The Waste and Garbage Club Home Page
Think scientifically , Act locally−−科学的に考え、地域的に行動する
2004,8,23
「環境問題」という言葉が現れてから数十年経つが、この言葉が独り歩きしはじめ、本質を見失っているような気がする。
"Think globally,Act locally"(地球的に考え、地域的に行動する)という合言葉の元、人々は環境問題解決に動いているのだが、この言葉自体も最初からボタンのかけ違いがあったような気がする。
20世紀末、1970年頃から環境問題ということに人間は気づき始めた。1972年に発表されたローマクラブの「成長の限界」に端を発する。人間が始めて地球の環境容量を認識し始めたのである。その後、1992年のアジェンダ21、1997年の京都議定書と一定の路線で地球環境問題解決のために世界各国が立ち上がった。これらの動きはますます大きくなり、確固としたものになっていく。もうその動きに異義を唱えることが難しくなっていかのようである。
本当にそれで良いのだろうか?
誰も地球そのものを見たり感じたりする人はいない。現在は世界中のどこで事故や環境破壊が起ころうが即座に知ることができるが、それはごく断片的なもので、全体に対してどの程度影響があるか分からない。観測技術の粋を結集させているので、将来は全体像が分かるかも知れないが、少なくとも現在は地球全体の状態などは分かっていない。
環境に対しては怪しいと思ったら行動しよう、というのが一つの掛け言葉であるが、実際に環境に影響があるかどうかで判断しているわけではない。「後悔しない選択」といってしまえば、それまでだが、後悔してしまう選択もあるようである。まだ結論するには時期尚早であるが、例えば京都議定書に代表される温暖化ガスの削減などは、アメリカが離脱し、ロシアが参加せず既に風前の灯である。日本も削減の方向性が定まっていないし、削減の効果も定かでない。また、これを達成することにより世界経済が落ち込むといわれる。これは後悔する選択であるかもしれない。(結局発効せずに後悔することがなくなるかもしれない。)
もっと身近なところで「ボタンの掛け違い」を考えてみる。
グリーンコンシューマーという言葉がある。環境にやさしい行動を取るということで、買い物、食事、ごみ捨て...全ての日常の行動に指標がある。この指標というのは実に微視的なもので、個々の行動だけを対象としたもので、全体の行動指標というものではない。具体的に言うと、環境マークの入ったものを買うとか、資源回収に協力するというものである。これらの細かい行動をどういうように統合すると環境に良くなるかは個人に任されている。だから、この組み合わせによっては、逆に環境に負荷をかけてしまうこともある。例えば、消費電力の少ない製品に買い換えようとして、現在の製品を廃棄してしまうようなことである。その製品の製造するエネルギーと、市場に出て使用されるときのエネルギーを比較すると、製造するエネルギーのほうが大きいことのほうが多い。であるから大概の場合、買い替えは環境負荷が大きくなる。
また、優先順位を考えないとまるっきり予期したものと反対の結果が出ると考えられる。
例えば、100のうち99までグリーンコンシューマーとしての行動を取ったとしても、その日に自家用車を走らせたら、全てが水の泡である。
また、グリーンコンシューマーの定義も2つの考え方がある。
「道徳的」に行動するか、「科学的」に行動するかの違いである。
例えば、ごみの分別を考えると分かる。道徳的には地域の分別方法に従って、プラスチックを分別して出さなければならない。地域によってはきれいに洗って出すところもあるだろう。しかし住民がそれを忠実に守ったらどうなるだろうか。プラスチックを洗うことにより下水や公共水域を汚してしまう。さらにプラスチックは空気を運ぶようなものなのでたくさんの軽油を使い運ばなければならない。また、焼却施設はプラスチックが少なくなることによりごみのカロリーが低くなるため、余分に重油などを焚かなければならない。高額な機械や人件費を使い処理し、再生工場に運ぶ。その後の再生にも多大なエネルギーを投じて、多量の廃棄物も出てしまう。このように多大な環境影響を与えてしまうのだが、それに増して財政上も多大な出費をしてしまう。プラスチックを分別収集し再生すると1kgあたり200円程度掛かってしまう。しかし、焼却すればその4分の1の50円ぐらいである。これは私たちの税金で賄われることになる。しかし、道徳的には地域の分別には協力しなければならない。
科学的に考えれば、プラスチックは分別せずに焼却することである。カロリーがオーバーする分はごみそのものを減量すればよいのである。
また、別の考え方もある。それは地域的に行動するか、地球的に行動するかである。
卑近な例だが、庭の水遣りは地域的には非常に重要なものである。毎日少しずつでも水を遣らないと地面が乾燥し、やがては草木が枯れてしまう。それは自分の家だけでなく、ひいては地域全体が枯れることになってしまうだろう。現に広域的に水遣りを行うのにタンクローリーを稼動させることもある。地域的には環境は保全されることになる。しかし、使うエネルギーは膨大である。水はただで手に入るわけではないからである。
もし地球的に行動するのであれば、土地が乾燥するとしても放っておくしかない。例えその日照りで一国がなくなったとしても、地球全体としてはバランスが取れたものになるであろう。
このようにグリーンコンシューマーという言葉一つを定義するのも難しい。何を指標にしていいのか分からない。これが、環境保護全般に広げるとさらに分からないものになる。
道徳的に行動するか、科学的に行動するか。地域的に行動するか、地球的に行動するか。
私は環境保護は科学的にかつ地域的に行わなければならないと思う。
かつて"Think globally , Act locally"(地球的に考え、地域的に行動する)という言葉があった。これは、地域的な積み重ねで地球環境を良くしようというものである。しかし、先にも言ったように人間には地球を感じることはできない。また地域的な積み重ねで地球環境が良くなるかどうかは分からず、その地球環境の定義さえ定かではない。そこで、この言葉は次のように変えなければならない。"Think scientifically , Act locally"(科学的に考え、地域的に行動する)
つまり、地域社会を良くすることが大事なことで、その地域をよくするために科学的に考え活動することが大事である。とにかく地域の環境が大事である。
人間が地球的に物を考えることはまだまだ先のことである。