************************************************************************* 阪神大震災 須磨区大黒小学校24時間救護所での経験  平成7年2月10ー12日 (4/5) ************************************************************************* 自衛隊が仮設したトイレはグランドに穴をほって、バケツを埋めこんだ上に、2 枚の板が置かれてあり、それをまたいで用を足します。ドアは無く、ただ毛布が 入口に下がっており、鍵もなく開けてみてはじめて人が入っている事がわかりま す。気配で察するしかありません。男女はもちろん分れています。神戸市が作っ たドアのある仮設トイレもありますが、ステップが高く、足腰の悪い人にはかな り無理がありました。障害者の人達ではトイレまでいけずに新聞紙の上で排便す る人達もいました。室内のトイレは水が復旧していないために、被災後1ヵ月た っても、野外の仮設トイレを使う日々が続いています。小さな子供たちはグラン ドまで間に合わないので、小のほうは廊下にバケツをおいてすませています。老 人の中には、心臓病で利尿剤(おしっこが出る薬)をのんでいるために、トイレ が近く、周囲の人に気を使って、薬を自己中止して心不全になった人もいると聞 きました。衛生環境の劣悪さは、やがて気温が高くなる季節を迎えれば、伝染性 の病気も心配されます。  布団と布団の間には足をいれる隙間も無い程、密集している室内で、隣の人の 物音や行動も神経をたかぶらせる原因になります。不眠を訴える人は多く、安定 剤を希望される人も多く訪れます。 グランドでは入れ替わり焚きだしの人達がやってきます。神戸徳州会病院の夏目 先生が”焚きだしをもらいにこれる人はまだよい。貰いにこれないほど弱ってい る老人たちをなんとかしたい。”とおっしゃっていたのが、印象的でした。  その夜は救急車でもどり、神戸徳州会病院の3階の広い病室に泊めて貰いまし た。床に直接マットをしいて布団をならべてあり、全国の徳州会病院からの応援 の医師や、事務の人達が30人近く寝泊りできるようになっていました。最盛期 にはこの部屋にあふれるほどの人達が応援にきていたそうです。応援の医師たち も3食を冷たい弁当だけで我慢していました。  その夜は10人程度の医師と事務員が宿泊しました。激しく咳き込んでいる医 師がいたり、数人で震災の話をしている人がいたりして、眠れるかなという不安 がありましたが、旅のつかれもあってすぐに眠ってしまいました。  二日目は当直をしました。パン食がだめで食事が入っていない患者さんや、気 管支炎から喘息になってしまった老人。”手足をのばして眠りたい”という老人 の話に複雑な気持で治療を続けました。咳が止らないという人は非常に多く、救 護所にくる人達の殆どが、マスクや咳止をくださいといいます。きけば震災から ずっと咳が止らない人も大勢います。寒さと換気の悪い室内。ほこりや乾燥など、 咳の原因はいくらでもあります。もちろん、咳の症状が強いマイコプラズマ感染 症の疑いもあるでしょう。  不整脈の患者さんを救急車で搬送、病院の救急治療室は患者さんでごったがえ しており、患者さんを置いて行くのがはばかられるほどで、先生もかなり疲れて いるようすでした。  心臓弁膜症で風邪をひいて熱があった子供は、このまま熱が下がらなければ、 救急車で転送しなければならず、夜中すいぶん心配して、2度ほど教室に行って みました。朝になって教室を覗いてみると、熱も下がり少し赤い顔で”おかあち ゃん、先生きてくれたで”と元気そうに言ってくれました。ここに来て良かった なあという喜びで、胸が一杯になりました。不思議な事に始めて医者になった時 に受持った患者さんよりも、うれしかった。医療と言うものの本質をあらためて 教えられたような気がしました。 -*- Dr.KUMA ~{^_^}~ Medical library -*-