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第13回
エマニュエル・トッドとヨーロッパ歴史像の転換—6月来日を前に—

石崎晴己 青山学院大学教授
2000年 5月29日(月曜日)

 エマニュエル・トッドはケンブリッジ大学出身(歴史学博士)で、国立人口動態研究学院研究員。ポール・ニザンの孫に当たり、文芸評論家オリヴィエ・トッドの息子である。ソ連邦が強勢を誇っていた1976年に、その崩壊を予言する衝撃的な本『最終的転落』 La Chute Finale を25歳の若さで上梓し、センセーションを巻き起こした。ついで『第三の惑星』 La Troisième planète 1983 で、全世界の家族制度の包括的な研究を行い、各家族制度がそれぞれ特定のイデオロギー・システムと対応する関係を究明した。すなわちメンタリティーとイデオロギーは、家族制度のタイプによって説明することができるということを確定したのである。
 これに続いて1990年に L’Invention de l’Europe (邦訳タイトル『新ヨーロッパ大全』)を上梓。これは研究のフィールドを西ヨーロッパに正確に限定し、地域単位を精密に画定した上で各地域単位の家族制度を調査し、ヨーロッパにおける家族構造のタイプの分布地図を作り上げ、そのデータに基づいて、近代性というものを構築したヨーロッパ近代五〇〇年の歴史を説明しようとする試みである。
 その後トッドは、西欧四大国(アメリカ、イングランド、ドイツ、フランス)における移民と民族的マイノリティの問題を、やはり家族制度によって解釈・説明しようとする、『移民の運命』 Le Destin des Immigrés (1994)と、初めて経済学に全面的に取り組み、ユーロ単一通貨政策とグローバリゼーションを痛烈に批判した『経済幻想』 L’Illusion économique (1998)を著わし、そのいずれもが最近邦訳されている(いずれも藤原書店)。そのトッドが、このたび沖縄サミットの一環として国際交流基金が企画した国際シンポジウム「二一世紀の展望」にパネリストとして参加するために来日することとなった。そこでトッドの訳者である私に、彼の学説・教義について語るよう勧められたものである。
 私は『新ヨーロッパ大全』と『移民の運命』の訳者であるが、本日は主に『新ヨーロッパ大全』について、彼が確定した家族制度の類型学と、それに基づいて彼が描きだしたヨーロッパ史の新たな姿とについて、お話し、余裕があれば『移民の運命』が描きだす、現代西欧諸国の姿についてもお話したいと思う。
 トッドは、伝統的な家族構造において、親子関係が自由主義的か否(権威主義的)か、兄弟(姉妹)関係が平等主義的か否か、という二つの判断基準を立て、そこから次の四つの家族制度を導きだす。それはいずれも外婚制を基盤とするものであるが、トッドによれば、ヨーロッパにはまさにこの四つの型が存在し、他のものは(少なくとも有意的には)存在しない。これを表で示すと、以下のようになる。

家族制度(型) 親子関係 兄弟(姉妹)関係 価値(観)
絶対核家族 自由主義的 平等に無関心 自由のみ 差異主義
平等主義的家族 自由主義的 平等主義的 自由・平等 普遍主義
直系家族 権威主義的 不平等主義的 権威・不平等 差異主義
共同体家族 権威主義的 平等主義的 権威・平等 普遍主義

 なお、二つの判断基準が具体的に何によって測られるかというと、親子関係については、成人(結婚)した子供の親の家への同居の有無、兄弟関係については、遺産相続規則である。典型的な直系家族では、兄弟のうち一人の跡取りだけが、結婚のあとに親の家に居住し続け、全遺産を相続する。残りの者は家を出て、他家に入るか、僧侶になるか、軍人になるか、異郷で一旗挙げるかしなければならない。例えばイングランドの絶対核家族では、子供は早くから家の外に奉公に出され、成人(結婚)すると親の家を出る。また遺産相続では、遺言によって好きなように分配することができる。平等に無関心なのである。
 トッドは、フィールドとして確定した西ヨーロッパ地域を、規模においてフランスの県に該当する各国の地方行政単位を選び出し、それによって、483の地理的単位に分割して、各単位ごとの家族制度を確定し、西ヨーロッパ全域の家族制度分布図を作成する。それはわれわれが見慣れた、国境で分かれる国単位の地図とはまったく異なる、異様な図柄を提示するのである。以下は、各家族型がどの地帯に分布するかのおおまかな一覧表である。

絶対核家族 グレート・ブリテン島の大部分(西側沿岸部を除く)、オランダの主要部(沿岸部)、デンマーク主要部、ノルウェー南部、ブルターニュ(フィニステールは除く)
平等主義核家族 パリ盆地を中心とする北フランス、イタリア北東部(ロンバルディア、ピエモンテ)およびフランスの地中海沿岸部、イタリア南部とサルディニア、シチリア、スペインの大部分(北部沿岸部を除く)とポルトガル中部
直系家族 ドイツ圏全域(オーストリア、ドイツ語圏スイスを含む)、スウェーデン、ノルウェーの大部分(南部を除く)、スコットランドの大部分(東部を除く)とウエールズを含むグレート・ブリテン島の西側沿岸部、アイルランド、ベルギー、中央山塊を中心とするフランス南部、スペインの北部沿岸部およびポルトガル北部
共同体家族 イタリア中部(トスカナ)、フィンランド

