***************************************************** 神戸歩いてみました。 平成7年3月12日(日) (1/3) *****************************************************  3月12日(日)2度目1ヵ月ぶりの神戸にやってきました。旅行で広島によ ったついでに神戸まで足をのばしたのですが、どうしてといわれても分りません が、いかずにはおれないような気持、おおげさにいえばひきよせられたような気 持でした。  1ヵ月前はボランテイアとして、救護所だけをみてきたのですが、こんどはJ Rでいける限界、灘区までいき短時間でしたが、自分の足でJR沿線を歩いてみ ました。  神戸概略地図(震災による死者数)  ←至姫路 垂  須 長 兵 中 灘 東  芦 西 尼 至大阪→       水  磨 田 庫 央 区 灘  屋 ノ 崎       区  区 区 区 区   区  市 宮   死者 2 339 723 410 213 819 1258 403 981 27 ------------------- ---------------/ \ -------------------------- 大阪湾  神戸市灘区、駅周辺のほんの狭い範囲だけでしたが、比較的駅周辺は被害も少 なく、平常の生活ができていました。ただし駅のホームそのものはベニヤ板のよ うなもので作った仮設ホームでした。これが死者819人をだした灘区かという 気がしました。しかし現実はここから先の地域で交通もとまっているわけですか ら、被害はこれから先の地域がひどいわけです。駅前にテントがいく張りかあり、 なにかのマーケットのようでした。しかし店も通常の営業をしていました。新築 の養護学校があり、その校庭に自動車や青いテントがあり、その前の猫のひたい ほどの駐車場にも小さなテントに女の人がひとりいました。  ここは大阪までの代替バスがでており、JRをおりた人は一斉にそちらに歩い ていき、日曜日でしたが長い列を作って待っていました。そこで私もその後をい きました。おそらく孫でしょう、5歳ぐらいの子供をつれた老夫婦が、歩道の真 ん中で子供がだだをこねて困っていました。痛くてもう歩けないと激しく泣く子 供を二人は語気強くせめていましたが、その言葉も弱くとぎれがちになるように 感じました。  ここから三の宮まではJRでもどりました。電車の沿線は特に青いシートをか けている屋根がいくつか見えるだけでした。神鋼病院という立派な病院が一見無 傷で建っています。診療ができているのでしょうか?  三の宮駅はテレビでも御存知のビルがたくさん崩壊した処で、とくに駅前の1 0階だて(?)のビルは新築部分との境目でひび割れ、5階から先は傾いていま した。そこを通る人達は別に興味もないかのように通り過ぎています。見つめて いるのはよそものだけという風情でした。ここから線路ぞいに元町、神戸、兵庫、 新長田まで5区間10km程度、約4時間かけて、歩きながらローソンのおにぎ りをほおばり、運動不足の腰が痛み、足にまめができました。  元町はおしゃれな町というイメージがあったのですが、真新しい洒落たビルが 歪んで、ガラスが割れているのは、市外戦があったような連想をさせられました。 おばあちゃんが一人、路上で犬と遊んでいる光景は平和そのものですが、その背 景に倒壊した家屋や、めちゃくちゃに割れたショーウインドウが妙なバランスを 作っていました。水が十分にとどいていないようで、仮設の水道栓が作られてい ました。どの家もそうですが、はでに壊れた建物の横に、無傷でたっている家が あり、恐ろしいほどの明暗を作っています。生活程度も同様で避難所に住んでい る人と、普通の生活をしている人達が壁1枚でくぎられてしまったわけです。 がれきの中にはそれぞれの生活の跡がとり残されています。やぶけた卒業証書や 衣類、台所用品、工作機械、煤けた靴、だめになったクーラーやテレビ、おもち ゃ、まんがの本、などなど、、、、側面をはぎ取られた建物からは、応接セット がきれいにのぞけて、私生活が白日のもとにさらされ、きっと住んでいた人達は 見たくない光景かなと思いました。都市ガスが完全に回復していないので、プロ パンのボンベが店先に見られました。 特に危険な建物や交通上じゃまになるようなビルは、取壊しがかなりすすんでい ますが、一般の民家や商店などはいつ再開のめどがたつかわからずに、しばらく 休業しますという張紙だけがあります。 JR神戸駅周辺はピカピカのビルが立並ぶ、未来都市のような雰囲気の町で、地 震とは何の関係もないような静寂が流れていました。神戸らしいお洒落な格好を した男女が通り過ぎます。いやにカップルが多いなと思っていたら、今日は日曜 日です。しかし一歩横道に入ると、2階立ての民家がひざまずくように倒れてい ます。知合いの安否について路上で話している人達。誰々はどうなった?あの人 なら避難所にいったんじゃない、違うよ震災の日に亡くなったのよ、そんな話が 聞えてきます。 兵庫駅はどこかわからないうちに歩き過ぎていました。歩道はいたるところで、 落下してくるものから歩く人を守るために、迂回路がつけられ、車道におりたり、 歩道にのぼったりを繰返します。裂けて口を開けたようなところはありませんが、 微妙に水平でない道路が続きます。もともと坂になっているのか?今度盛り上が ったのか?