6……高輪の稲荷神社(2003年2月5日)

所在 東京都港区高輪2-15(泉岳寺近く)

 私の仕事場の近くにある神社はたしか稲荷神社……というあいまいな記憶をもとに探偵活動しに行ってきました。この高輪には12歳から30歳まで住んでいたのですが、そのころは、この稲荷神社は小さな黒ずんだ古い御社で、隣のマンションの日陰にひっそり建っているだけの目立たない存在だったのです。
 日本中がバブルに浮かれて騒いでいたころ、神社の並びにあった荒物屋、花屋、肉屋などが一括して地上げされて、できたのがオフィスビル。ビル建設に伴って、どういうわけか稲荷神社も新たに作り直されて、いまやこんなふうになってます。




 つまり、2階の部分にお稲荷さんが載せられているという形です。今でこそ、風雨にさらされて落ち着いてきましたが、できた当初は金物部分がぴかぴかで、タクシーの運転手さんから「あそこは結婚式場ですよね?」なんて言われたりしてたもんです。たしかに金ぴかでめでたそうではありましたが。
 で、2階に造られてしまったので、地面からは階段をぐるりと回りこみながら上がって行くのです。すると、こんなふうに御社が見えてきます。

    



 眷属様はお獅子でした。左のお獅子はこんな感じ。




 右のお獅子はこんなふう。左前足で玉のようなものを押さえています。




 で、拝殿入り口はこんなふうになってます。




 扉に大きくお稲荷さんの神紋が付いております。




 で、拝殿の脇に、こんなかわいいものを見つけちゃいました。




 近づいてよく見ると、こんなふうになっているのでした。驚きです。
 何か意味があるのでしょうか。まるでシャム双生児のお狐さまですね。




 ひと通り見てから、1階の社務所に行って神社の由来などを尋ねようと、チャイムを鳴らしてみました。そうしたら、表を掃いていたおじさんが「何かごようですかぁ?」とやってきました。
「こちらの神社にお祀りしてしてある神様はなんていうのでしょうか?」
「ここは稲荷神社ですから、お稲荷さんですよ」
「なにかお名前とかがございますか?」 「ですからね、お稲荷さんですよ。お商売の神様なの。だからこのあたりの企業がみんな氏子になってるんですよ」
「では、なにか神社の由来などはございますか?」
「由来ねえ……。そうそう昔は泉岳寺(せんがくじ)の中にあったのよ、ここは。江戸時代のころはね、神仏混交だったから、お寺のなかに神社もあったの。泉岳寺の敷地も大きくて、ここらのあたりまでが境内に入っていたんですよ」
泉岳寺は、赤穂浪士の方々のお墓があるので有名なところです。忠臣蔵の観光ポイントの一つで、ときどき「はとバス」が来たりします。で、稲荷神社が面しているのは第一京浜という国道15号線。この道の近くまで昔は海があったといわれておりますが、現在は埋め立てが進んで海岸線は遠ざかり、もうこのあたりで海を見ることはできません。江戸のころの地図を見たら、泉岳寺がどれほど広かったかがわかるかもしれませんね。今は住宅地の中のお寺、規模は中の上というところでしょうか。ちなみに、毎年12月14日、吉良邸討ち入りが行われた日に「義士祭」というお祭りが行われ、町中に線香の煙が立ち込めるのでした。