錦鯉を見に行く



◆山の池から生簀へ移動する◆

 秋は錦鯉の季節である。春から秋の初めまで、錦鯉は山あいの池で飼育される。「池」というけれども田んぼを深く掘り下げ水を入れたもので、一見すると泥水が満たされているばかりで魚がいるかどうかさえわからないような池である。ふだん澄んだ水で金魚や熱帯魚を飼育しているのを目にすることが多いから、わざわざ泥水のなかに美しい魚を放すことには違和感を覚える。もっともこれはあくまでも私たち人間の感覚であり、錦鯉にとっては山の池で夏を過ごすことはハッピーなことらしい。日当たりのよい池では水温も上がって錦鯉たちは活発に運動し、たくさんの餌を食べて大きく育つだけでなく、鱗の色も美しくなるという。秋は立派に成長した錦鯉を山の池からすくい上げ、養鯉場(ようりじょう)の生簀(いけす)に移す季節であり、錦鯉の品評会が行われる時期でもある。

 錦鯉を山から生簀に移す作業を「池揚げ」という。水位を下げた池に大きな網を入れて池の鯉をすくい上げていく。大きなものは、体長1メートル近く、胴体は大人の太ももくらいの大きさになっている。美しい鱗を傷つけないように、慎重に作業を進める。今は山の池まで軽トラックで行くので作業は比較的楽だという。昔は池と生簀の間を歩いて往復したそうだ。もちろん手ぶらでの往復ではない。道具を担いで登り、帰りは錦鯉を担いで降りなくてはならない。池が生簀の近くにあれば便利だけれど、決してそんなことはない。日当たりや水質、水温などを考慮して、山の奥深くに池を作ることも多く、池に行くだけでも大変な手間である。昔を知る人は「トラックで行けるようになって、たくさんの池を管理できるようになった」という。

山の池はこんな感じです(イメージ写真)

 池に行くのは錦鯉を揚げるときだけではない。夏の間は毎日のように餌やりや水質、水温チェックのために巡回する。山からの湧き水は冷たくて美味しいが、そのままでは錦鯉を飼育するには水温が低すぎることもある。山のどの位置に池があるのかによって日当たりも違い水温も異なってくるので、一つ一つを丹念に見ていくことになる。梅雨が長引いたりして日照が不足すると水温が上がらず、錦鯉が病気になることもある。発病しなくても餌の食べ方が少なくなったりと心配のタネはつきない。

 無事に夏を越えた錦鯉たちは秋になると養鯉場の生簀に放たれる。丸々と太り、鮮やかに色が乗り切った錦鯉は、一年のうちでもこの時が一番美しいのである。

生簀でゆうゆうと泳ぐ錦鯉たち



◆空を飛ぶNISHIKIGOI◆

 秋には錦鯉の買い付け業者が各地から集まってくる。日本国内は言うに及ばず、台湾やフィリピン、アメリカからも業者はやってくる。生産地を直接見たいという錦鯉ファンも業者といっしょに来日することもある。彼らは何軒かの養鯉場を訪れては、生簀の中をゆったりと泳ぐ錦鯉を見ていく。

 あまり知られていないことであるが、不景気になってからは錦鯉は輸出向けが多くなっている。かつて“funcy carp”として海外で珍重された錦鯉は、今では“nishikigoi”と呼ばれている。あるいは“carp”と区別して“koi”と単純に呼ばれることもある。geishaとかninjaのように日本語のまま英語圏に進出しているのだ。

