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日仏会館図書室

友の会通信

第4号

2000年1月

総会報告

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公開講演会レジュメ

第6回 1998年 9月 4日 吉武立雄
第7回 1999年 1月21日 馬杉宗夫
第8回 1999年 4月 2日 浜名優美
第9回 1999年 6月21日 石井洋二郎
第10回 1999年10月 7日 垂水洋子

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連絡事項

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 日仏会館図書室友の会・会員の皆様

 大変遅れてしまいましたが、「友の会通信」第4号をお届けいたします。

 今回は、99年1月の総会の報告と、これまでの「友の会主催・公開講演会」のレジュメを中心にしました。

総会報告

1999年1月21日、馬杉先生の講演に先立って、総会が行なわれました。以下に簡単に御報告いたします。

1.活動報告

講演会:

1997年 7月10日(木) 倉田保雄先生 「保革コアビタシオンの前途」
1997年10月23日(木) 岡山 隆先生 「最近の南フランス事情」
1998年 1月29日(木) 藤原直子先生 「中世ヨーロッパ・カレンダーの美」
1998年 3月 5日(木) 堀 歌子先生 「小売業の日仏今昔・比較」
1998年 5月29日(金) 藤川 徹先生 「中世のパリ・今日のパリ」
1998年 7月 7日(火) 山崎 曜先生 「物としての本―作り手の立場から」
1998年 9月 4日(金) 吉武立雄先生 「フランス工業技術史と摩擦学―18世紀を中心として」
1999年 1月21日(木) 馬杉宗夫先生 「西欧中世聖堂建築の見方―その象徴的意味」

2.会計報告

A.決算と予算報告

B.「友の会」の郵便振替口座を開設:

  恵比寿郵便局:日仏会館図書室友の会宛:No.00170-3-62889

3.役員改選(任期:1999 年 4 月から1年間)

会長:筆宝康之

世話人代表(事務局長):彌永信美 Tel: 03-3945-5977, Fax: 03-3945-9246

事務局:(会計・庶務)垂水洋子、(広報係)藤原直子

その他世話人:岡山 隆、赤星隆子、池内 清、吉武立雄、Jean-Marie Lourme

       波多野宏之、倉田 保雄、堀 歌子

4.予算方針

※ 会議会合費は、講師夕食代などに当てる。

※ 会合によっては、資料代・車代など必要経費補助のカンパを受けることがある。

5.活動方針

1999年4月2日(金)(日仏会館と共催) 浜名優美 「文明の十字路・地中

海―F.ブローデルをめぐって」

1999年6月末 石井洋二郎 「ピエール・ブルデューの教育・社会思想」(仮題)

など。

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講演会要旨

以下、第6回以降の講演会のレジュメです。

第6回講演会

1998年月 9月 4日(金曜日)

「フランス工業技術史と摩擦学―18世紀を中心に」

 技術史家 吉武 立雄

 摩擦は地球上のあらゆるところに存在している。地震を引き起こす海底プレートにも、富士山を形成している粒子にも摩擦は発生している。身近なものとしては、自動車のタイヤの摩擦がある。この摩擦を総合的に、学際的に研究する学問が摩擦学であって、tribologie と呼ばれる。その名称が正式に決定したのは1966年、英国であったが、その成立の直接的な動機になったのは、GNPの約 1,5 から 2 パーセントに達すると推定される摩擦、それに伴う潤滑、摩耗の不備による経済的損失を防止したいという考えであった。最近ある軸受メーカーが日本経済新聞の1面全部を割いて、軸受業界が摩擦抵抗を1割低下させることに成功すれば、大型原子発電所25を廃止できるとPRしたのも摩擦低減効果の一例である。

 ところで、この摩擦の本質は非常にとらえがたい。研究が進んでも永遠のくらやみとして残るのではないかといわれているほどである。しかし、実験的に包括的な摩擦の法則が確立したのは、フランスであってそれには約1世紀を要した。それにいたるまでの過程をまず説明したい。

