彌永信美
仏教の数多くの神々の中でも,観音菩薩ほど広範な信仰の対象とされた尊格は多くないだろう.中国以東の地域で,その観音が多くの場合に女性として表象されたことは,仏教信仰史をめぐる最大の謎のひとつである.中国における観音女性化の問題については,塚本善隆氏や Glen Dudbridge 氏,あるいは R. A. Stein 氏の研究などがあるが1,日本の女身観音信仰は,たんに中国の女身観音信仰の延長線上にあるものと考えられていて,これまでとくに問題とされることもなかったように思われる2.巨視的に見れば,それはある程度事実であって,中国で観音が女性視されることがなければ,日本でもそうしたことは考えられなかったと言えるかもしれない.しかし,日本の観音信仰の歴史はそれ自体として,日本独自の「女神誕生の物語として」研究される価値がある問題であると考える.小稿では,そうした研究の一端として,如意輪観音と女性性をめぐるさまざまな表象に目を向けてみることにする. 1 如意輪観音と皇室の女性……この像の持つ官能性や豊満さといったものは,女性性という言葉で置き換えられるものであり,本像はあきらかに女性を意識して表現されている〔と想定できる〕.ここで思い当たるのは,本像の発願者が橘嘉智子という女性であり,彼女は卒伝に,その容貌は人を寛和せしめ,手は長くて膝を過ぎ,髪も地に委ねるほどであるという,人間離れした姿が述べられていることである.ここに,本像の女性性の裏には,〔菩薩の化身とも目される〕橘嘉智子が存することに関わりがあるやに思えてくる.このように彼女を理想化する時代にあって,本像の造形の基本態度は,観音の特性を理想の女性像の中に表そうとするものではなかったかと考えたいのである.こうした観点から,ひるがえって唐代中国の作例を見ると,そこでもすでに,いくつかの像に「女性的」と思われる表現が目立つことが指摘できる(たとえば敦煌出土の大英博物館蔵,絹本着色如意輪観音図7,あるいは八世紀後半の作という大和文華館蔵の銅像など).如意輪観音は,非常に早い時期から,女性的な表象と強い親和性をもっていたのかもしれない.
親鸞夢記に云く二十九歳の親鸞は,この夢告を得て法然を尋ね,改心するに至ったと考えられている.これはいわば浄土真宗の創始のきっかけとなった事件であり,日本の宗教史上,もっとも重大な意味をもった夢の一つだったとも言えるだろう.ところが,この夢告とほとんど同じ内容の文が,ちょうど同時代の『覚禅鈔』(一一八三〜一二一三年頃成立?)に出ているのである.以下,『覚禅鈔』巻第四十九「如意輪下」から引用する.
六角堂救世大菩薩,顔容端政の僧形を示現して,白納の御袈裟を着服せしめて,広大の白蓮に端座して,善信〔親鸞の当時の名〕に告命して言く,
行者宿報にて,設ひ女犯すとも
我玉女身と成りて犯せられむ
一生の間,能く荘厳して
臨終引導して極楽に生ぜしめん
救世大菩薩此の文を誦して言く.此の文は吾が誓願なり.一切群生に説き聞かすべしと告命したまへり.斯の告命に因て,数千万の有情にこれを聞かせしむと覚えて,夢悟め了ぬ.
本尊,王の玉女に変ずる事さらに,松野氏は,『図像抄』巻第六「如意輪」に,二臂の如意輪観音の図像(六角堂の如意輪観音は二臂であると言われていた〔ただし,現在の像は鎌倉後期の作で六臂である〕16)について,「白色にして白蓮に結跏趺坐す」と書かれている記事が,いまの親鸞の夢記に言う「白納の御袈裟を着服せしめて,広大の白蓮に端座して……」という姿に酷似することを指摘しておられる17.
又云はく.〔もし〕邪見心を発して,淫欲熾盛にして世に堕落すべきに,如意輪我れ王の玉女と成りて,其の人の親しき妻妾となりて共に愛を生じ,一期生の間,荘厳するに福富を以てす.無辺の善事を造らしめ,西方極楽浄土に仏道を成ぜしめん.疑ひを生ずることなかれ云々15.
建仁三年六月廿二日暁の夢に云はく.国王の御宝物,神璽宝剣の神璽は玉女也.此の玉女は妻后の躰也.王,自性清浄の玉女躰に入り,交会せしめ給へば,能所共に罪無きか.此の故に神璽は清浄の玉也…….すなわち,慈円は,「国王の御宝物」=三種の神器のうちの神璽と宝剣の中の神璽とは,「玉女」であり,この「玉女」は皇后の身体である,王(=天皇〜宝剣)が「自性清浄の玉女」の身体のうちに入って交合するときには,王も皇后もともに清浄であり,罪がない,と夢見たと言うのである.