 共同体家族(正確には外婚制共同体家族というべき)は、ユーラシア大陸の主要部(ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ブルガリア、ロシア、中国、インド北部)を占める有力な型であるが、西ヨーロッパでは非常に稀である。直系家族は、西ヨーロッパでは最も有力であるが、他には日本と韓国・朝鮮にのみ見られる。よく指摘される、西ヨーロッパと日本の歴史の類似は、これが原因と考えることもできよう。例えば日本人とドイツ人の心性・気質の類似も、同様である。絶対核家族と平等主義核家族は、まったく西ヨーロッパ的な家族型で、植民による新世界への普及を除けば、世界の他の地域には見られない。
 トッドはこれらの家族型が、例えば自由と平等、あるいは権威と不平等のような価値観を子供の無意識に植え付け、それによって各地域の心性・気質が形成されると主張する。そして宗教改革以降五〇〇年のヨーロッパの歴史(これは近代性の形成の歴史に他ならない)をこれによって読み解こうとする。それは往々にしてわれわれが表象する、単線的進展という歴史の姿とは様相を異にする、多数の地域の歴史の並行と相互作用からなる複合的な姿である。
 ある地域の心性・気質は、驚くほど安定・不変である。例えば宗教改革において、予定説による不平等な救済の絶対性を信ずるプロテスタント貴族に対して、万人に平等に可能とされる、自由意志による救済への接近の可能性を信ずるカトリック民衆は、パリ盆地の平等主義核家族により生まれ育った者たちであり、聖バルテルミーの虐殺の張本人たるパリの民衆の自由と平等への信頼は、そのまま二〇〇年後にフランス大革命となって爆発する。パリの民衆はすでにこの時、二人の国王を殺すのであり、ルイ・カペーは三人目にすぎない。
 プロテスタントの中心勢力を貴族(小貴族)とするのも、トッドの卓見であり、ウェーバーによるプロテスタンティズムと商工業者の関連づけへの、痛烈な反論である。直系家族は、群小貴族の輩出を促すものだが、プロテスタンティズムは、その天上的な不平等主義と併せて、社会的基盤のあり方からしても、二重に直系家族に適合していると言うことができる。通常の単線的歴史像では、プロテスタント宗教改革は一つの歴史の進展であり、フランス大革命はその延長線上にあるさらなる進展と表象されるが、ご覧の通りトッドの歴史像は、それを完全に転覆させている。
 さてトッドが近代化の要件と規定するものは、識字化、脱キリスト教化、工業化、そして複合的要件=指標としての受胎調節である。これらも各地域で一律に進行したわけではない。ここでは脱キリスト教化についてのみ述べることとするが、彼は脱キリスト教化は断続的に次のような時期に進展したと言う。

第一期 1730−1800 カトリックの平等主義核家族地域(フランス、スペイン、南イタリア)
その原因は17世紀科学革命
第二期 1880−1930 プロテスタント地域(ドイツ、スウェーデン、イングランド)
その原因はダーウィン革命
第三期 1965−1990 直系家族地帯のカトリック(ベルギー、カトリック・ドイツ、オーストリア、
スペイン北部、フランス南部、アイルランド)

 これまでわれわれが目にしてきたいかなる時代区分とも異なる、まことに驚くべき時代区分ではないか。
 トッドによれば、受胎調節とは、識字化と脱キリスト教化との合成である。それが開始したのは1770−1830のフランスにおいてだが、まさにここにおいて脱キリスト教化の先進地帯で、識字化が然るべき水準に達したわけである。識字化の先進国(ドイツ、スウェーデン)では脱キリスト教化が進展しておらず、他の脱キリスト教化の先進地帯(スペイン、南イタリア)では識字化が進展していなかった。
 天上に求めていた救済と理想の国を地上に建設しようとする近代イデオロギーの成立要件も、トッドによれば、識字化と脱キリスト教化の合成である。近代イデオロギーの最初の発現が大革命としてフランスで起こったのは、まさにその故に他ならない。
 フランス大革命以降、労働者階級の出現によって、階級を基盤として地上の理想の国の建設を目指す社会主義イデオロギーと、民族を基盤としてそれを目指す民族主義イデオロギーとが、出現する。それはもちろん各家族型が産出する基本的価値を体現しており、この左と右のイデオロギーは、それぞれの地域で同じ価値を共有するのである。それに加えて、脱キリスト教化が完了していない地域で、キリスト教勢力が近代イデオロギーから身を護るために、近代的政党を作り出す。これをトッドは、反動的宗教イデオロギーと名付ける。これらのイデオロギーを表で示すと以下のようになる。

基本的価値 社会主義 民族主義 反動的宗教
イデオロギー イデオロギー イデオロギー
平等主義核家族 自由と平等 無政府社会主義 自由軍国主義 キリスト教共和主義
直系家族 権威と不平等 社会民主主義 自民族中心主義 キリスト教民主主義
共同体家族 権威と平等 共産主義 ファシズム
絶対核家族 自由 労働党社会主義 自由孤立主義
(ゼロ社会主義)

 以下、トッドは各国ないし各地帯での近代イデオロギーの展開を具体的に記述する。例えばフランスの自由軍国主義は、ボナパルティスム、ブーランジェ主義、ド・ゴール主義として現象する。その無政府社会主義は、現代においては強力な共産党として現れるが、この共産党は、下部のイニシアチヴの強さ等、無政府主義的様相を色濃く示すとともに、中央部フランスにマイノリティとして存在する共同体家族が、その共産主義的部分の主たる支柱となっているのである、等々。
 この展望をお示ししたところで、私の話を終わりたい。

(文責・石崎晴己)


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