 摩擦はそれを低減する場合と、利用する場合の2つのケースがある。新幹線のパンタグラフと架線、車輪とレールの関係を考えていただければよい。後者においては、摩擦の面から、時速 300 km が限度と考えられていたが、現在では TGV は時速 500 km の営業運転を目指している。これは摩擦力の把握がいかにむずかしいかを物語っている。

 人類の摩擦力の利用は木と木を擦り合わせて発火させることから始まったとしてもよい。このことはプリニウスも博物誌に記載しているし、日本でも古事記の記事は登呂の遺物によって確認された。エジプトの弓きりもその変種である。ところで、摩擦低減のいちばん簡単な方法は、物体をころがすやりかたである。車が出現するのはその意味で必然性がある。ホメーロス、ヘシオドスが身近な車について述べていることはよく知られている。この車が車輪からさらに歯車、ころがり軸受、すべり軸受という形で機械装置のなかにとりいれられた。現代はその意味でも車の時代であって、摩擦問題が前面に登場してくる必然性が理解できる。

 工学的に意味を持つ軸受が登場したのは約2000年前であって、アレキサンドリアのヘロンのさまざまな工夫、あるいはカリグラ時代の実物の発見によって、古代の技術水準の高さは推定可能である。中世を経て、馬車、機械類が大きく発達したことはアグリコラの著作にうかがうことができる。これを踏まえて、摩擦力は接触面積に関係せず、垂直力の約3分の1となる等の摩擦の法則を実験によって証明したのがダヴィンチであったが、この事実は20世紀にいたるまで忘れ去られていた。

 この法則を再発見したのが、フランス科学アカデミーのアモントン(1699年)であって、その手がかりになったのが、毛織物と並んで当時のフランスの主要産業である板ガラスの研磨を手作業から火力による自動研磨への切替のための実験であった。かれの説はド・ラ・イール、パランといった科学アカデミーの同僚の実験によって、また計算によって補強されて17世紀初頭には一応広く認められるにいたったが、確認テストによって矛盾した結果が出るに及び、さまざまな議論が行なわれることになった。論争に参加したのは、オイラー、ライプニッツ、ミュッセンブローク、カミユその他であった。ディドロも百科全書で大きなスペースを割いて説明している。なかでも注目すべきは、ニュートンの友人のデザギュリエの接触面が平滑でも摩擦が発生するのは、分子間の凝着力が接触面に作用するからであるといういわゆる凝着説(いわゆる万有引力の拡張説)であって、これはアモントン以来の表面の凸凹説と正面から対立した。フランスにニュートン説を持ち込んだのはヴォルテールで、ニュートン説そのものは広く受け入れられるにいたったが、凸凹説自体はその後もフランスを中心にして信奉されて20世紀にまでいたった。

 その後、摩擦理論を集大成したのはクーロン(1781年)であって、かれの確立した法則はそれ以後アモントン、クーロンの摩擦の法則と呼ばれ、今日にいたっている。当時の英仏間の戦いにおいては、シーレーンの確保が最大の課題であったが、進水時の摩擦熱による航海中の事故、あるいはロープの摩擦抵抗による操船上のトラブル解決のための実験によってこの法則が導きだされた。かれはこのほかにも羅針盤の軸受の研究もおこなっているが、これは時計の技術、さらには現在の航空機、ロケットの誘導技術にも結びついている。電荷に関するクーロンの法則は余りにも有名である。なお、クーロンは、後にエコール・ポリテクニックになるメジェールの工兵学校で、物理学、化学などの正規の教育を受けた世界最初の技術者であったことを強調したい。この教育システムはドイツの各技術大学、アメリカの MIT に代表される高等教育機関に引き継がれる。当時の政策立案者の先見性に脱帽したい。

 ところでクーロンの摩擦理論は19世紀中ごろまで精緻化がフランスで続けられるが、20世紀に入って凝着説が有力になって現在にいたっている。いまではミクロでは凝着説、マクロでは凸凹説と考えるべきだとされている。

 なお17世紀前半におけるフランスを中心とした摩擦学の現状は、帆足万里がミュッセンブロークをもとにして論述した窮理通(天保年間の写本)で詳しく紹介されたのが始めてである。

