雪国の生活を見てみよう




◆雪が降るということ◆

 今年は夏は冷夏といわれてお米の出来が悪かったけれど、秋になってからは暖かい日が続いて、紅葉のシーズンは例年に比べて2〜3週間も遅くなったりした。で、それに押されるように冬の訪れも遅くなり、雪国の人と話をすると「今年は雪が遅いんで楽だわぁ」という言葉を何度も聞いた。スキー場のように雪がないと商売にならないところもあるが、大部分の人にとって雪はないほうが楽、だけど雪はあって当然というような生活感覚になっている。

 かくいう私も雪国出身者なのだが、東京で長年暮らしているうちに雪国の生活感覚を忘れてしまいそうになっている。同じ日本の中で、例えば東京と新潟とでは近いところで200キロ、遠くても300キロも離れてはいないというのに、その生活感覚、特に冬の生活感覚はずいぶんと違う。


雪が降っているときはこんな感じです



 もちろん東京にだって雪は降る。年に一度か二度、申しわけ程度に降る雪で都市の生活は大混乱に陥るのだが、これは雪国生活感覚とはまったく違う。「前触れもなく不意に訪れたお祭り」という感じに近いと思う。雪が降って楽しいのは子どもたちや一部の人たちだけで、多くの人にとっては電車が止まる、バスが来ない、歩いているだけでも滑ってしまうと、不便きわまりないし、危険が伴うことすらある厄介な出来事なのである。でも、3日も我慢すれば大部分の雪が融けてしまって、いつもどおりの生活に戻ってしまう。


吹雪の後は道路標識も雪で見えなくなったりします



 では、雪国の生活とはどんなものだろうか。近年は暖冬が続き「大雪なんて来なくなったねえ」というような年ばかりだけれど、それでも東京と比べると大量の雪が降る。毎年、1メートル以上の雪が降り積もって、春が来るまで融けないというのは想像できるだろうか。

 初雪は風花とたとえられるようにひらひらと降りだして、うっすらとあたりを白く覆って、数日で融けてしまう。それから2週間から3週間後くらいから「根雪」と呼ばれる雪が降り始める。まず気温がぐっと下がり冷え込みがきびしくなる。冷たい雨が降っていたかと思うとみぞれに変わり、寒い風が吹き出したと思うと白いころころとしたあられが降りはじめる。小さいものはどうということはないが、5ミリから7ミリくらいの雪を丸く固めたようなあられは要注意である。これが降りだすと、決まってそのあとにひと雪くる。強い風が吹き、雷が鳴り出すこともあって、あられがいつの間にかさらさらとした雪に変わり、一晩で30センチくらいすぐに積もってしまう。めったにないけれど、多いときは50センチから80センチも積もってしまうことさえある。

 こんなふうにして冬が始まり、そのあとは断続的に雪が降る。最初の雪が融け終わらないうちに次の雪が降る。それが繰り返されて1メートル、2メートルの積雪になっていく。春になるまで「雪がない」という状態はないことになる。だから雪国の街はどこへ行っても「雪があっても困らないような工夫」が施してあるし、生活する人々は「雪があるのが普通だから必要以上におろおろしない」という気持ちになっている。もっとも、生まれたときからずっとそういうところで育ってくるのだから、それが普通になってしまっているのは、当然といえば当然なのかも。


◆大雪とはどんな状態か◆

 大雪の場合、雪は断続的に降ったりしない。1週間から10日間くらい、長いときは2週間くらい連続して雪が降り続ける。もちろん激しく降り積もることもあれば、しんしんとやさしく降ることもある。まれに降り止むこともあるけれど、晴れたりせず曇った空のまま再び雪が降り出すのだ。こうなると1週間くらいで1メートル以上の雪が積もってしまう。

 「一晩で30センチは降ると言ったよね」という方もおられるかもしれない。確かに一晩で30センチ、あるいはそれ以上の雪は降る。だからといって3日間で90センチになるわけではない。初日の30センチは、二日日の30センチの雪に押されて徐々につぶれていく。二日目の雪も三日目の雪に押されて……というように雪は雪自体の重さで押しつぶされていくのである。だから、1メートルの積雪となると下のほうはかなり押しつぶされた状態になってしまう。降ってくる雪は軽いけれど、押しつぶされてしまった雪はかなりの重量になる。

 屋根の上に1メートルもの雪を載せたままにしておくと、柱の弱い家屋では家全体が歪んでしまうこともある。歪むだけではすまなくて倒壊してしまうおそれもある。ごくまれに学校の体育館がつぶれてしまうなんてこともあるくらいだ。体育館のように柱が少ない建物は要注意となる。

