************************************************************************* 阪神大震災 須磨区大黒小学校24時間救護所での経験  平成7年2月10ー12日  (1/5) *************************************************************************  1月17日の震災のニュースの後、どうしたら現地の人達にお手伝いできるか 悩み続けた毎日でした。そこで、パソコン通信で情報を仕入て、チャンスを待っ ていましたが、折あしくインフルエンザの大流行で、いつもはひまな私の診療所 も、黒山のような人だかりで、開業以来初めての盛況をしめしていたので、出る にでれず2週間がすぎていました。なにかが背中をつついているような、じっと 診察机に座っていられないような、もどかしい毎日でした。  2月に入り、風邪も一段落してくると2月の連休を利用して神戸にいってみよ うという考えが頭にちらつき、強迫観念のようにいつでも頭に浮ぶようにさえな りました。いまさらボランテイアでもなかろうという人もいましたし、医師は十 分に供給されているという情報も有り、各県の医療チームも待機中とのことで、 現場で仕事はないよという意見もありました。しかしそれならば、なんでもよい、 水くみでも、運搬でもよい、とにかく何か仕事がしたいという気持でいっぱいで した。 その時、パソコン通信で、徳州会の中村先生より医師のボランティアの募集を見 付け、早速メールで連絡をとり、中村先生から2月5日に電話をいただきました。 何か薬をもっていったほうが良いでしょうか?という私の問に、「先生がいつも 使われる薬などをもってきてはどうでしょう。普通の薬については十分供給があ ります」との返事でした。  寝場所と食事を確保してくれるという事でしたので、とりあえず金曜日2月1 0日の診療を休み、朝1番のJRでリュックひとつで出かけました。私の家、日 田から博多までは普通で、博多から新幹線で姫路まで、姫路より在来線が運行し ていて、兵庫県垂水駅まで、垂水区の神戸徳州会病院に約7時間でたどりつきま した。副院長の山本先生が現状を説明してくださって、いくらかの資料を見せて いただいた後、早速、須磨区の大黒小学校に救急車でおくっていただきました。  徳州会病院のある垂水区は被害が少なく、みまわしても数軒の家がかわらがお ちたり、壁がはがれていたりするだけですが、ゆるやかな峠をひとつ越えただけ の須磨区に近付くにつれ急に家屋の倒壊したもの、火事で焼けただれた鉄骨など が目に付くようになります。  道すがらの光景は1ヵ所だけ見ていれば、どこにでもある火事のあと、もしく は家の解体現場というだけの事でしたが、それが何軒も何10軒も何百軒も続く と、これはおかしい、これはなんだという不安が大きくなってゆき、被災者が行 列を作って焚きだしをまっている光景や、道路が持上がって、黒いひび割れをつ くっているのを見ると、身体がひきしまるような緊張感でいっぱいになりました。 -*- Dr.KUMA ~{^_^}~ Medical library -*-