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MY PHILOS

環境に関する世界戦略

2002,1,1

20世紀後半は、人類が初めて地球環境の大きさに気付いた世紀である。そしてその基礎知識を基に21世紀がスタートした。

それから1年、人類はどれほど成長したのだろうか?

地球環境に関しては"0"といっても良い。否、日本においては後戻りした感もある。これは日本経済の後退とともに環境に対する認識(予算の配分)が落ちたということではない。むしろ予算の配分は多少上がっており、環境に対する意識も上昇している。日本は既に1億総"環境主義時代"に突入している。

ところで、経済・環境問題ともに対極であるヨーロッパ、米国ではどのような状況になっているか?

人々の心までは計り知れないが、ヨーロッパでは通貨統合への一連の流れに沿うように、環境政策も統一の流れがあり、それが着々と実を結んでいる。

・包装材および包装材廃棄物指令

・廃自動車指令

・廃電気機器指令

・家庭用紙製品に関するEUエコラベルの認定基準

・電気電子機器に含まれる特定有害物質の使用制限指令

等々

と極めてシステマティックな体系作りが進んでいる。これらの一要素を決定するのにも3年も5年もの歳月をかけて綿密に議論していく。この課程にはヨーロッパ人特有の"合理主義"の精神で検証しているものであり、極めて強固な体系といってもよい。

他方、米国ではヨーロッパの政策を批判しながら、これも更に強固なシステム作りをしている。しかし、最近の京都議定書への批准の拒否は有名な話であるが、これは主に政治的な理由(特に経済に対して悪影響を及ぼす等)がとかく全面に出て報道されている。ただし、米国の環境に関するレポートの数は世界でも有数であり、それらを根拠にいくらでも科学的な理由はつけられそうである。

いままさに環境に関する圧倒的な数のレポートを基に環境政策を作っている段階と行っても良い。

このような世界状況の中でもう一つの極であるべき日本の政策はどうであろうか?

これが非常に心許ないのである。

環境法体系を見ると、最近リサイクル関連法が次々と施行されたが、お互いの関連性、特に上下関係はないに等しいのである。その場の雰囲気(国民の感情といってもよい)で作ってしまったものが多いように感じられる。確かに環境基本法そのものだけに関していえばすばらしい理念に基づいたものであるが、下位の法律との整合性が取れない部分がある。

例えば廃棄物に関していうと、本来上位の法律である環境基本法で「廃棄物」の定義をするべきであるのに、その下位の循環型社会形成推進基本法のそのまた下位に当たる廃棄物処理法で定められているため、廃棄物に関する法体系に不安定さを与えている。(ちなみに「公害」に関しては、環境基本法の前身が公害対策基本法であるため、しっかり定義付けられている。)

また、容器包装リサイクル法に至っては既に内部矛盾を呈しており、法律の非科学性から、同じ材質であっても使用目的によって異なる扱いをせざるを得ない。既に90%以上リサイクルという名目で焼却されているプラスチック容器包装に関しても"ケミカルリサイクル"という曖昧な表現を使い急場をしのいで処理している。

世界の3極(日本、ヨーロッパ、米国)は地理的な位置関係からも経済・環境問題でお互いに牽制しながらバランスを取らなければならないはずなのに、その肝心な経済・環境で日本は既に遅れを取ってしまっている。

日本に課せられた責任は、このような遅れを取り戻すため環境問題に関していえば、早急に法体系を見直すような世論及び人材を育てていくことである。