 大雪がこわいのは、一つにはこういう雪の重さである。冬の気温によって雪の重さはかなり変わる。北海道などの寒冷地ではさらさらと軽い雪なので、積もっても風で吹き飛ばされてしまうという。逆に新潟県などは北海道よりも暖かい分、湿気を多く含んだ重い雪が降る。こういう雪は積み重なっていくので風で飛ぶこともなく、重たく重たく家やクルマにのしかかってしまう。

 もうひとつ大雪で大変なのは、どこの家にも平等に雪は降るということだ。1週間も10日間も降り積もると、どこの家も雪下ろしをしなくてはならなくなる。決まった日に雪下ろしをするわけではなく、各家の事情(「日曜日で父ちゃんがいるから」とか「床屋なので月曜日に」とか「曜日に関係なく雪の降りが弱まったから」とか「手伝いの人が来てくれるから」など・・・)でさまざまなのだけれど、大雪のときほど雪下ろしが集中する。

 雪下ろしは普通の年で2〜3回、大雪であれば5回くらい行う。庭や空き地がある家はもちろんそこに雪を落としていく。ところが商店街などはそうはいかない。びっしりと商店が軒を並べ、裏庭があったとしても猫の額ほど。雪を下ろすとなると表の道路に下ろすしかない。今では道の側溝が「流雪溝(りゅうせつこう)」という雪を押し流す水路になっていて、そこに落とし込む。そういう設備が十分でなかったころは、屋根から落とした雪をできるだけ邪魔にならないように円筒形に積み上げたりすることもあった。商店街で何軒もの家が同時に雪下ろしをするようになると、当然交通も妨げられてしまう。


がんばる除雪車



 こういうものが冬の数ヵ月間、あるとないとではやはり気持ちの持ちようも変わってくると思う。逆らいきれない自然の脅威が常に身近にあるわけだし、冬の間は雪で苦労していても春になれば全部融けてなくなってしまうという一種理不尽な状態が毎年繰り返されるというわけなのだから。

 今では雪をいやなものとして排除するよりは積極的にとりくんで生活しようという機運になっている。「克雪都市宣言」をしたり「雪国はつらつ条例」(これは「雪国はつらいよ条例」と間違えられたという有名なものですね)を作ったりして、どこもがんばっているようだ。個人の住宅でも家の周囲に空き地を設けられるところでは、雪が自然に滑り落ちて雪下ろしのいらない屋根の家を建てることが流行っている。


◆雪の降りはじめに坂道を登る◆

 さて、今回私たち(オットと私の二人)は、この冬最初の吹雪の中を山の中のリゾートホテルに行くという体験をした。雪道に備えて普通のタイヤをスタッドレスタイヤに取り替えると、やっぱり買った洋服は着てみたい、もらったお菓子は食べてみたいというのと一緒で、雪道に出かけたくなるのは当然の成り行き。

 というわけで、週末に田舎にちょっとした用事があるのにひっかけて、その翌日は山のほうへ行くという予定を立てた。行き先は、秋にコスモス畑を見た「当間高原(あてまこうげん)リゾート ホテルベルナティオ」である。

 田舎に到着した日は雨とみぞれ、たまに小さなあられが降る程度であった。夜になりあられの粒が大きくなってきて「これは降るな」という感じになってくる。天気予報ではかなりの寒気が押し寄せてきていて、日本海側、特に山沿いで大雪になるおそれもあると言っていた。とはいえ、「場所によっては大雪になるのかもしれないけれど、よほどの山奥でなければだいじょうぶ」と考えて、予定変更はなし。

 さて、翌朝である。クルマには15センチくらいの雪が積もっている。まあこれくらいならどうってことはない。雪国であればごくごく普通のことである。いくつか用事をすませて早めの昼食をとってしまうと、あとは特にやることもない。そこで、「少し早いけれどもホテルに行きましょう、チェックインに早すぎるようならロビーで本でも読んでいましょう」と、私たちは街をあとにした。


このあたりは雪もそれほど多くはない



 山のほうへ向かうにしたがって、だんだん雪の量が多くなってくる。風も強くなり吹き付ける雪も多くなる。けれども国道はきちんと除雪されているし、場所によっては消雪(しょうせつ)パイプが敷設されていて路面にほとんど雪がない状態になっている。

 消雪パイプとは道路の中央部に水の通る管を埋め込んでおいて、1メートルおきくらいにそこから水が流れ出すようになっているもの。流す水は暖かい地下水なので雪がどんどん融けていく。これは除雪の手間がかからない便利なものだけれど、設備を作るのと地下水をくみ上げて流し続けるためにかなりの経費がかかるから市街地にしか設置されない。郊外の方はひたすら除雪車で除雪する。


