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「物としての本──作り手の立場から」の報告

山崎 曜(手で作る本の教室主宰・造本作家)
98年7月七日(火曜日)

 私は手で作る本の教室というのをやっています。今回の講演ではそこで入門編としているゲストブック(来宅の客に一筆書いてもらう記入式の本)の作業工程を実物でみていただきながら、構造を持った物を作るという側面から本を考えてみました。ここではその一部を紹介しつつ、元になっているフランス製本にも少し触れてみようと思います。

 本という物は面白い存在です。本は情報や内容と、色・形・めくる仕組みといった構造の二つの側面を合わせ持っています。ヴァレリーは製本デザイナー、ボネに当てた一文で本を人間に例えています。人間にも顔かたちや体つきという肉体がある一方、内面には心や精神があり、それは話したり触れあったりしてみないとわからない。この二つの面は通常分けて考えられるが、実際はその一体となったものこそが人間であり本である、というわけです。文章や絵という精神の文化と革を使った工芸による、本の肉体とでもいうものを緊密に結びつけた、フランス人ならではの例えだと思います。

 ではそこで目指されている肉体=構造とはどのようなものでしょうか。フランス製本というと金箔押しなどの華麗な装飾が思い浮かびます。そしてその外貌を見せるために何より大切なのが、それを施すに足る本体を作ることです。では実際の作業をみてみましょう。


 本は8ないし16ページ分などが一枚に印刷された紙を折りたたんだ折丁というものを積み重ね、その一つ一つを糸で麻の紐にかがりつけていくことで出来ています。かがり終わると糸の太さの分だけ背が厚くなります。この増えたヴォリウムを左右に逃がし安定させることで丸い背の形が作られるので糸の太さにも気をつかいます。糸をかがり付けた麻の紐は表紙のボール紙に穴を開けて通します。この紐はネールと呼ばれ、元々は背に膨らみとして見えていたもので、本棚に並べた時にはここしか見えませんから装飾的要素としても重要です。この位置は一定の比率が決まっています。それは、ちり(表紙が中身よりもはみ出している部分)の寸法から算出します。ちりの寸法は本の厚みや大きさによって決めますから、一冊の本が比率的に美しく、そして本棚全体も美しく統一されるようになっているわけです。現在では背にネールを見せない作りが主流ですが、この場合でも表紙との接合部にわずかなふくらみができます。人の背骨のふくらみに似て、内部の構造が外にほの見える、やはり肉体を実感する部分になっています。さて表紙のボール紙を付けた本は、仕上げ断ち、花布付け(背の頂部を安定させ小口の背側の乱れを隠し、色彩のポイントを作る)、背貼り(背の崩れを防ぎ、形を整える)、やすり掛け(背・表紙とも丸みを与える)などの工程で一つ一つの形をきっちり作っていきます。

 下拵えの終わった本は革やクロス(裏打ちした布)でくるまれます。今回のゲストブックでは革に比べ技量の要らないクロスを使用しています。ここで外見は出来上がりのようになりますが、内側にもうひと手間かけます。表紙裏に、折り込まれたクロスと同じ厚みの紙を貼り、その上から見返し(表紙を開いた時に見える色のついた紙)を貼ります。こうするとクロスの折り込みが全く見えないように仕上がります。また、外はクロス一枚、内は紙二枚が貼られている状態になり、表紙はわずかに内反りがかかって本の丸みが強調されます。(クロスや紙は糊を引くとのび、乾くと縮むので枚数多く貼ったほうにより縮みます)。

 このように手間をかけて精神の文化である文章や絵を工芸という物質的文化でつつんだこの合体こそがフランス製本を成り立たせているのです。ルネサンス時代の官吏グロリエから歩みはじめたフランス製本の長い歴史で、このスタイルが完成したのが19世紀末から20世紀初のブルジョワジーの勃興期です。お金を持った資本家、企業家、官吏である愛書家が自国の文化とみずからの欲望とに、誇りを持って多額をつぎ込んだ時代です。このような工芸製本が手芸的な趣味として広く日本に紹介されたのは1970年代でそれから少しづつ認知度を上げているように思います。表面的には革や金装飾に象徴される西洋崇拝とも見えますが、その深層心理は見えない本の肉体にたいする欲求不満なのではないかと思います。今書店に並んでいる本はハードカバーのものにしても規格どおりで、そのうえ色とりどりのジャケットにおおわれているので本の肉体など意識のしようもありません。明治時代に出版としての和本の伝統はとぎれ、一方洋式製本として入ったものは機械による量産法のみでした。その結果抜け落ちたのが夢想をさそう本の体、すなわち工芸的部分なのだと思います。媒体としての本の役割が終わりつつあるように見える今、失われた本の体を個人的趣味として復活させたいというのが手芸的工芸製本の流行なのだと思います。けれども大金をつぎこんだフランス製本の肉体に、それに比べればはるかにつましい現代日本の趣味的世界を合致させるのは少し無理があります。今の私たちの心を盛るには全く違った体が必要な気がします。フランス製本から学ぶべきはその形ではなく方法、さらには方法ではなくもの作りの考え方・感じ方です。そういう意味でこのゲストブックという書き込み式の、まだ中身の無い本でその雰囲気を味わってもらうのも悪くないと思っています。

 本の楽しみとは何か。それは一冊の本は一つの世界を持っていて、そこに心を遊ばせ、入ってしまうことができるということだと思います。そんな楽しみを実体のある本に作る、ここにも本の未来の一つがあるはずです。

(山崎 曜)


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