動物の権利
2000、5、27

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動物愛護法(動物の保護及び管理に関する法律 平成11・12・22改正)が改正され、いよいよ動物の権利とは何かが真剣に問われなくてはならない時期になった。

この法律で大きく変わった点は「保護動物」を「愛護動物」に変更したことである。
愛護動物とは
第13条
1.牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
2.前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類又は鳥類又は爬虫類に属するもの (爬虫類が追加された)
とされている。

愛護動物の虐待は厳しく取り締まられることになる。(例:愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行つた者は、 30万円以下の罰金に処する。)

しかし、動物の権利まではうたわれていない。
動物愛護を推進している人たちから見ればおかしいと思えるのではないか?

たしかに日本国憲法では以下のように「国民」にたいして人権が保障されている。
第11条 (憲法)
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

また「人身保護法」等により詳細が定められている。
「人間を対象」としているため、ここまでするのは当たり前なのであるが。

大日本帝国憲法での人権の範囲がきわめて低いことからすると、この人権保護も誰かが活躍したからこそ徐々に範囲を広げていったものと思われる。
貴族や王族から始まり高額納税者を対象としたもの、男子、老人、子供、障害者、胎児と徐々に範囲を広げた...

しかし、動物にも権利はあるか?
人間と同じ生物であるからとか、痛みを感じるからとか言い分は様々であるが、これといって万人を納得させる理由はない。
唯一これだと感じたのは、動物を虐待すると人間の心が傷つくから、動物にも生きる権利を与えるべきだ。という意見である。
これがまさしく動物愛護法の精神である。
しかし、生きる権利までは与えておらず、動物に関して極めてドライな扱いだ。

上記はあくまで法律の解釈の話だが、ここからは私自身の動物観を交えて話す。
私自身、犬1匹と猫1匹と熱帯魚を飼っている。
一般的に見て多種の生物を飼っているといえる。
私自身は犬を筆頭として庭の草木に至るまで「生きる権利」は与えられていると思っている。それはあくまでも私自身から与えられたものであり、 人間の生きる権利の方が優先されるため、もし自分の犬が他人にかみつき怪我を負わせてしまったら、私の責任で処分するほかない。
こんなことを書くと、かなり冷たくペットに接しているのではと思われてしまいそうだが、かなり愛情込めて育てている。
休みの日は必ず一緒に行動しているし、普段の日も家の中をうろうろしている。
こんな幸せな犬がいるのだろうか?と思えるほどかわいがっている。

ところで、動物の権利を述べる前に、地球の裏の飢えた子供たちと、自分の犬とどちらが大切かを述べる必要がある。
建前上は、飢えた子供が100人助かるのならば、自分の犬が死んでしまってもよい、とはいくらでも言うことができる。
しかし、本能的には全く逆で、一度も会ったことのない身内が亡くなるより、自分の犬が死んだ方が遥かに悲しむであろう。
動物の権利について結論的にいえることは、「動物(生物全般)は生かされているもの」ということである。
そうでもしないとバクテリア1マイクログラムと人間1人が同じ扱いになってしまう。
動物が恐怖を感じたり苦痛を感じたりする、といったボーダーラインはあくまでも人間が主観的に判断するものだから、どの生物種までが保護、 愛護の領域かは定められないはずである。つまり生物全体を対象としないと、議論は正確にはならないだろう。