凡そ天照太神とは日神にて坐ます上に,日輪形,天の岩戸に籠り給ふもの也.又云はく.相伝に云はく.天照太神,天下り給ひて後,天の岩戸に籠り給ふと云ふは辰狐の形にて籠り給ふ也.諸畜獣の中に辰狐は身自ずから光明を放つ.神,故に其の形を現じ給へる也と(云々).と書いた一節がある.これはまさに,如意輪観音〜如意宝珠〜天の岩戸の天照太神〜そして闇夜の狐/荼枳尼天との間の神話連想的連関を示すもっとも典型的な,またもっとも見事に詩的な記述であると言える.そして荼枳尼と如意宝珠とを結びつけたのは,荼枳尼が喰らうという屍体の心臓「人黄」が,望みのものを「如意」に,無限に産出すると考えられた如意宝珠のイメージを喚起したからにほかならないだろう.
尋ねて云はく.何故に辰狐必ず光明を放つや.答.辰狐とは如意輪観音の化現也.如意宝珠を以て其の体となす故に辰陀摩尼王と名づく也.宝珠とは必ず夜光る.故に諸真言供養の時,摩尼を以て灯となすと云へり.旁に以て思ひ合わすべし.又云はく.辰狐の尾に三古〔三鈷〕あり.三古の上に如意宝珠あり.三古即ち是三角の火形也.宝珠また摩尼の灯火也.故に此神,威光を現はし法界を明にする也(云々).又云はく.一伝に云はく.未曽有経説に云はく.辰狐をアガメテ国王と成すと云へり34.是も天照太神を以て百王元神35 と習ふ神也.
この法の本尊は五輪塔に象られ,二顆の宝珠すなわち舎利を納め変じて如意輪となって中央に在り,左に不動(忿怒尊=胎蔵),右に愛染(敬愛尊=金剛)の二明王を配する(これは観心寺本堂の三尊構成に等しい).〔中略〕不動・愛染二明王の合体は,両頭愛染とも呼ばれ,男女両性を表わす赤白の二頭によって表象されていた.さらにこの『秘密源底秘決』の三尊合行法は,『神代巻秘訣』の「東寺御即位品」に,東寺即位法の「別法」として説かれた広沢流の「三天合行法」,すなわち聖天・荼枳尼天・弁才天の三天合行法にも連なるものに違いない38.そしてこれはまた,東寺の夜叉神や台密の摩多羅神,そして三面大黒などの「三面一体の神々」にも結びついていく.
先ず,宝珠の正体を両部合体の如意宝珠蓮華密印とし(如法尊勝法と如法愛染法に重なる)不動と愛染が宝珠をもつ意義を説く.次に,この三尊をもって迷悟の体と釈し,不動愛染が三毒の煩悩と現じてそのまま仏果瑜伽の功徳また煩悩即菩提の一宗の肝心の理を表すものと説く.次に,宝珠尊形を釈し,これを如意輪と示し,その最極の習いとして,これが一字(仏)頂(金)輪王たる帝すなわち日輪同体の内侍所神鏡たる天照太神の所変と解き,その上で帝王の即位には舎利(金輪)の真言をもって即位の真言とする,と言う一箇の王権観の体系を描くのである.
注
1 塚本善隆稿稿「近世シナ大衆の女身観音信仰」,『山口益博士還暦記念・インド学仏教学論叢』(京都,一九五五年); Glen Dudbridge, The Legend of Miao-shan, Oxford Oriental Monographs, I, Ithaca Press, London, 1978; Id., “Miao-shan on Stone : Two Early Inscriptions”, in Harvard Journal of Asiatic Stidies, 42-2, 1982; R. A. Stein, “Avalokiteśvara/Kouan-yin: un exemple de transformation d’un dieu en déesse”, Cahiers d’Extrême-Asie, II, 1986, p. 17-80 参照.
2 山折哲雄稿「女神の誕生」,山折哲雄編『日本の神』第二巻「神の変容」(平凡社,一九九五年)p. 232 で,山折氏は「……ところが,すこしでも振り返ってみよう.これまで,わが国における観音の数奇をきわめる転変を女神誕生の物語として正面からとりあげる試みがはたしてあったであろうか.むろんそれが皆無であったとはいえないかもしれない.しかし女神=観音というとらえ方が,宗教史研究や思想史研究の分野で市民權をえたとはとてもいえないのが現状ではないだろうか」と書いておられる.
3 岩本裕著『仏教説話の伝承と信仰』(「仏教説話研究」第三巻),開明書院,一九七八年 p. 168-172; p. 330 参照.