(文責・吉武)

第7回講演会

1999年 1月21日(木曜日)

「西欧中世聖堂建築の見方―その象徴的意味」

(スライド映写つき)

武蔵野美術大学教授 馬杉 宗夫

 西欧中世の聖堂建築は、人々が祈るための空間である。その一般的なプラン(平面図)はラテン十字型であり、それは、キリストが十字架刑にあったときの姿を写したものと言われている。それゆえ、聖堂建築は、キリスト自身である「神の国」を象徴化したものと言える。そして、聖堂建築を飾る彫刻や絵画は、この「神の国」を演出するために奉仕したのである。

 紀元千年を境に誕生したロマネスク美術と共に、聖堂入口(扉口)を飾る大彫刻(キリスト像)が復活してくる。しかし、キリスト教的世界観が、聖堂の中で体系的に表明されてくるのは、13世紀のゴシック大聖堂時代を待たねばならない。まず大聖堂(カテドラル)は、方向の象徴性を持っている。キリストの頭部に当たる祭室の部分は、太陽が昇る東側に向けられ、西側に入口(扉口)が置かれる。十字架の左右の枝の部分にあたる南・北の袖廊にも、扉口が作られる。そして、これらの三つの扉口の上部には、円いバラ窓が君臨している。光の貧しい北側には、キリスト誕生に至るまでの『旧約聖書』伝、光に満ちた南側には、キリスト誕生以降の『新約聖書』伝、そして太陽の沈む西側には、世の終末を告げる「最後の審判」が表現される。すなわち、大聖堂は、キリスト教の過去(旧約)、現在(新約)、未来(最後の審判と新しいエルサレムの創造)を、三つの扉口で表現している。そして三つは相まって、永遠の真理、すなわちキリスト自身であるロゴスを象徴化しているのである。そして、これが完全な形で表現されているのは、シャルトル大聖堂の北・南・西側の三つのバラ窓においてである。

(馬杉・記)

第8回講演会

1999年 4月 2日(金曜日)

「文明の十字路・地中海―フェルナン・ブローデルをめぐって」

南山大学教授 浜名 優美 

 今回は、「図書室友の会」と「日仏会館」が共催企画した講演会で、F.ブローデルの大著『地中海』(藤原書店)の翻訳者である浜名氏の文明論と同著の紹介・批評が中心となった。

1.文明論としての「地中海」の意義

 今日、NATO 軍の空爆にさらされているコソボは、かつて大セルビア王国の都だった。オスマントルコ帝国がこれを征服した14世紀からアルバニア人が移り住み、今では 10 % にもみたないセルビア人が居座って紛糾する根の深い問題である。日本なみ銀行不良債権と破綻は、近代初期イタリアの私設銀行の破産や公立銀行化、ナポリの財政破綻などにも見られた。

 ブローデルにならって、「文明」と「文化」を比較してみよう。文明とは、道路、港、城塞など、可視のかたちをとってあとに残るものだ。物質文明は具体的に確認できるが、文化とはまだ成熟の段階にはない途上のもの、直接見えにくいものといえる。つまり、文明>文化の関係にあり、諸文明は他文明の挑戦を受け、受容も衝突もする。だがそこには、ほとんど動かない、やたらに変わらないものもある。文明の定義として、次の3大ポイントが重要だ。

a) 文明とは空間の概念で、ラインとドナウをこえるとラテンやギリシャ文明にかわる。

b) 文明とは借用である。道路や河川、港ぞいに流れ込むイタリアにあこがれてヴェネチアから借用した要素がまじるアウグスブルグは、半分イタリア、半分ドイツ的になった。

c) 文明とは拒絶である。自分のアイデンティティをかたくなに守るところがある。イスラム文明とキリスト文明。80 名のキリスト教徒がアルジェリアの海賊の手に落ちた日から、カスバの酒場でまじわり、たがいに交流もしたが、流れは今日のマグレブ移民と逆である。

