あなたの家にかえろう


当院では、在宅での疼痛緩和を目的とした緩和医療や在宅ホスピスを行っています。痛む人の苦痛に直面し、麻薬やあらゆる手段を用いて、人間的な医療が行われることを望んでいます。

 私の診療所では毎年、年間で30人程度の悪性腫瘍の患者さんや、老衰の患者さんを在宅で看取っています。

 現代の医学でも、治療が困難か、もしくは痛みや苦しみが強く、自然な経過をご本人も家族もご希望なさるときに、看取りは始まります。

もちろん、痛みや苦しみ、不安などの緩和ケアを行いつつ、肺炎や脱水など乗り越えられるものは乗り越え、その人らしい自然な死を迎らるように努力いたします。

看取りは怖いことでも、いやなことでもありません。悲しいことでさえありません。うれしい旅立ちの日だと考えてあげてください。
考えてもみてください。人間は死亡率100%、死なない人間はいません。親や兄弟、愛する人との別れは、誰にでも、いつかは、かならずくるものです。

悲しくなつたら、たくさん、大声で泣いてください。我慢せずに、泣くと気持ちがすこし楽になります。もし悲しい人がいたら、いっしょに話をして、泣いてあげてもよいです。しかったり、励ましたりしないでもよいです。ただそばにいるだけでよいのです。

死に行く人に感謝してください。貴方を愛してくれた人のことを、最後まで感謝と真心で送ってあげてください。きっと、−番つらいのは、苦しいのは、悲しいのは、死んでい<人です。その人が,うれしく思ってくれるくらい、たくさん感謝してあげてください。

●死に行く人に解決されない何かがあったとしたら、そのことを避けずに、話し合い、あなたのほうから許してあげてください。許されない何かをもって、死んでいくことほどつらいことはないからです。

●もし、おしっこが1日、まったくでないようならば、電話をしてください。もうすこしで、お別れの時間が近づいている証拠です。

 死は旅立つ人からあなたへのメッセージです。しっかりとうけとめて、それを忘れないようにすることが、一番大切だと私は思います。 折に触れて、さまざまなことを思い出すかもしれませんが、笑って話をした最後の日々を、思い出しながら、大事に思ってあげてください。
ケンちゃんのおじいちゃんが、家で死にました。
おじいちゃんは胃がんという病気でした。手術をして、大きな病院に3ヶ月くらい入院していましたが、ある日のこと、おじいちゃんは家にもどってきました。

真っ白なベッドに横たわっていたおじいちゃんを、家の人たちはみんなとても大事にしているようで、けんちゃんも遠くから、こわごわと眺めていました。

おじいちゃんは、ケンちゃんを見つけると、とってもうれしそうに顏をくしゃくしゃにして、手招きをしながら、「こっちにおいで」といいました。
ケンちゃんはすっかりやせてしまった青白いおじいちゃんの手を握って、氷のようにつめたいことに、正直、ちょっとこわくなりました。
でも、おじいちゃんはやさしく「やせたろ、もうケンぼうをおんぶすることもでけんな」と言いました。
それを聞いたケンちゃんは、なんだかすごく悲しくなりました。
「そんなことないよ、じいちゃん、また元気になるから、しっかりしてよ」そう言いながら、涙がぽろぽろと、眼からこぼれました。
「おじいちゃんに、歌でも歌ってあげたらどうかな」首から聴診器をさげたおじさんが、髪をかきあげながら、言いました。あとで知ったのですが、それはどうも診療所の先生だったのです。不思議なことに白い服も着ていませんでした。
ケンちゃんはならったばかりの「ふるさと」を小さな声で歌いました。
おじいちゃんは静かに聴きながら、すこし涙ぐんでいるようでした。大きくてあつぼったい手を、ケンちゃんの頭にのせて、何度も何度もさすりました。やがて、その手はゆっくりと力がぬけて、おじいちゃんは眠ったようでした。

