヲハ、イサナギ・イサナミノ尊ト申ス。此即伊舎那天・伊舎那后ト習也。即第六天ノ魔王也。此ノ魔王、此ノ[山かんむり+鳥]ニ仏法ヒロマリテ、無為界ニ入ニ、物ノヲホカルヘシト嘆キ給時キ、大日如来魔王ノ御子トナリ給ヒテ、我レコノ国[(ママ)]主トシテ、我子孫[(ママ)]此ノ国ノ主仏法ヲ忌ムヘシト申テ、此ノ国ニ化ヲ垂レ給ヲ実魔王ノ御心ヲトリテ、一切衆生ヲ出離セシメ給シ為也。
(同書・二三ウ、ただし国文学研究資料館マイクロ資料に拠る)
[3]勧修寺流・道宝(一二一一〜六八)?『高野物語』(前回、六一ページ上〜下段に引用)(上述、〔前回の補足・訂正〕参照)
[4]無住『沙石集』(一二七九〜八三年)第一巻・第一話の冒頭部分(前回、四四ページ下段に引用)
[4−a]虎関師錬『元亨釈書』(元亨二年〔一三二二〕)巻第十八(「『沙石集』と類縁する本文をもつ」〔伊藤〕)(伊藤、第六天魔王、六九ページ下段に言及)(大日本佛教全書〔旧版〕, vol. 101, p. 221a16-b8)
[4−b]『類聚既験集』神祇十(室町時代?)(『沙石集』を簡略化して引用したものと思われる)(伊藤、第六天魔王、六九ページ下段に言及)(「続群書類従」第三輯上「神祇部」七七ページ上段)
[5]通海『太神宮参詣記』(一二八六〜一二八八年)巻下(前回、五三ページ下段〜五四ページ下段に一部引用)
[5−a]行誉『ヘ嚢鈔』巻八「太神宮事」(一四四五〜一四四六年)=『塵添ヘ嚢鈔』巻第十二(『太神宮参詣記』に基づく)(前回、五四ページ下段に言及)
[6]『為相古今集注』序註四(永仁五年〔一二九七〕)(伊藤、第六天魔王、七〇ページ上段に言及)
[7]『八幡愚童訓』(乙本)(一二九九〜一三〇二年?)(前回、六二ページ上〜下段に引用)
[8]屋代本『平家物語』「釼巻」(十三世紀後半?)(前回、五九ページ上〜下段に阿部泰郎稿「日本紀と説話」、『説話の場――唱導・注釈』(説話の講座・三)、勉誠社、一九九三年、二二〇ページに基づいて引用)
[8−a]三千院円融蔵『三種神器大事』(文安二〔一四四五〕年写本)(屋代本『平家物語』「釼巻」に酷似した内容をもつ)
[8−b]ほぼ同じ文は今井弘濟『參考源平盛衰記』にあり、『廣文庫』の「第六天之魔王」の項に引かれている(『參考源平盛衰記』釼巻、十六)(前回、六六ページ下段、註30に言及)
[9]百二十句本『平家物語』(十三世紀後半?)巻第十一「第百九句・鏡の沙汰」(伊藤、第六天魔王、七〇ページ上段に言及)
[10]遊行上人縁起絵(一三〇一年)(他阿上人は、一三〇一年伊勢神宮に参宮する。それに関連して第六天魔王神話を前提する次のような詞書がある。
およそ外用の仏法に敵する、しばらく魔王に順して国土を領ぜんがため。内証の利生を専にする、つゐに群萌をこしらへて仏界にいれん事を欲す
(萩原龍夫稿「伊勢神宮と仏教」、萩原龍夫編『伊勢信仰』一「古代・中世」、補註1、二七二〜二七三ページによる)(宮次男・角川源義編集担当『遊行上人縁起絵』〔新修日本絵巻物全集・二三〕角川書店、一九七九年)
[11]『鼻皈書』(一三二四年?)(前回、六二ページ下段に言及)
[12]光宗『渓嵐拾葉集』(一三一一〜一三四八年)(「第六天魔王」の代わりに「阿修羅王」が天照太神と「約諾」を交わしたという)(Tttt. LXXVI 2410 iv 511b14-16)(前回、六二ページ上段に引用)
[13]『渓嵐拾葉集』(Tttt. LXXVI 2410 iv 516b24, b28-c3)(前回、六七ページ上段、註36に引用)
[14]『渓嵐拾葉集』(上妻、前掲論文、五六ページ上段に引用)Tttt. LXXVI 2410 xlix 667a10-14 :