2.山・河・砂漠、同じ風土・統一世界=地中海文明の衝突と輸出入

 ブローデルの『地中海』は「山」から始まる。山は文明普及の周縁にあり、文明と文明をわけへだてる。電線は村にはとけこめず、商人も伝道者も水平に移動した。文明にとって、河川は境界、山は障害だ。16世紀の宗教改革時代、新教は山のないオランダにはやすやすと入ったし、新教(エリートと個人)と旧教(大衆レヴェル)がせめぎあうフランスでは、新教はナヴァール(アンリ IV 世)まで入れたが、ピレネーとアルプスの先は浸透困難だった。だが、16世紀以来の地中海文明は、国境もない「海」と同じ気候風土の「小麦−オリーブ−ブドウ」が三位一体で結びついていた点が、西欧近代世界システムの形成にとって意義深い。地中海文明は沿岸から遠洋へと輸出されて、タバコ・茶・コーンなど新大陸各地植物も西欧に輸入された。

 「文明の衝突」については、1492 年のグラナダ陥落=アラブの敗退とユダヤ大追放−コロンブス、1571 年レパントの海戦が一大画期をなしている。スペイン帝国の成長とユダヤ追放の背後には、寒冷不作で大洪水が頻発した16−17世紀の人口急増圧力があった点が注目される。

 結論として、イタリア・ルネサンスのように、文化が花開くとき経済は不況、都市国家の冬という関係がみられるのは興味深い。だが、短期のさざ波(鉄砲に対して、弓矢武装のトルコ軍が海を流血で染め、朝の数時間で決着がついたレパント海戦)や中期のうねり(20−30年:局地戦、景気変動など)をもつ文明の基盤には、長期持続の不変の構造・環境が残る。そこに、「コソボ問題」が今なお再現される理由もあると考える。

(文責・筆宝康之)

第9回講演会

1999年 6月21日(月曜日)

「ブルデュー社会学と日本」

東京大学教授 石井 洋二郎

 コレージュ・ド・フランス教授のピエール・ブルデュー(1930~ )は、単なる社会学者としての枠を越えた一個の思考者としてポスト構造主義の時代をリードしてきたが、日本ではまだ、その仕事がじゅうぶんな関心と理解をもって受容されてきたとは言いがたい。では日本社会の諸問題を考えるうえで、彼の著作から汲み取れるものは何か?

 彼の著作を貫く軸は、私たちの知覚や判断や行動をさまざまな形で拘束し誘導している不可視の権力作用、すなわち「象徴支配」のメカニズムを解明することにある。まず教育社会学の分野で、彼は『遺産相続者たち』(1964)において高等教育レベルでの文化的不平等をとりあげ、それがたんに経済的不平等や個人的才能の差に起因するだけではなく、家庭において両親から文化的蓄積を継承する機会に恵まれた「遺産相続者たち」と、そうした相続遺産をもたない学生たちとを隔てる社会構造的な差異に由来することを論証した。続いて『再生産』(1970)では、教育行為が及ぼす「文化的恣意」(それ自体が真理である客観的根拠は存在しないにもかかわらず、あたかもアプリオリに真理であるかのごとく意味を画定されたもろもろの知識や教養)によって支配的価値が押しつけられ、その結果として既成の階級構造が再生産されてゆくプロセスが分析される。この議論は、日本において近年顕著になってきた職業再生産のメカニズムを考えるさいにも參考になろう。

 次に文化社会学の分野では、『ディスタンクシオン』(1979)において趣味一般の階級性が論じられる。私たちは「文化資本」と「経済資本」の2要素によって「社会空間」の中に配置されているが、個々人の占める社会的位置と趣味行動は強い規定関係によって結ばれており、全面的な自由にゆだねられているかに見える主観的な領域にも、客観的な階級構造が濃厚に投影されている。この認識は当然ながら社会的決定論の色彩を帯びるが、それを乗り越えるためにブルデューは「ハビトゥス」という概念を提唱する。これは私たちの日常生活を方向づける知覚・判断・行動図式の体系であるが、単なる習慣と異なり、種々の局面において絶えずみずからを再構築しながら実践や表象の生産原理としても機能する「強力な生成母胎」である点に特徴がある。