 で、外国からやってきた買い付け業者が「今年はあれとこれとそっちも買います。あとはよろしくぅ」という具合に注文したとすると、買いとった錦鯉はどうやって持ち帰るのか。犬や猫のようにケージに入れてというわけにはいかない。魚だから水も一緒に運ばなくてはならないのは当然である。熱帯魚のように手に下げるわけにはいかない大きさなのだ。大きな鯉であれば80センチはゆうにある。ちょっとしたものでも30センチ以上あるから、とても持って帰れるものではない。そこで別便で空輸ということになる。大きなビニール袋に水と酸素を詰め、箱に入れて中を暗くした状態にすれば丸1日くらいはだいじょうぶだという。夜9時に運送屋が引き取りに来て、そのまま成田空港へ直行。輸出業者が手続きをして、昼には成田を出発、アメリカであれば十数時間のフライトで到着するから、なんとかなるのだという。


◆突然変異で始まった錦鯉◆

 錦鯉は食用鯉から突然変異によって生み出された生き物だ。新潟県の山間部である山古志(やまこし)のあたりでは、昔から鯉を食用として用水地で飼育していたという。たまたま紅い鯉や白い鯉が出現し、それを観賞用として大事に育てたのが、そもそものはじめのようだ。今から200年前、江戸時代の文化・文政ごろ(1804〜1829年)には、すでに真赤な緋鯉と白鯉との交配によって、白地に朱色の模様の入った「紅白」の鯉がいたといわれている。現在では紅白を筆頭に、白地に赤と黒の紋の入った「大正三色(たいしょうさんけ)」や黒地に赤と白の紋の入った「昭和三色(しょうわさんけ)」など、さまざまな柄や色の鯉が78種類もいるという。


見事な「紅白」


頭の部分だけが赤いのは「丹頂」といいます


白地に赤と黒の「大正三色」

錦鯉の系統図はこちら。
http://www.echigo.ne.jp/~koi/zen/show203.html

錦鯉についてのホームページはこちら。
http://www.pref.niigata.jp/nourin/sogo/sogo6/sui3/
http://www.zna.jp/japanese/index.html
http://www2.ocn.ne.jp/~yamakosi/nishikigoi/shurui.html
http://www.echigo.ne.jp/~koi/koi01110.htm


 品評会では鯉の柄によって部門が分けられ、さらに大きさによってクラスが分けられて、その中で優劣が競われる。総合的に一番優秀なものがその年の「農林水産大臣賞」を受賞する。スポーツで言えば種目別、体重別で競い、最後に最優秀選手が表彰されるようなものであろうか。錦鯉の場合は大きさは体長で分ける。大きなものは本当にこれが同じ魚なのかと思うほど大きく感じる。私たちがたまにお相撲さんを街で見かけたときに思う感覚に似ている。われわれ一般人とは明らかに体格が違うし、寒い季節でも薄い着物一枚だったりするのを見ると身体の出来が違うんだと実感する。

 80センチクラスの錦鯉には「一般の鯉とは血筋も違えば体格も違う」という風格がある。大きく太った胴回りはとても鯉とは思えない。なにやら別種の魚を見ているような気持ちにさせられるのだ。「いい錦鯉は数百万円の値がつく」などと言うが、ほかの鯉を圧倒せんばかりの迫力を見せ付けられると、そういう値がつくことも納得してしまう。存在そのものが説得力を持っていると言ってもいい。

頭頂部に注目、肉が盛り上がっているのが見えます。


◆錦鯉飼い方いろいろ◆

 実は、私の妹は養鯉場を営む家に嫁いでいる。今回、生簀を見せてもらったのもそういう縁があってのことで、私が「いっちょ錦鯉でも飼ってみるか」などと思ったからではない。庭に池でもなければなかなか飼えるものではない。小さいものであれば水槽でも飼えるというが、大きくなったらどうするのだろう。

 中には自分の手元で飼わずに、養鯉場にあずけっぱなしという人もいるそうだ。趣味で錦鯉を鑑賞するうちに気に入った鯉に出会い、なんとか自分のものにしたのはいいけれど、飼う場所がないから、あるいは忙しくて世話ができないから飼育と管理も依頼し、ときどき眺めにやってくるのだそうだ。なんだか一目惚れのすえにようやく結婚したもののやむなく単身赴任となり、しかたなく奥さんは実家にいてたまにダンナが会いに行くようではないか。まあ、たとえ話はともかく、そういう飼いかたもあるそうだ。

