The Waste and Garbage Club Home Page
売れるものなのに「ごみ」?
2005,10,22
廃棄物の定義というものがある。
「廃棄物とは、占有者が自ら利用し、又は他人に有償で売却することができないために不要になったもの」とされている。
さらに、「占有者の意思、その性状等を総合的に勘案すべき...」と続く。
非常に理解しずらい定義だが、国の廃棄物行政は全てがこの「廃棄物の定義」から始まっている。
かつての清掃法(昭和29年制定)では、「ごみ、ふん尿等の汚物」を指していたのだからこちらの方が分かりやすい。
例えば、リサイクル品、再生品、有価物、循環資源と名前をいくら変えようが、「他人に有償で売却」できなければ単なる廃棄物となってしまう。さらに厳密にいえば、例え値がついたとしてもそれ以上の費用が運搬にかかれば、それは廃棄物とみなされてしまう。
例えばA社(工場)から発生するaという品物が1kgあたり1円の価格がついていたとしよう。これならばれっきとした製品である。また、その製品aを必要としているC社(工場)がaを1kg当たり2円で買おうとしている。このaはまさしく有価物であって製品である。ところが、それを運搬するB社(運送業)の運送費が1kgあたり100円かかるとしよう。すると途端に製品aは単なる廃棄物になってしまう。
さらに不思議なことなのだが、B社の運搬距離により製品aの評価が変わってくるのである。つまり1kgあたり1円程度と製品並みの費用で運搬できれば製品として認められるのである。
また、時系列的にも変化する。経済情勢の変化で、製品aが1kgあたり0円以下となれば廃棄物となってしまう。
冒頭でごみの定義ということをいったが、同じ物質でもこれだけころころ変わってしまうのである。定義というのもはなはだしい。
極論すればこの世のあらゆるものはごみであることに違いないであろう。それは時系列の中でたまたま製品となっているだけで、時間がたてば全てのものがごみとなる。
また、逆に全てのものがごみも含め有価物であるという考えもできる。このごみの処理は経済の中で回っているからである。経済の中にあるということは有価物である。
ところで先ほど話したA社(工場)→B社(運送業)→C社(工場)のくだりで、もしこれらの業者がつるんで悪行を犯した場合どうなるか。例えばA社が明らかに廃棄物と分かるものを1kgあたり1円で売るとする。B社はそれを1kgあたり1円で運搬し、C社は1kg2円で買い取るとする。この流れならば廃棄物に該当しないことになる。しかし、裏金、つまり廃棄物運搬処理費相当分がA社からB,C社に流れたらどうなるか。これはれっきとした不法投棄となり廃棄物処理法違反である。このように悪いことをするという前提で考えると、廃棄物の定義は納得いく。
しかし、まっとうなリサイクルをしている業者に対しても一律にごみの定義を当てはめるのは、そろそろ問題があるのではないかと思う。再生品の中身よりも、運搬距離で廃棄物うんぬんを判断されてしまうのだ。
明らかに廃棄物であるものと、明らかに資源であるものを明確に区別する必要がある。例えば毒性や腐敗性などの枠で考えることはできないか。