人は地球に共生しているか、寄生しているか?

1999,9,21

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「共生」という言葉を、共に生きそれが双方にとって有意義であり、またお互いに持続すると定義する。

一方「寄生」を、一方が他方から一方的に搾取し、それが持続すると定義する。

 

廃棄物から見ると、一口に産業の発達度合いにより、どちらに解釈されるか変わってくる。

産業が未発達のとき、輸入する資材が極端に少なく、それを補うためになるべく物を有効に使ったり、簡易な包装にしたりする。

具体的には耐久品は人手をかけてでも修理し、長い期間使おうとする。容器包装の類は、洗ってでも使う。

この場合最終的に廃棄されるものが少ないため、多くが自然に帰ってしまう。このような状況では、有害物質の使用量も極端に少ない。また、同時に土地が広大な場合が多く、人為的な処理をしなくても、ほとんどの廃棄物が自然に戻ってしまう。

このような場合、人は地球に「共生」しているといえる。

 

時がたつにつれ、このような状況は変化する。

産業が発達した場合、資源は資源を生み、産業は相乗的に発達する。人は少しでも効率よく働くために、廃棄物をより多く作り出す状況を作りだす。(人は廃棄物で時間を買っている。このことについては後日)

人間の商品は非常に多岐にわたり、量ともに増加する。また、商品の耐久性があがったにもかかわらず、製品寿命は短くなる。これらが意味することは、さまざまな材質の多量な廃棄物が生み出されることを意味する。さまざまな材質の中には、廃棄物になると有害物になるものも、自然に分解されないものある。これらの有害物を含めたすべての物質は地球から一方的に搾取したものである。

また、多種多様な物質はもはや自然に帰ることはできなくなっている。

この場合、人は地球に「寄生」しているといえる。

 

このような2つの形態は地球上に点在している。一般的には発展途上国と先進国の違い、工業地域と農村の違い、過疎と過密の違い

よって、人が地球に「共生」しているか「寄生」しているかは一概に言えない。

しかし、徐々に共生から寄生に移りつつあるといえる。

 

人類はもう一つの道についても模索し始めた。

「寄生」した状態のまま「共生」しようとするものである。

 

つまり、現在の生活水準を維持したまま持続的な発展を狙うものである。

廃棄物処理から見ると、少ないエネルギーで大量に「リサイクル」させることに他ならない。つまり、大量生産、大量消費を維持したまま、そこに大量リサイクルを導入するものである。大量廃棄が大量リサイクルに変わっただけマシなのだろうか?

廃棄物を安心して捨てられる時代。

これが、次に人類が狙っている社会形態である。

 

これは、一方的に搾取せずに、強引に物質を回してしまうため、「共生」といえよう。

少なくとも地球の浄化能力、資源供給能力の範囲を超えなければ、永久に維持することが出来る。(残念ながら現在はこの範囲を超えてしまっている)

 

地域的には前出の寄生状態からこのような共生(強制?)状態に移りつつある。しかし、エネルギー収支を考えると「共生」とはいい難い面もある。

 

結論をいうと、人類は地球に対し徐々に寄生し始めている。

寄生し始めたのは産業革命という、つい最近からであり、その後徐々に地域を拡大した。今後も更に寄生している地域は拡大する。

廃棄物から見ると、処分場がなくなる状況である。

数年後には、部分的に寄生の段階から移行した「共生」の地域も出てくる。つまり処分場がいらない地域である。