 社会空間の中に位置づけられた私たちは、誰もが本能的に自分の位置を上昇させることを志向するので、絶えずおのれのハビトゥスを組み替えながら、文化資本・経済資本の両面において差別化=卓越化(ディスタンクシオン)のゲームに走っている。日本で極端な形をとっている学歴競争は、その最たるものであろう。しかし何が価値あるものとして正統化され「卓越化」されるかは、じつはその時々の力関係で決まるにすぎない。ブルデューは、現代社会で進行している闘争を経済資本をめぐる実体論的な「階級闘争」ではなく、文化資本をめぐる関係論的な「象徴闘争」として再定義する。

 日本では中流意識を持った人々が90%に及び、しばしば一億総中流と言われるが、確かに戦前のような顕著な階級区別は消滅したとしても、その裏側では学歴をはじめとする熾烈な「象徴闘争」が進行している。その意味で、ブルデューの議論は日本のような中流平等社会にもかなりの程度適用可能なのではないか。

(石井・記)

講演会「ブルデュー社会学と日本」を聞いて

池内 清(友の会・世話人)

 「ディスタンクシオン」それは、他者と自己を区別することであり、それによって自己を卓越化することである。そして、この操作は、個人のレベルに止まらず、既成の階級構造を再生産する不可視のメカニズムとして、社会のあらゆる局面に於いて不断に機能している。例えば、「趣味」という、一見、全面的に個人の自由な判断に委ねられているかに見られる領域に於いても、その個人の属する階級、もしくは集団に特有の知覚、評価方式の体系が、すべての選択を規定し、方向付けているのであり、そこに、他集団との違いを際立たせようとする「卓越化」の戦力が介入して来ることは免がれない。

 著者は、本書(『ディスタンクシオン』)に於いて、音楽、会話、写真、スポーツなどの、いわゆる趣味をはじめとして、政治のような社会的実践から、科学や服装、しゃべり方や立ち居振る舞いなどの日常活動に至るまで、広義の「文化」を構成するあらゆる慣習行動を対象として取り上げ、それらを暗黙のうちにヒエラルキー化していく分類図式の根底にある、種々の性向の体系、すなわち階級の「ハビトゥス」を抽出しながら、各集団に特有の生活様式が織りなす差異の体系としての社会空間を描き出す一方、この空間を構成する多様な場に於いて、自らの正当性を他者に押しつけようとして繰り広げられる階級間、或いは、階級内集団間の、ダイナミックな象徴闘争の実態を、膨大な統計資料を駆使しながら、克明に、かつ緻密に分析、解明して見せる。

 その意味で本書は、まさに副題にもあるとおり、社会学的観点から書かれた現代の「判断力批判」(カント)であり、しかも、たんなる社会学の枠に納まらず、人文・社会諸科学の総合を図ろうとする著者、ブルデューの野心的試みの、最高の成果であると言える。

 だいたいこのような内容が、我が国の実例も素材に用いながら話され、著名な新社会学の核心に触れ得た、充実の一時であった。

第10回公開講演会

1999年10月7日(木曜日)

セオドア・ゼルディンの「フランス人」について

翻訳家 垂水 洋子

 『フランス人』は1983年にフランスで出版されるとベスト・セラーになり、ゼルディンは、フランス人よりフランス人をよく知っているイギリス人という評価をえた。愛や家族、文化や趣味、労使の対立、農民や小売商、あるいは移民労働者、ユダヤ人への対し方、フェミニズムなど30項目について論じたフランス人論であるが、本書の魅力は各項目に登場するフランス人の多様さ、多彩さにあろう。これら多数のフランス人がそれぞれの生活や心情を率直に語り、著者の主張を証言、あるいは著者が司会をつとめるかたちで、これらの発言をもとにひとつの項目が構成されてゆく。週刊誌「ル・ポワン」は「歴史学の古典的方法と社会学の調査技術がこれほど巧みに結合されたことはない」と賛辞を送って紹介した。セオドア・ゼルディンは1933年に生れ、フランス近代史を研究する歴史家であり、オクスフォード大学教授である。1973年から77年にかけて仏訳、出版された長大な著書「フランス人の情熱の歴史1848年−1945年」で、すでに「フランス人」の成功は約束されていた。「愛と野心」「誇りと知性」「趣味と退廃」「怒りと政治」「不安と偽善」の5つのテーマをそれぞれ1冊におさめている。フランス人がこれらの問題にいかに情熱を傾けてきたかをめんめんとつづり、現代のフランス人の両親、祖父、曽祖父たちの姿を描き切った。

