上の絵は作者、出所不明です

森 久紘のプロフィール

なぜ、自分はここにいる

自分の存在というものを深く静かに考えると不思議である。森政弘は「心眼」という本の中で、次のような意味のことをいっている。「ぼくが、今ここにいる原因は、母から生まれた。さらに先祖をさかのぼるとサルから爬虫類、アメーバへ。もっと先は通常生命がないと思われている分子から原子、そして素粒子までいってしまう。このように考えると連綿とこの宇宙のあらゆるものを生かしている筆舌に尽くしがたい絶妙なからくりがあることが分かってくる。そしてこの宇宙(大生命)に対して畏敬の念がわいてくる。さらに、この自分自身もこの大きな自然、大宇宙の絶妙な仕組みを構成している一つであることを思うと安心感ができてくる。」心を慰めることができる。自分が死んでもこの宇宙の絶妙な仕組みの一部を永遠に構成していることになる。また「爬虫類も通常生命がないと思われている原子も先祖であり親戚であるということにもなる」と。
九鬼周造 はつぎのような意味のことも云っている。「形而上的絶対者」とは、・・・それは経験的地平から因果的必然の系列を無限に遡って到達する「原始偶然」と、諸可能性の全体としての「形而上的必然」とを両面としてもつ、「充実せる具体的全体」である。そして「形而上的絶対者」とは、宇宙の「おのづから」なる働きそのものを意味している。
また、原始偶然に当面して、人間は驚きの情に充たされるのである。そして、この驚きは、具体的には次のような幾つかの驚きを含んでいる。・・・何故に生まれ、何故に死ぬのであるか。・・・何故に自分は 「この」自分 であるのか。・・・「吾」と「汝」との相互填補性は何の故であるか。・・・何故に真と善と美に憧れながら、偽と悪と醜のとりこであるのか。・・・などなどを挙げ、これらは人間にとって謎である。この謎を全面的に提出するのは形而上的人間である。謎を解こうとして絶えず悶えるのは歴史的人間である。謎に直面して身をふるわすのは自然的人間である。そして、「全人」の前にこの謎はいつになっても解けず、この驚きはいつになっても止まないであろう。と云っている。
悠久の宇宙と今ここにいる「この自分」の眼前をこの現実が刻々過ぎ去ってゆく。

 
森 政弘著、心眼、俊成出版社、昭和51年11月26日発行
ヨースタイン ゴルデル著、ソフィーの世界、日本放送出版協会、1995年6月30日発行


1997年5月11日
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