中越地震から1ヵ月

小千谷市に行ってきました



2004年10月23日、午後5時56分に最初の地震が起きてから、1ヵ月が過ぎました。遅ればせながら、ようやく被災地となった小千谷市に行ってきました。

小千谷市は、私が小学校を卒業するまで過ごした土地で、現在も実家の建物が残っています。地震直後、小千谷市内に住んでいる妹や親戚となかなか連絡がとれずに不安な時間を過ごしましたが、実家には誰もいなかったので、その点だけは少し安心でした。

鉄道や道路が寸断され、ライフラインも途絶し、被災地に行くこともかなわず、最初は宅配便を送ったのみ。実際に現地に行けたのは被災から28日目のこととなりました。

写真をまじえて地震から1ヵ月後の状況をご報告します。




地震により寸断された道路はかなり復旧していますが、震源地に近い場所では片側交互通行の部分があります。




小千谷市と十日町市を結ぶ国道117号線です。右側の車線がそっくり崩れ落ちてなくなっています。




矢印部分は道路と駐車場の境目です。道路側が下がってしまったので大きな段差になっています。

このような段差は、橋と道路の境界にも見られました。橋は基礎工事がしっかりしているのでだいじょうぶなのですが、道路が沈下してしまうので、10センチから20センチくらいの段差ができてしまうのです。アスファルトを斜面状に盛り付けた応急処置がされているので、自動車の往来には差しつかえありませんが、かなり揺れます。




山の急斜面がそっくり崩れ落ちた場所もあります。付近に民家などがないので大きな被害にはなっていませんが、この下に家があったらと思うとぞっとします。




斜面を支えていたコンクリートの壁が崩れています。交通の障害にならない場合は、崩れたコンクリートの撤去や壁の補修は後回しにされています。




斜面の崩落のおそれがあるところには、大きな土嚢が並べられていました。




排水管の桝のようなものが倒れています。




道路工事中に地震が起きた場所です。側溝のコンクリートブロックが曲がっているのが見えます。




実家の裏手のコンクリート塀です。ブロックがずれていますが、この部分で左右に引っ張られてしまったようです。現場付近は雑草が生えていてわからなかったのですが、地割れが起きていた可能性があります。




実家の建物に張られたステッカー。危険度にあわせて、赤、黄、緑のステッカーが貼られます。




実家は、古い家屋なので、あちこちで窓がはずれたりしていました。




たいていのお墓は一番上の石塔が倒れていました。わが家の墓は、土台部分からずれてしまったので、見るも無残なありさまです。






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