4 井上一稔著『如意輪観音像・馬頭観音像』(「日本の美術」No. 312,至文堂,一九九二年五月)p. 19a, p. 23a-26b; 松本栄一著『敦煌画の研究』図像篇(東方文化学院東京研究所,一九三七年刊)本文 p. 711-720 参照.——大正蔵第二十巻に収められた如意輪関係の文献は以下の通りである.T. XX 1080 『如意輪陀羅尼経』(菩提流志訳・一巻); T. 1081 『仏説観自在菩薩如意心陀羅尼呪経』(義浄訳・一巻); T. 1082 『観世音菩薩秘密蔵如意輪陀羅尼神呪経』(実叉難陀訳・一巻); T. 1083 『観世音菩薩如意摩尼陀羅尼経』(宝思惟訳・一巻); T[tt]. 1084 『観世音菩薩如意摩尼輪陀羅尼念誦法』(宝思惟訳・一巻); T. 1085 『観自在菩薩如意輪念誦儀軌』(不空訳・一巻); T. 1086 『観自在菩薩如意輪瑜伽』(不空訳・一巻); T. 1087 『観自在如意輪菩薩瑜伽法要』(金剛智訳・一巻); T. 1088 『如意輪菩薩観門義注秘訣』(失訳・一巻); T. 1089 『都表如意摩尼転輪聖王次第念誦秘密最要略法』(解脱師子訳・一巻); T. 1090 『仏説如意輪蓮華心如来修行観門儀』(慈賢訳・一巻); T. 1091 『七星如意輪秘密要経』(不空訳・一巻).
5 『白宝抄』TZ. X 3191 847c11-26 (「如意輪観音法雑集」上)参照.
6 井上一稔著,同上書 p. 29(「菩薩の化身」という表現は,同書 fig. 3 のキャプションから).
7 松本栄一著,『敦煌画の研究』附図183b.
8 井上一稔著,同上書 p. 30a-b, p. 31b-32b, fig. 36 (p. 31) 参照.安祥寺の如意輪観音像については,八六七年の『安祥寺縁起資財帳』を引く.また神呪寺の像に関しては,『帝王編年記』では,如意尼ではなく淳和帝の皇后・正子内親王の話になっているという.——なお,この正子内親王は,先の観心寺の像の発願者・橘嘉智子の娘である.
9 井上一稔著,同上書 p. 35b-36a; 阿部泰郎稿「宝珠と王権 ——中世王権と密教儀礼」,岩波講座「東洋思想」第十六巻,『日本思想』2,岩波書店,一九八九年所収 p. 123-124 参照.——『渓嵐拾葉集』Tttt. LXXVI 2410 iv 511c6-9.
10 井上一稔著,同上書 p. 43b (『御記』のリファレンスは Tttt. LXXVIII 2493 616a26)および p. 30 参照.
11 井上一稔著,同上書 p. 43b.
12 慈円著『法華別帖』,続天台宗全書,密教三,経典註釈類二(春秋社,一九九〇年)p. 284a5-6.
13 井上一稔著,同上書 p. 44b および fig. 60-63.
14 松野純孝著『親鸞』(「日本人の行動と思想」二,評論社,一九七四年)p. 70. 田中貴子著『外法と愛法の中世』(砂子屋書房,一九九三年)p. 75-76 も参照.
15 『覚禅鈔』TZ. IV 3022 xlix 866b11-15. 松野純孝,前掲書 p. 83 の読み下しによる.田中貴子,前掲書 p. 77-78 も参照.
16 『阿娑縛抄』TZ. IX 3190 xcii 196a9-11 参照.現在の像については,上注 13 参照.
17 松野純孝,前掲書 p. 83;『図像抄』TZ. III 3006 vi 28a28-29 参照.同じ文は『阿娑縛抄』TZ. IX 3190 xcii 195c29-196a1 および『覚禅鈔』の裏書 TZ. IV 3022 xlix 881a28-b2 にも見える.『阿娑縛抄』は『観自在菩薩如意摩尼転輪聖王経』という経典を引き,『覚禅鈔』は『金輪呪王経』という経典を引く.これは後述の『観自在菩薩如意摩尼転輪聖王金輪呪王経』に当たるだろう.
18 松野純孝,前掲書 p. 71 and sq. 参照.
19 田中貴子,前掲書 p. 78.
20 『覚禅鈔』TZ. IV 3022 xlix 866b5-9.
21 十八の典拠のうち,終りに挙げられた『如意輪王摩尼跋陀別行法印』,『如意輪菩薩真言注義』,『如意輪要略法』(一印),『如意輪陀羅尼注』,『梵字如意輪真言』,『梵字如意輪讚』の六つは基本的典拠とは言えないだろう.
22 『覚禅鈔』TZ. IV 3022 xlviii 855a23-b24; xlix 864c5-865a4.
23 これらのうち,[3]『観自在菩薩如意輪瑜伽秘密念誦儀軌』と[4]『聖如意輪観世音菩薩修行儀軌』については「已上二本内文大略同.初書,若智証録書歟.可尋」と書かれている.
24 井上一稔著,同上書 p. 19b.