 となると、心配なのは自分で買った、それも高いお金で買った鯉をあずけっぱなしにしておいて「養鯉場でほかの鯉と混じってしまってわからなくなってしまわないか」ということである。そりゃ惚れた相手なんだから見ればわかるだろうけれど、似たような柄のものが何十匹も、場合によっては何百匹もいることだってあるわけだ。「あずかっている養鯉場が間違えて、万一あの娘が売り飛ばされでもしたら」などと考え出したら夜も眠れなくなってしまう。そんなことを尋ねてみたら「そりゃちゃんとわかるよ」と笑い飛ばされてしまった。見ればきちんと区別がつくというのだ。さすがにプロである。

 それ以外にも、自宅の池で飼っている人が数年に一回くらいの割合で「色揚げ」のために、養鯉場へ飼育を依頼することもあるそうだ。春から秋にかけて山の池に放してやると、褪めたようになっていた色や柄が再びくっきりと鮮やかになるという。

 錦鯉は大きくなるだけに寿命も長い魚である。買ってしまえばそれで終わりということではなく、その後も飼育についてアドバイスしたり色をきれいに保つためのアフターケアをしたりと、飼い主と養鯉場は長いつきあいになるようだ。

■取材協力−−−−−−−−−−■

浦川養鯉場
新潟県小千谷市浦柄1226-1
TEL 0258-82-4178


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■養鯉場うら話■

 生き物の飼育であるから、たくさんの鯉のなかにはどうしても途中で死んでしまうものもいる。
「あたしは『洗い』は食べるけど、鯉こくはちょっと駄目なんだよね」
と妹は言う。火を通した鯉こくならば食べてもいいけれど、刺身の洗いは…というほうが普通のように思うが、どうして逆なんだろう。
「だってさ、鯉こくは鱗がついてるでしょ。そうすると柄が見えるんだよね」
 たしかに煮魚にしても金目鯛であれば、特有の赤い色がそのまま見えている。サバ味噌であってもサバ特有の青い背中が見えている。それと同じように錦鯉の鯉こくも柄が見えるというのだ。気にせずに食べる人には関係ないが、彼女はその柄がどうにも気になってしまうらしい。
 それにしても病気などで死んでしまった魚を食べてもだいじょうぶなのだろうか。
「内臓さえ食べなければ、あとは肉だからだいじょうぶ」
そ、そんなものなのか。
「そうだよ。そんなものだよ」
「今度、味噌に漬けたやつを持っていくかぁ?」
と養鯉場の先代社長が通りかかって声をかける。
「え? 味噌に漬けておくの?」
「一度に全部は食べられないから、残りは味噌に漬けておくんだよ」
で、それを焼いて食べるのだという。
 病気で死んでしまうものばかりではない。多くの鯉を飼育するというのは、非常に経費がかかる仕事である。なるべくたくさんの餌を食べさせて鯉を早く大きくすることも仕事のうちだから餌代は馬鹿にならない。餌によって色の出方も変わるから、そのあたりは経費削減するわけにもいかないのだろう。で、多くの鯉のなかには、今ひとつ発色が悪いとか、柄の配置がちょっととか、いろいろな理由で大きく育てるには経費がかかりすぎるというものもいるらしい。となると経済問題を解決するためには口減らしということになる。なんだか江戸時代の飢饉のころの話のようだが、趣味ではなく仕事として養殖を行うとなると経済性に目をつぶるわけにはいかない。安い値でも売れればよいのだろうが、なかなかそういうわけにいかないとなると、自然の河川へ放流してしまうこともあるそうだ。中には人間の口に入ってしまうものもいる……。たしかに、元は食用の鯉だったのだ。うーん、現場の話というのは、私たちが想像する以上にシュールなのである。