それから何日もおじいちゃんは眠ったり、起きたりをくりかえしていました。痛み止めで眠たいらしいのです。
すこしだけ口にしていたスイカも食べなくなり、黙り込む日が続きました。
庭の芝生の上では、飼い犬のラムネがボールとじゃれて、大輪のひまわりが風にゆれていました。
いつもとまったく変わらない時間がすぎてゆきました。
ケンちゃんはいつものように、学校に行って、友達と遊んでも、なんだか楽しくなくて、胸が苦しくって、ふとため息をつくことが多くなりました。
学校から帰ってくると、ランドセルをかついだまま、おじいちゃんのベッドを覗き込み、顏をみるのが日課になりました。たまに起きていると、ケンちゃんに、手を振ります。
お父さんも、お母さんも食卓に座って、黙って向かい合ったままです。

ほとんど毎日、先生と看護士さんが来ます。
先生はいつでも、首からさげたタオルで汗をふきながら、たくさん薬や何かをつめこんでパンパンになったかばんをかかえてきて、ケンちゃんをみると、やあ、と手をふります。看護士さんは、折り紙のツルをくれました。
眠たくもないのに、身体に力がはいらないような変な気持ちで、ケンちゃんはジュースをひとくち飲んでは、何も食べなくなったおじいちゃんに申し訳ないような気持ちになりました。
何日も何日もそんな日が続きました。
2週間ほどたったある日、おじいちゃんは朝から急におしっこがでなくなりました。
いつものように先生がきて、なんだか深刻そうな顏で、お父さんと話をしていました。
先生がもどって、2時間ほどたったでしょうか、おじいちゃんは、息があらくなり、肩を大きく動かして苦しそうでした。
お母さんは先生の名刺をみながら、電話をしました。
夕闇の中、あれほどうるさかったセミの声が小さくなり、カエルがころころと鳴いています。
おじいちゃんは、急にプーッというような大きな息を2回続けてして、口をすこし開いたまま、息をしなくなり静かになってしまいました。
お父さんは、顔色を変えて、玄関に走っていき、「先生はまだね!」と大声で言いました。

ほどなく先生がやってきて、おじいちゃんの胸に、聴診器を何度も何度も押し当て、眼をつぶって何かを聞き取ろうとしていました。
やがて、小さなペンライトでおじいちゃんの目をのぞきこみ、その後、お父さんとお母さんに向かって、静かにおじぎをしました。
「ごりっぱな最後でした。82年という長い時間の中で、すばらしい人生の本を私たちに残してくれました。もう苦しむこともありません。どうか皆さん、立派な最後を喜んであげてください。」
みんなが、いっせいに大声で泣き出し始めました。
ケンちゃんも何がなんだかわからくなり、お母さんにしがみつき、わあわあと泣きました。

それからが大変でした。見たこともないほどたくさんの人が家にやってきて、知らないおじさんが、ケンちゃんの頭をなで、なにかはげましているようでした。親戚の子供たちもたくさん来て、ケンちゃんと遊んでくれたので、ちょっとだけうれしくなりました。

お墓におじいちゃんの骨を持っていく日がきました。お父さんが重たい石のふたをずらして、中をみせてくれました。
何個かあるツボの右端に、おじいちゃんの骨の入ったつぼがありました。
ケンちゃんは手を合わせて「おじいちゃん、さみしくなくてよかったね」とつぶやきました。
こうして、おじいちゃんは家で死にました。死ぬということがケンちゃんにもすこしだけわかりました。オバケとかがこわかったケンちゃんは、お墓とかお仏壇とかが、なんだかこわくなくなりました。
ケンちゃんの心の中では、おじいちゃんはお墓の中で、ほかの人となかよくねむっているのです。お父さんもお母さんも、おじいちゃんの話をだんだんしなくなりました。
でも、お母さんは、玄関にあるおじいちゃんの革靴をなおそうとはせず、時々、みがいてあげているようです。お父さんは、おじいちゃんがしていた腕時計をしています。朝、その時計をなんども見ながらコーヒーをのんでいます。

あの夏の日のことは、みんなの心の中に強く刻まれています。おじいちゃんの大きな手の感触をケンちゃんもときどき思い出して、そっと頭に手をあててみたりします。
   
             隈診療所 宮崎秀人 作

※このお話は私が在宅ホスピスで出会ったたくさんの患者さんのお話を、ひとつにしたものです。
  特定のモデルがあるわけではありませんが、多くの患者さんが、家庭でゆっくり時間をすごしていることが、すこしでもご理解いただけると幸いです。転載や引用の際は、ご連絡ください。

●参考リンク
 日本ホスピス在宅ケア研究会 http://www.hospice.jp/