25 『白宝抄』(一二六八〜一二七八年頃?)TZ. X 3191 846b27-c25 (如意輪観音法雑集); 『白宝口抄』(一三四一年以前) TZ. VI 3119 lxii 671c4-672a25.
26 興然『五十巻鈔』,「真言宗全書」XXX 130a9-11 参照.興然は小野流の学匠.興然,および興然と覚禅の関係については,真言宗全書「解題」p. 228b; p. 317b-318b 参照.
27 以下,『覚禅鈔』TZ. IV 3022 xlviii 864b2-11; xlix 865c6-11, 866a7-12, a29-c26 による.
28 『仏説観自在菩薩如意心陀羅尼呪経』T. 1081 197a11-12.
29 山本ひろ子著『変成譜——中世神仏習合の世界』(春秋社,一九九三年)p. 354-358 に「天狐・地狐・人狐」の三狐神の信仰について述べられている.これは日本の荼吉尼〜稲荷信仰と密接に関連しており,三狐神という名称自体が「御饌津神」になぞらえて「三狐神」と訓ぜられたと考えられるという.三狐神については,台密の修法書『行林抄』(静然著,一一五四年成立)や『覚禅鈔』に記述がある.また,玉置山には三狐神が祀られていた.さらに,同じ玉置山の『玉置山権現縁起』には,「天狐王」の図像が記されている.それは,正面は観音,右は天狐面,左は地狐面の三面六臂像で六本の足は鳥足だった(この「鳥足」は天狗のイメージとかかわっているだろう).しかも,この本尊の本地は,聖天または荼吉尼天であるという.これは,明らかに三面の摩多羅神(あるいは東寺・中門の夜叉神)を想起させるものである.
30 慈円著『毘逝別』上,続天台宗全書,密教三,経典註釈類二(春秋社,一九九〇年)p. 231b14-16. 井上一稔著,同上書 p. 44b-45b も参照.
31 慈円著『法華別帖』,続天台宗全書,密教三,経典註釈類二(春秋社,一九九〇年)p. 287a3-11.
32 インド以来の仏教の伝統では,「玉女」は転輪聖王の「七宝」の一つに数えられていた.王妃にあたる女性は,一字金輪仏頂曼荼羅にも「女宝」として現われている.その意味では,「玉女」が王権にかかわることは自然であるとも言える.日本における「玉女」に関しては,田中貴子著『外法と愛法の中世』p. 82-94 がとくに重要である.——しかし,こうした中世日本の玉女のイメージには,(おそらく陰陽道などの回路を介して?)中国の道教的な観念が混入しているのではないかと思われる.この点について,そしてより広く中世日本の密教的な神話世界の形成に道教的な観念がおよぼした影響についての考察は,今後の研究のもっとも緊急かつ実り多い課題ではないかと考える.
33 『渓嵐拾葉集』Tttt. LXXVI 2410 vi 520c20-521a6.
34 曇景訳『仏説未曽有因縁経』T. XVII 754 i 576c21-580c11 に語られる長い野干本生譚に,主人公の野干(ジャッカル.中国・日本では一般に「狐」と解釈される)が,前世に阿逸多という名のクシャトリヤ種に生まれ,王とされた物語が語られている.おそらくこの物語が想起されていると考えられる.
35 『渓嵐拾葉集』の「百王元神」という用語は,道教的な響きがあるように思われる.こうした用語はまた,中世の仏教‐神道的な思潮の中に継承されていくものであろう.
36 『渓嵐拾葉集』Tttt. LXXVI 2410 xxxix 633b25-27.
37 阿部泰郎稿「宝珠と王権」 p. 152-153; 井上一稔,前掲書 p. 52b-53b も参照.——文観著『秘密源底秘決』は高野山の金剛三昧院,京都大学,その他に蔵されている.次に引く石山寺蔵『謀書目録』については,『大日本史料』第六編之二十一,延文二年十月九日条,文観弘真関係の史料を参照.以上,阿部,同上稿 p. 167-168, n. 91, 96, 97 による.
38 広沢流の「三天合行法」については,桜井好朗著『祭儀と注釈——中世における古代神話』(吉川弘文館、一九九三年)p. 229 および n. 48 参照。
39「人黄」については,『大日経疏』Ttt. XXXIX 1796 x 687b18-c11;『覚禅鈔』TZ. V 3022 lxxxi 252a15-253a1; 『総持抄』Tttt. LXXVII 2412 v 76a3-21; 山本ひろ子,『変成譜』p. 314-317; 阿部泰郎,同上論文 p. 131-132, p. 146 (「如法愛染法」の本尊は,舎利=宝珠=人黄であると考えられたという); 田中貴子『外法と愛法の中世』p. 244-250 も参照.
いやなが のぶみ 東京大学文学部非常勤講師
2001.01.08