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キュリー夫人と放射線の一世紀

一九九九年十二月七日(火)
谷村幸愛

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 末尾に掲げる配付資料により、読書会形式で行なうことを初めは考えていたが、当日学生から年配の方までの十数名来会されたので、共通の関心事かもしれない初歩的な話題を取り上げることにした。
 100年前にさかのぼる19世紀末には、最も基本的で最も重要な発見が4年連続した。1895年11月8日、レントゲンによってX線が発見されると、それからわずか四ヶ月後の1896年3月2日、Henri Becquerel (仏)は放射能の発見を報告した。この二つの発見は互いに無関係ではなく、X線の発生の仕組みを検証する過程で、放射能が発見されたのである。当時ベクレル線と呼ばれた、写真乾板を感光させる、この未知の放射線の正体はβ線であることが、のちにわかった。放射能の発見に心を引かれたキュリー夫妻は、共同でピッチブレンドと称する、ウランを含む鉱石の放射能を研究した結果、2年後の1898年7月に、まずポロニウムの、その半年後の12月にラジウムの、発見を報告したのである(資料1,2,4,5,8)。しかも、その前年には、J. J. Thomson (英)によって、電子が発見されている。
 以上がラジウム発見に至るいきさつである。キュリー夫人の名とともに、誰もがその名を知っているラジウムが、癌の治療に長年用いられてきたことも周知のことである。これに対して、第1次大戦中、夫人が自らの意志で、戦野でのX線医療というボランティア活動に献身し、軍医たちにX線装置の取り扱いを教えて、負傷者の救命に大きな力となったことや、社会の各層から参加したボランティアの女性たちにも同様の訓練を行なったこと(資料6,8)を知る人は少ないと思われるので、この点を強調したい。夫人を題材とする映画・演劇でも、そこまでは触れていないようである。
 ところで放射能とは、原子核が自発的に崩壊してα線、β線、γ線を放出する性質のことで、これを radioactivité と呼んだのは、ほかならぬキュリー夫人であった。α線、β線を発見したラザフォード(E. Rutherford 英)は、のちにα線の散乱実験によって原子核の存在を実証し(1911)、さらに原子核の人工変換にも成功した(1919)。これに対してキュリー夫妻の長女 Irène と、その夫 Frédéric Joliot は共同で1934年に人工放射能を発見した。言い換えれば、原子核の人工変換に伴って、放射能をもつ核種が初めて出現したのである。以前は radioisotope と呼ばれ、放射性同位元素あるいは放射性同位体というのがその訳語であるが、今日では放射性核種(radionuclide)と呼ばれることが一般的になってきている。にもかかわらず、我が国では RI という和製の略称も通用している。
 これより先、1932年には、Chadwick (英)によって(陽子とともに原子核を構成する)中性子が発見されて、原子核の基本的な構造が明らかになった一方、中性子線が原子核研究の上で有用な放射線であることが認識された。ドイツのO・ハーン(Otto Hahn)たちは中性子線を用いてウランの核分裂を発見し(1938年)、これが今日の原子力時代の扉を開く端緒となった。資料7はウランの核分裂生成物を説明する上での補助手段として配付したものである。
 原子力は、人も知るごとく、科学技術の光と影を象徴する代表的存在である。ピエール・キュリーの言葉(資料3)にある「ラジウム」を「プルトニウム」に置き換えれば、深く共感されるであろう。原子力の恐ろしさの一面において、放射線核種(RI)その他の各種放射線が、医療をはじめ、農業や各種工業、あるいは考古学等に用いられ、人類に多大の恩恵をもたらしているのも顕著な事実であって、資料8,9はそのことを語るものである。

配付資料

1.キュリー夫妻ラジウム発見報告の原文
"Sur une nouvelle substance fortement radio-active, contenue dans la pech=blende" (en commun avec G. Bémont), C. R. (Comptes-Rendus Hebdomadaires des Séances de l'Académie des Sciences), Tome 127 (1898) 1215-1217.
2.キュリー夫妻ラジウム発見報告の訳文
「ピッチブレンドに含まれる強力な放射能をもつ新しい物質について」(「キュリー家の人々」、ウェージェニー・コットン著、杉捷夫訳、岩波新書 539,p. 194-197)
3.ピエール・キュリー、ノーベル物理学賞受賞講演(1903年)の結びの言葉の原文(キュリー夫人著 PIERRE CURIE, Editions Denoël, Paris, 1955 の巻頭に掲げられたもの)
4.キュリー夫人が、その著 PIERRE CURIE の中で、ラジウム発見に至るまでのいきさつを語った言葉の原文(同書の p. 59 の 17 行目から p. 61 の 10 行目まで)
5.上記資料4の拙訳
6.第一次大戦下におけるキュリー夫人の戦野でのX線医療活動(いわばボランティア活動のさきがけ)に関する記述の訳文。上記2項「キュリー家の人々」p. 105-111 (原著 Les Curie et la radioactivité, Editions Séghers, 1963 は日仏会館にあり)
7.元素の周期表 森北出版、『化学辞典』
8.(社)日本アイソトープ協会のラジウム発見100年記念冊子 キュリー夫人とその家族—ラジウムと人工放射能の発見の功績
9.同上協会のアイソトープ・放射線利用100年記念冊子 アイソトープ・放射線 発見から利用—歴史を築いた人々


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