資本主義と環境主義
2000,6,12
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一般的に資本主義の対抗の言葉は社会主義といわれている。
しかし,社会主義が崩壊した現在,新たに環境主義が興っている...
資本主義の行きつくところ
資本主義で食っている人も、それを批判している人も、また、共産主義の世界で生きている人も、この地球にいる限りは全て資本主義という枠組みの中で活動していることになる。
私の国は社会主義国家で、国が生産量を計画していて、私たちの給料は補償されているという人がいたとしても、その人は資本主義という大枠の中で発言しているに過ぎない。
つまり「マネー」が必要な限り、どういう形態にしろ資本主義なのである。
旧ソ連でも、共産主義に向かっていくと口ではいっていても、結局人々は「マネー」が必要だったのである。そのマネーの役割は共産主義であったとしても、単に便宜上の交換レートを決めるものではなく、人々の欲望の大きさを計るものになってしまう。
仮に、共産主義を理想としている人にこう言ってみたらどうなるか?
「あなたの財産を全て私に預けてください。もちろんあなたの最低限の生活は保障しますよ。」
その人は怒ってしまうだろう。
簡単に言えば「奴隷」になれと同じ意味になってしまうからである。
共産主義と奴隷制度は似たような物があるのかもしれない。国が支配するか、個人が支配するかの違いしかない。
しかし、その共産主義でも奴隷制度でも、資本主義のたなごころの上で成り立っているに過ぎない。やはり共産主義であれ奴隷制度であれマネーを欲しがるのである。
人間が文明を持った時点から資本主義が始まった。
ここではその歴史を述べるつもりはないが、その将来について話すことにする。
結論から言うと「自動集金システム」という言葉に行きつく。
かつての資本主義では、集金が非常に難しかったため力ずくで取り立てるしかなかった。
時代を経るにつれ、年貢という形で合法的に「集金」していたが、やはり物を集めていたため取り立ては容易でなかった。
それから時がたつと庶民もお金を持つようになると、税金という形になり非常に集めやすくなった。
現代はその延長上であり、お金に替わって「電子マネー」が主力である。これで益々税金の取り立てが楽になった。
一方、企業側の集金システムも巧妙になり、プリペイドカード、リボルビング支払い、投資信託など、いろいろと考えられている。
将来的には、給与支払いから支払いまで全て一枚のカードに統合され、完全に近い「自動集金システム」ができあがる。
例えば企業が広告をうつと、自動的に製造、流通を経て販売され、人々はカードを使い買い物をし、企業にマネーが振り込まれることになる。この間のお金のやりとりで「お金」そのものを見ることはない。
人々は必要と思われれば買い、お金が足りなくなれば働いて補充する。
このような、行政側、企業側の行動は人々の金銭感覚を奪う。かといって詐欺まがいの商法は禁じられている。
次の時代では、電子マネーは世界共通になり、国境の意味がなくなる。
この動きは現実となっている。マネーの動きの大きさはイコール資本主義の発展でもある。
人間は資本主義を発展させる気質を備えている。気質とはマネーに対する欲望と、マネーの大きさで価値を判断することである。これは宇宙の原理かもしれない。
資本主義への対抗---環境主義
前章では資本主義が人間の本性にいかに合致しており、かつ人間にとって合理的かを述べた。
本章ではこの資本主義に対抗する環境主義について述べる。
環境保全を環境主義と勘違いしている人が多い。
環境保全とは、人間の活動で汚染された環境を修復することである。つまり、これは資本主義の尻拭いにすぎない。
また、環境保全自体マネーを必要とし、利潤を追求しているため、資本主義の活動の一部に違いない。
環境主義とは環境保全の前にやらなければならないことである。つまりエネルギーを使うことをやめることである。人間も自然本来の生き方をすれば、環境破壊は起こらないはずである。
資本主義の本質はマネーに対する欲望であって、環境を守ることではない。環境を守ることが一時的にお金を生むこともあるが(地球全体を考えると環境に優しい行動を全ての人間が行ったとしたら、地球上の経済は成り立たないだろう。)それは、一部分の人が行ってはじめて成り立つ。
人間の本性を「怠け者」で「強欲」と仮定すると、資本主義は正に人間にとって最良の生き方である。つまり楽な方法でお金を稼ごうとするのである。
一方、それに反発するように、「勤勉」で「無欲」な活動はボランティアーと呼ばれる。
環境主義はこのボランティアーにより支えられている。
地球上には「怠け者」で「強欲」な人と、「勤勉」で「無欲」な人とどちらが多いか?
資本主義はある人が手を抜くと他人が儲かってしまうが、環境主義は手を抜くと地球全体に影響がでてしまう。
それほどシビアな問題なのだが、人間の大部分は気がついていない。
私が環境主義者である場合は、ほとんどお金を使わない。しかし、長くは続かない。気をつけていても資本主義者によって引きずり込まれてしまう。資本主義、環境主義の双方で生きている。これは誰でもいえることなのではないか?
つまり、エネルギーを一切使わない時間は誰にでもあるのではないか?
環境主義の新たな定義として、エネルギーを一切使わない時間といえる。
例えば、環境主義者を自認している人が、公共の交通機関を使い、エアコンのない会議室で、リターナブルビンのミネラルウォーターを飲みながら、再生紙を使った資料を使い環境に優しい活動について講演したとする。
一方、浪費家のある人が公園でボーっと過ごしていたとする。
どちらが環境主義者かというと、後者の浪費家なのである。
個々の人が、人生の中で環境破壊をする時間と環境保全をする時間でどちらが長いか、と問われると、いわゆる環境主義者の方が長いと思う。
しかし、単なる貧乏人の方が遥かに使用エネルギー量は少ないのである。
改めて資本主義と環境主義を定義してみる。
資本主義とは人間活動そのもので、環境破壊、環境保全が含まれる。それに対峙する言葉は環境主義で環境に対して負荷0の活動である。(一般的にそのような状況が続くと自然は自己修復する)
環境主義は資本主義を手なずけることができるか?これは人間が一致団結して「怠け者」で「強欲」から、「勤勉」で「無欲」に変わることができるかと同義である。