 著者の目的は、フランス人がいかにフランス的か、フランス人らしいかを説くことではない。むしろ既成のフランス人像を打破し、現代に生きるすべての人間が抱える問題を考えることにある。日本人読者へのことばで、「これは日本人について、日本人論でもあります」と述べている。国家と個人の関係、政治的、社会的対立の研究にフランスは著者にとってかっこうのフィールドなのだ。有名シェフやデザイナーの信条や手法を披露し、食欲をそそる場面もある一方、統計に現われたフランス人の衣料費が、近隣諸国に比べて低いことなど、意外な事実も知らされる。食卓でのもてなし方では、ブルデューの調査結果の紹介がある。労働者、小ブルジョア階級では、客をご馳走攻めにする傾向があるのに対し、上層階級では、料理も雰囲気も軽く、しゃれていることを重んじる、と。労使対立の項目では、フランスが革命のあった国であるにもかかわらずかなりの階級社会であることをはっきりと指摘している。

 現代ではブルジョアと労働者の区別は明確ではない。そこで著者はフランス人を3つのグループに分けることを提案する。乱暴にまとめると、命令するのが好きな人々、命令する人に無条件に反発する人々、こうした関係を脱し、自由に生きようとする人々である。この第3のグループに属するのが、68年(1968年の五月革命)の人々であり、外交官から木工職人になった人、「リベラシオン」紙創刊に携わった人々などが紹介されている。とくに同紙創刊時の理想を再検討しながら継続させてゆく経過は興味深い。

 本書が出版されてほぼ15年、「68年」から20年経過した。今年度のノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」が68年世代であると「フランス2」のニュースで聞いたときは、深い感慨をおぼえた。1994年にイギリスで出版されたゼルディンの著書 "An Intimate History of Humanity" が去る5月邦訳(「悩む人間の物語」NHK出版)された。古今東西の人間を結ぶきずなについて考えさせられる本である。この中でゼルディンは国境なき医師団の代表ベルナール・クルシュネールの悲痛な体験を伝えている。同じ信念をもつ者同士がこの信念の解釈をめぐって対立し、悲惨な結果を生むことがある。目標をわずかに共有し、だれが上位につくかに煩わされない人々の協力関係が目的を達成しやすい、と。

(垂水・記)

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これらの公開講演会とは別に、シリーズ<ヨーロッパを読む>と題して、少人数の講演会を企画しています。第1回は

1999年4月22日(木曜日)

倉田保雄先生に

「コソボ症候群とヨーロッパ」

と題して、コソボ問題についてお話いただきました。

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連絡事項

○ 図書室からのお知らせ:

 インターネットが自由に御利用できます。

 図書室内に皆さまが御自由に利用できるインターネット用端末が入りました。使用は30分以内で無料。その他利用規則など、詳しくは図書室まで:

電話    (03)5421-7643

ファックス (03)5421-7653

○ 通信原稿募集

 通信の原稿を募集いたします。図書室利用に関することなら何でもけっこうです。1,200 字以内程度にまとめて弥永宛にお送りいただければ幸いです。

○ 会費納入のお願い

 今年度分の会費納入をお願い申し上げます。同封の振込用紙をお使いになって、最寄りの郵便局でお振り込みいただきたく、お願い申し上げます。なお、会費は年に2,000円となっております。ご多忙の折り、恐縮でございますが、なるべく早めにお手続きいただければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

○ 次回の公開講演会は、3月はじめに、チェリスト・田中友子先生に、フランス、ドイツの留学経験などをお聞きすることになっています。御期待ください。正確な日程がわかり次第、御連絡いたします。


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