消雪パイプがあれば路面はきれいです



 クルマはまったく危なげなく快調に進んでいく。さすがはスタッドレスタイヤである。十日町市の市街地を通過し、当間高原リゾートに向かって道路を左へ曲がる。小さな踏み切りを渡り、いよいよ高原に向かって登り始める。登りはじめのところは道路工事をやっていて片側交互通行となっていた。あとでここの工事の人々に親切にしていただくことになるのだが、このときはそんなことはわからないから「雪の降るなかの工事は大変だよね」などと言いながら通過していく。そこから3キロくらい上り坂が続いて高原に出る。何度か来たことがあるから道はよくわかっている。とはいえ、雪が降ってしまうとあたり一面白くなってしまってまるで別世界だ。


山に向かうと雪がだんだん多くなります



 クルマは快調に登っていくものの、だんだん勾配がきつくなり、少しずつスピードが落ちていく。昨日から本格的に降り出した雪が積もっていて路面も真っ白である。

 高原の手前、この大きなカーブを左に曲がれば坂道が終わるという、いわば胸突き八丁のような急勾配に差し掛かったとたん、クルマが停まった。オットはアクセルを何度か踏んでみるけれど、後ろのタイヤがキュルキュルと雪の上で空回りするだけでまったく先には進まない。

 私たちの後ろから一緒に走ってきていた軽乗用車が追い越して少し先で停まった。運転席から男の人が降りてこちらに向かって歩いてくる。何か言っているようだが、窓を閉じたクルマの中ではよく聞こえず、オットは両手でバッテンを作ってタイヤがスタックしたことを伝える。軽自動車の人は引っ張る手伝いをしようと言ってくれたけれど、簡単に引っ張れるものではなさそうなので感謝しつつ断る。

 何度かアクセルを踏んでも駄目なので、いったん少しだけ下がってみることにする。バックにギアを入れ替えると後ろにはちゃんと下がれる(当然といえば当然なのだけれど)。下がったところでもう一度前に向かって前進……しようとするけれどやっぱり駄目である。押してみたら進むかもしれないと思って、最初は私が、次は選手交代でオットが押してみたけれどやっぱり空回りするだけ。トランクからぼろタオルを出してひいてみようかとも考えたが、すぐにまた空回りすることは目に見えている。

 幸い、私たちが停まってしまったところは道幅も広くて、ほかのクルマの妨げになることはない。しばらくすったもんだしているうちに下から何台ものクルマが上がってきて私たちの横を何事もなかったかのように、ただし目線はしっかりこちらを向いていて「何事が起きたのか」という顔で通り過ぎていく。

 なぜ、ほかのクルマはまったくこともなげに登っていって、私たちのクルマだけがむなしく空回りを繰り返すのだろうか。ドライブ好きなオットはスタッドレスタイヤの選択も慎重だったが、クルマを買うときも慎重であった。車体はしっかりとしていなくてはいけない、十分なパワーがあってこそ余裕のある加速ができる、長時間乗っていて疲れない、運転していて楽しいクルマ……と考えに考えて選んだクルマである。素人の私が考えてもパワーに余裕こそあれ、不足はなさそうだ。それなのに、軽自動車たちがすいすいと通過していく。軽トラックも走っていく。普通乗用車も何事もなく走り去っていく。それなのに、なぜ私たちだけが……。

 雪は相変わらず降り続いていて、ときどき大粒のあられも混じる。風も強くなってきた。坂の途中で停まったきり、50センチほど後退はしたものの、1センチたりとも前へは進んでいない。

 「とにかくいったん下へ降りる。ここではUターンもできないからバックで降りる」とオットが言う。雪道でなければUターンくらいなんとか出来そうな道幅があるのだが、前へ進めないし、横方向に曲がることも出来ない以上はバックで降りるしかない。

 山側の斜面も雪が積もっていて真っ白だし、路面も真っ白だ。運転席から後ろを振り返ってみてもどこから山の斜面で、どこからが路面なのかわからないと言う。「悪いけど助手席の窓から道路のはじを見て、ぶつかりそうになったら言ってくれ」ということで私が窓から顔を出して後ろ側を見ながら降りていくことになった。「山側に寄り過ぎ、中央に出すぎ、もっと戻って、そのまま真っ直ぐ、もっと山側に寄って、寄りすぎ……下からクルマが上がってきた……」などと叫びながらゆっくりと後向きに降りていく。あられの粒が車内に転がり落ちてくるが、こういう状況では雪が入ったとかなんとか言う余裕もない。


樹木も雪に覆われています



 1キロ以上降りたと思うけれど、道路工事の現場まで降りてしまった。現場の人たちも驚いただろう。先ほど意気揚揚と登っていったクルマが後向きでよろよろと戻ってきたのだから。あわてて片側交互通行の邪魔にならないところに誘導してくれる。事情を説明し、少しのあいだクルマを停めさせてもらうことにして、ひとまずホテルに電話を入れて今の状況を説明する。場合によっては、このまま東京に帰ってしまうか、どこか山の上でないところで一泊してから帰るかと思ったりもする。