次吾國ノ世次ノ樣ヲ云ニ、天照太神魔王ノ神璽ヲ得テ吾國ニ來下テ、神道ノ本源ト成玉フ。所以最初ハ天照太神一神天降御坐シテ一切衆生ヲ出生シタマフ。故遍照尊ノ本源ヨリ我等衆生ハ出生スル也。
[15]『天地麗気記』(鎌倉時代後期)(弘法大師全集所収本「天地麗気記」巻第一)(前回、六三ページ上〜下段に引用)
[16]『仏法神道麗気記』(弘法大師全集所収本「天地麗気記」巻第十四)(前回、六六ページ上段、註27に引用)
[17]『太平記』(十四世紀?)巻第十六「日本朝敵事」(前回、五二ページ下段〜五三ページ上段に引用)
[18]『神道集』(十四世紀半ば?)巻第一「神道由来事」(伊藤、第六天魔王、六九ページ下段に言及)
[19]『神道集』「蟻通明神事」(前回、六六ページ上段、註27に言及)
[20]聖冏(一三四一〜一四二〇)『麗気記私抄』(麗気記注釈書)(伊藤、第六天魔王、七一ページ上段に引用。上述、〔前回の補足・訂正〕に引用)
[21]前田家本『水鏡』、神武天皇の段(年代??)(前回、五九ページ上段に言及、六〇ページ上〜下段、註28に引用)
[22]春瑜本『日本書紀私見聞』(応永三十三年〔一四二六〕写本)(神宮古典籍影印叢刊『古事記・日本書紀』下、三三三ページ、三三四ページ)(以下に、伊藤、第六天魔王、六九ページ上段、七〇ページ上段から引用)
日本国トハ、秘説ニハ大日ノ本トノ国ト書ケリ。即大日本国ト云、此故也。
第六天ノ魔王障碍ヲ成ス。依之、大神々璽ヲ魔王ニ乞テ、国土ヲシツメテ仏法ヲ流布シ給。今ノ内裏ニ神璽・宝剣・侍内[(ママ)]所トテ三種御財有ル也。
[23]内閣文庫本『金玉要集』巻第四「天照大神之御事」(室町時代?)(伊藤、第六天魔王、六九ページ下段〜七〇ページ上段に言及)
[24]『神道雜々集』下・二十八「大神宮事」(年代??)(伊藤、第六天魔王、七〇ページ上段に言及)
[25]『神祇講式』(室町時代?)(以下に、伊藤、第六天魔王、七〇ページ上段から引用)(修験聖典編纂会編『修験聖典』、京都、大学堂書店、三密堂書店、再版・一九六八年、四六三ページ下段も参照)
第六天魔王為碍仏法、欲スルント国土之時、天照[コウ]神璽於魔王
(神道大系『真言神道』下、一一一頁)
[26]『日本記一、神代巻取意文』(中世後期?)(前回、六六ページ上段、註27に言及)
[26−a]大須文庫藏『三種神祇(器?)并神道秘密』(天文十一年〔一五四二〕写本)
(「本書は神璽の説明等『神代巻取意文』ときわめて類似した本文をもつものだが、その前半部分が相違し、日本開闢以前、欲界の支配者である魔王がこの地を自分の屋敷としようとしていたところ、当時都率天に在った大神が勧めて国土衆生を作らせたとし、日本国が本来的に魔王に帰属すべきものと見なされている」〔伊藤〕)
(伊藤、第六天魔王、七二ページ下段〜七三ページ上段。註9に「原文は未見。国文学研究資料館マイクロ資料を参照した」とある)
[27]一色直朝『蘆雪本御成敗式目抄』(天文二十二年〔一五五三〕奥書)(前回、五六ページ下段に引用)
[27−a]清原宣賢『倭朝論鈔』(天文十年〔一五四一〕)(前回、五七ページ上段に引用)
[28]吉田兼右(一五一六〜一五七三年)『古今和歌集灌頂口伝』(前回、五九ページ下段〜六〇ページ上段に引用)(伊藤、第六天魔王、七一ページ下段参照)(片桐洋一、『中世古今集注釋書解題』・五、赤尾照文堂、一九八六年、四九三ページ)
[29]幸若舞「百合若大臣」(十六世紀ころ?)冒頭部分(前回、五六ページ上〜下段に引用)
[30]イエズス会士による『日葡辞書』(一六〇三年)=Pag峻, Dictionnaire Japonais-Fran溝is, Paris, 1868(前回、五五ページ上〜下段に引用)


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