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人と車の共生の終焉
2006,11,19
これは、「100m先のコンビニに車で買い物に行かせない方法」の後編である。
人間の欲望の結晶のひとつが車であり、その車の贅沢な使い方の極みが「歩いていけるところにも車で行くこと」であるということを、前回述べた。
本題に入る前に、ひとつ考えてもらいたいことがある。それは「人と車の共生」という考え方があることである。
この共生とは人と車が身近になることをあらわしており、より安全な車社会を目指すものであるが、これについてはいろいろな矛盾点がある。例えば、人と車が同じ道を通行すれば必ず接触事故が起こる。どんなにゆっくりと走っても車が危険であることには変わりない。手っ取り早くいって、車の一番走りやすい道が自動車専用道路で、人間の一番歩きやすい道が歩行者天国であることを考えれば、人と車の共生は無理であることが分かるだろう。この共生とは車を持つ側の理論であることに間違えない。ただし、車の内装と人は共生できるとは思うが。
車を持っている人々を歩いてコンビニに行かせる方法とは、人と車の共生をある特定の地域でのみ完全に断ち切ることである。
もっと簡単に言えば、特定の地域に車が一切入れないようにすることである。その特定の地域とは、住宅地であっても商業地であっても良い。
例えば1万世帯ぐらいの住宅地があるとする。半分程度の世帯で車を持っているかもしれない。集合住宅ならばその棟の近くに集合的な駐車場があるだろうし、一戸建であれば自宅の庭に駐車場がある。それらを含む住宅地にはショッピングセンターやコンビニがあるだろう。これらの商店は当然歩いていける距離にある。しかし、人々はその歩いてでもいける店に、車に乗って買い物に行くのである。
そこで、住宅地の周辺に駐車場を設け、全てをそこに駐車させることを提案する。そうすることにより、団地内にある自家用車の駐車場は、団地の外側になり、かつ団地内への車の進入を禁止すれば、団地内の商店街には車でいけなくなることになる。
住宅地内部に空き地ができるので公園にでもしたらよいだろう。5000台の車が駐車場の面積は以下のように10haぐらいになるだろう。
1台当たり、5m×2.5mの駐車スペースが必要と考えると、移動等のスペースも考慮し、
5m×2.5m×1.5(1.5は通路等の面積を考慮)×5000台=93750m2→10haとなる。
全駐車場を敷地の外に移すと、10haもの敷地が自由に使えることになる。当然、敷地外に5000台分の駐車場が必要となるが、10haを確保するのは難しいので立体駐車場になる。これは新たなビジネスチャンスを生み出す。
人によっては、家から駐車場が遠くなってしまうだろう。その場合はシャトルバスでも走らせたらよい。ついでに最寄りの駅まで運行すれば便利になるだろう。宅配便等の商業車は住宅地周辺に荷受所を作り、巡回するのは許可車両の1台のみにする。
買い物が不便になるという意見もあるだろうが、買い物そのものが変化するので問題は少ないと思われる。今までのように車で郊外に行き、買いだめをするのではなく、近くの商店街で新鮮なものを適量買うことが普通に行われるだろう。買い物カートを持ち歩いたり、また、住宅街の通路に雨よけをつけたりと、歩いて商店街に行く人にとって都合の良い構造になど工夫も考えられる。
自動車を持っている人にとっては多少不便になるかもしれないが、持っていない人もたくさんいるので、持っていない人への配慮も必要ではないか。特にこれからは高齢者の方が増え、車を持たない人も出てくる。そして子供は、少なくはなるだろうが、当然車は持っていない。
この提案は、車を持っていない人たちにとって多大な利益をもたらすが、車を持っている人たちにとっても、不法な駐車や事故等が一切なくなり、周辺の駐車場は立体式で管理を行き届かせれば、盗難事件もなくなることを考えると恩恵はある。
実はアメリカで数10年前にこのように住宅と自動車を分離した都市計画があった。しかし、程なく人々は車を庭につけるようになってしまった。理由は、せっかく買った高価な車を他の人に見せびらかすことができなかったからだそうだ。
そんな失敗した事例を、なぜまた出してきたのか。それはアメリカの失敗した時代と現在とでは、車に関する意識が大きく変化したためである。当時は確かに高価な買い物で、持っている人は周囲から憧れの目で見られていた。しかし、今は誰もが持つことができ、持っていてもうらやましがれることはめったにないだろう。それよりもこれ以上車が増えたらどうしようと考えているのではないだろうか。
人間と車の分離は、単に近くのコンビニに車で行かせないといった「エネルギー問題」の解決だけではない。人間が歩くという本来の姿を取り戻すためでもある。また、健康と安全という超高齢化社会への対応という意味でも新しい意義のあることである。
そんなに遠くない昔、子供達が車の来ない道でのびのびと遊んでいた頃を思い出してほしい。