 電話を受けたホテルの人は「ひとまず係のものを迎えに出します。車を引っ張り上げることも出来ますし」という。ただ、引っ張りあげてもらっても、こんな状態のクルマで明日の朝、高原から降りてこられるかどうか心配である。そんなことも話すと「それでは国道沿いのガソリンスタンドにクルマを停めて、私どもが送迎いたします」と言ってくれる。そこまで言ってくださるのならということでご厚意に甘えることにした。

 工事現場の人にホテルから迎えがくること、いったん下のガソリンスタンドまで行くことになったと言うと、「それじゃ、ここの後ろ側で方向転換しな。雪をどけてやるから」といってスペースまで作ってくれたうえ、「いっぱいにハンドル切って、そのままバックして、もっと下がって、もう少し下がって、はいストップ」と誘導までしてくれた。いやもう、雪国の人々のご厚意が身にしみいるひとときである。「都会もんが不慣れな雪道にやってきてよぉ」なんて冷たくされたらどうしようと思ったけれども、皆さん本当に親切な方ばかりであった。もっとも、長い時間はんぱなところに居座られたのでは工事の邪魔になるということもあったのだろうけれど。

 このあとはホテルのクルマの後ろについていって、ガソリンスタンドにクルマを停めさせていただき、ホテルのクルマに乗り換えて登りきれなかった坂を登っていくだけである。おそるおそる「私たちみたいに登りきれないことってあるんですか?」と聞いてみると、「ときどきあるんですよ。最後の左のカーブがね、あそこで大抵だめになりますね」と言う。まさに私たちが立ち往生したところである。この冬では私たちが第一号だ。

 雪道では四輪駆動かFFという前輪駆動車が有利である。私たちのクルマはFRという後輪駆動の雪道に弱いクルマだったのも不利であった。スタッドレスタイヤだからだいじょうぶとチェーンを持っていなかったのもまずい。たとえFR車であってもチェーンがあれば問題はないという。(チェーンは巻くのが面倒なので、できれば使いたくないのが真情なのだが。)

 で、一番切なかった「軽自動車をはじめ、ほかのクルマがどんどん登れるのに、うちのクルマはどうしてまったくだめであったか」ということを聞いてみると、一つにはパワーがあるのがよくないという。雪道で停止している状態から力まかせに地面を蹴るように発進すると空回りのもとになるという。やわやわと弱いパワーでゆっくりと発進するのがよいのだそうだ。だから小さなエンジンでゆるゆると加速する軽自動車などがかえってだいじょうぶなのだという。あるいは強いパワーがあってもそれを力いっぱい押さえつけるような重たい車体であれば何とかなるという。例えば、トヨタの自動車であれば、マークUは登れないけれど、クラウンやセルシオというタイプはだいじょうぶなのだそうだ。ちなみにこれらはいずれもFR車である。

 翌朝、ガソリンスタンドまで送ってもらうときに聞いた話では、私たちのすぐ後にやってきたマークUはやはり登りきれずに、除雪車で引っ張りあげてもらったそうである。ただし、FR車も必ずしも悪いわけではなく、雪道を下るときにはFF車よりもずっと運転しやすいのだそうだ。とはいえ、それも登ってからの話だ。登らなければ下りもないから。

 そんなふうにして、今回は人々の暖かいご厚意でようやくホテルにたどり着いた。早めに着いたらロビーで読書どころではなく、もうすでにチェックインできる時間になっていたし、私たちはさまざまな体験をして、なにやら力の抜けきった感じになっていた。

 翌朝、ガソリンスタンドまで送っていただいたあとは、峠道を通らない遠回りのルートで帰途に着いたのは言うまでもない。


◆帰途◆


新潟県側は比較的走りやすい



 帰りの高速道路もかなりの悪路であった。さすがに急な坂道はないので、登れないというようなことはまったくないけれど、除雪が間に合わないところは、雪やら氷やらで路面はでこぼこ状態となっていた。

 新潟県側は時速80キロくらいで走れるような部分もあり、それほど問題になるところもなかったけれど、群馬県側は除雪できてないところがかなりあって、とても高速道路とは思えない路面になっていた。雪があたり前に降るところは、いつもそれなりの備えをしているから、急にたくさんの雪が降ってもあわてることもなく対処できるようであるが、ごくまれにしか雪が降らないところは大変そうだった。

 こういう思いをする雪であるが、春になれば何もしなくてもすっかりなくなってしまうというのは、ちょっとくやしい。毎年、冬が来て「積雪情報」に一喜一憂するようになるといつもそんなふうに思う。