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善意のリサイクルより大切なもの


2005,4,2



「善意で集められた古紙類(新聞雑誌等の紙類のこと)は決して燃やすわけにはいかない。」
ある市のごみ処理の計画立案で、市の担当者からこういわれたとき、
「これでは古紙類のリサイクルの輪が断ち切られてしまう。」
とっさにそう感じた。バブルが崩壊し、価値が下がって行き場のなくなった古紙類が、雨ざらしになっていた時期である。

○善意のリサイクルとは
 善意のリサイクルとは、市民の善意、ボランタリーなどから行われるものと考える。だから、そのリサイクルで市民が対価を得るようなことはない。
しかし、それだからこそ市民の善意というものは非常に大きな力を持っていて、一度動き始めるとそれには抗うことができない。それが良いか悪いか関係なくである。例えば地球温暖化のためにも森林を守りましょうということで、古紙類は一気に集まる。しかもそれには「善意」という札も一緒についてきてしまうため、取り扱いには細心の注意が払われることになる。直接海外に輸出することができず、国内で新しい紙に再生しなければならない。燃やすなどももってのほかである。それが前出の担当者の言葉につながる。
また、その「善意」の古紙類は半端な量ではないため古紙類の市況が下がると古紙業界の打撃は大きくなる。場合によっては古紙問屋の廃業となり、リサイクルが死滅する場合もありえる。

○古紙類のリサイクルの流れ
ここで簡単に古紙類の流れを説明する。
昔はよく軽トラックで「古新聞、古雑誌、ボロキレ...」と各家庭を回って回収し、代わりにトイレットペーパーを配っていた。これらの資源ごみはこのような事業者に回収されて再び新しい紙に生まれ変わる。特に物資の不足していた時代には古紙類は非常に貴重な資源であり、高く取引されていた。
ところが時代が下り国が豊かになると、紙そのものの価格も下がりその原料でもあった古紙類の価値も下落した。そして回収業者は安い紙類を集めてもトラック代にもならないということで次々と廃業していった。そして古紙類は可燃ごみとして多量に燃やされることになった。しかし古紙類の市場への供給が少しでも落ち込み値段が上がってくると、にわかに業者が回収に回るようになってくる。 そして再び大量の古紙類が市場に出ることになり市場価値がなくなると収業者は店をたたむことになる。

○リサイクルにはお金がかかる
実際にはこれに海外輸出が入り複雑に入り組んだ構造になっているが、古紙の回収量の増減は市況という神の手にゆだねられるため、古紙類の市場価値はある程度一定に保たれていた。
しかし、そこに「善意」の古紙類が入ってくるとどうなるか。ちょっとした気分で古紙類を分別して出すと、古紙類の市況は一気に下がってしまう。昔ならばそういう状況下で回収業者は回収をストップし、古紙類は可燃ごみとして処理され市況が良くなるのを待っていればよかった。しかし自治体が音頭をとって古紙を集めましょうと言っているため、自治体は多額の税金を払ってまでも「紙として」リサイクルしようとする。
仮に市況が下がり古紙が余剰になった場合、可燃ごみの量や発熱量が少ない時期であれば助燃剤として利用することにより、ガスや重油のような化石燃料の消費を減らすことができるであろう。

自治体の行っている「ごみ処理」は営利目的ではなく公共の福祉に基づいているため、市場価値のあるものだけ集めましょう、ということにはならない。一度集めだしたら市況云々にかかわらず集めて資源化しなければならない。しかもリサイクルのやり方まで限定されている。市況が上がれば収益になるが、下がれば逆有償(資源なのにお金を払って処理してもらうこと)となる。

○リサイクルには限界がある
このような状況を打破するためには王道はない。ごみそのものを減らさなければならないのだ。場合によっては集めた資源を燃やすという「良識」も必要であろう。

ところで、現在のごみ処理といえばリサイクルが主流である。それはごみ処理の手法としては、かつての焼却・埋立の次に楽な方法であるからだ。人々も環境によいということで大いに賛同した。しかし、自然界のように100%循環されることはできないため、それがいつの日か破綻することは目に見えている。人間の行うリサイクルには限界があるからだ。
○上流のリサイクルはうまくいっている
話が前後するが、ここでいうリサイクルとは商品が最終消費者に行きわたってから、その結果のごみを資源化して上流の原料に戻すということをいっている。
「上流」といわれる生産現場の資源化は、極めてうまくいっているようである。例えば塩素のリサイクルなどは実にうまくできており、ソーダ工業では多量の塩素が廃棄されずに塩ビとしてリサイクルされているし、同様に副産物として発生する水素も新たなエネルギー源としてリサイクルされている。また、製紙工場では紙を作るときに出る「黒液」は燃料として利用されているし、ビール工場ではビール粕を飼料として有効利用している。しかもこれらの廃棄物はほぼ100%リサイクルされている。
このような上流のリサイクルがなければ、資源に乏しい日本はたちまち資源不足に陥ってしまうだろう。

○物質的なリサイクルが成り立たないことも
ところが最終消費者に回ったごみを資源化するのは、ものによって大きく異なるが大変難しいものがある。ここで述べている古紙類にしてもこの有様である。ましてや家庭から出るプラスチックの物質としてのリサイクルなどは現実的に不可能ではないだろうか。
プラスチックを物質としてリサイクルしているところもあるが、物質収支、エネルギー収支の観点からは何も考慮されていない。さらに経済的には収集運搬・処理を含めてトン当たりおよそ20万円もかかり、バージン材をそのまま購入する価格の2倍以上と非常に高価である。そして再生品はほとんどがまともに使用できないような代物である。それをリサイクルと称しているのははなはだ疑問である。ちなみにプラスチックを可燃ごみと混ぜて熱や電気として回収すると、4〜5万円で済む。
○減らすことが先決
それでも善意のリサイクルは日々熱心に行われているが、資源ごみといえども発生量を減らすことが先決であろう。先にも述べたが、時には集まりすぎた資源を燃やすという英断も必要だと思う。



   
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