在宅でご家族を看取られた体験談

当院の在宅医療で、自宅で弟さんを看取られた患者様の家族のご好意で、原文のまま、掲載させていただきました。
感謝いたします。

日田市 行村 孝
「弟」自宅介護の体験談

市内在住の行村孝と申します。介護の中で体験したこと、感じたことをお話しさせていただきます。

■介護した弟は、59才で他界しました。独身でした。
住まいは、飯塚市、現役の会社員でした。
・平成16年11月、末期がん「外耳道ガン」の宣告を受けました。
・最初は放射線治療から始まり、4年間の職場復帰、再び抗ガン剤治療、そしてホスピス入院などいろいろなことがありましたが、ホスピス入院途中、自宅で介護しようと決心をしました。

■弟を自宅で介護しようと患ったことです。

・弟が「日田に帰ろう」と言った一言です。
日田の家に帰るより、はるかに病院の環境の方が弟にとっていいのではないかと私の頭の中では、思っていましたが、弟の一言で自宅で介護することを決心しました。
・二つ目は、私自身、会社を退職していたことです。ある程度自由の身であり、どうかして見れるだろういう思いでした。
・三つ目は、緩和ケアを退院したあと、日田の方で受け入れてくれる病院があったからです。
・退院するにあたって、本人の病状の説明を受け、人間お迎えの来る単位は、年単位の命、月単位の命、週単位の命、時間単位の命があり、弟さんは、お迎えまで1〜2週間ぐらいでしょう。との話でした。

■弟を我が家につれて帰ったものの、足もかなり弱っており一人で歩くのもやっとでした。
・うんこやしっこの時、大変だったことです。
弟は私より体が大きくやっと抱えあげることが出来たくらいです。ですから一人で抱え上げてパンツを脱ぐことが出来ません。必ず誰かを呼んで2人がかりの仕事でした。
オムツをしたのは体力も意識も限界に達した1週間ぐらいでした。

■弟は、家に帰った当初から、ほとんど食べ物、飲み物は口に、しませんでした。食べ物といえば、おかゆのつぶしたものを小さいスプーンで一杯程度、飲み物といえばスプレーで口の中に入れてあげるぐらいです。
しかし人間の体は、不思議なもので、大便も小便も量は別にして出るものだと思いました。

■夜の介護は、弟が家に帰ったときから弟のベットの横に一緒に寝ました。
体力も衰え、意思表示も弱くなったときからは、私と妹がベットの両サイドに寝て交替でみていました。

■帰宅当初は、外出は嫌がっていましたが、外に出る気持ちになったのは、体力も衰え自力で座ることが出来なくなったときからです。散歩は車椅子に乗せ、体を帯で固定し、家の近くを廻りました。
ドライブにも行きました。車の助手席に乗せ、帯で固定し、萩野公園や亀山公園の駐車場での休憩でした。

■宮崎先生のお話や、弟との会話などいくつかご細介いたします。

・最初お会いした時のお話です。特に印象深かったことは家族の人は普通の生活と同じようにして接すればよいですよ。物音をたててもいいし、テレビの音も、掃除機の音も普通にその方が弟さんも安心すると思います。可愛そうだと云う気持ちを強く出すと弟さんも気を使うから、普段の生活態度でいた方がよいですよ、と話されました。
・さらに、心強い言葉がありました。介護でもうきつい、どうにもならない、そういう時はいつでも言ってください。入院の手続きはすぐ取れますからと話されました。
・それから、弟は、宮崎先生の来るのをいつも待っていました。ある日、こんな会話がありました。弟が、「先生、バッサリやってや」。先生は弟に「行村さん、もう一ケ月、私とつき合ってください」と涙ながらに語りかけて頂いた姿が今でも浮かんできます。

・またある日、先生が「行村さん、オカリナの練習をしているから聞いてね」と「故郷(ふるさと)」の曲を吹いてくださいました。弟、家族、看護師さん皆で耳をすまし聞き入ったこともありました。終わった後、弟に分かった、分かったねと耳元で聞くと手を軽く上げうなづきました。
・またある日は、先生が「行村さん、一緒に写真をとろう」と、弟は、ほとんど目の見えない時期にありましたが、手で∨サインをして写していただきました。
以上が宮崎先生との−コマです。
ヽ弟と三ケ月間過ごせたこと、介護できたことは、「良い環境に恵まれた」ことでした。四つです。
一つ目は、見てくれる病院があったことです。
良き宮崎先生、看護師さんに出会えたことだと思っています。
二つ目は、社会福祉事務所の方の手助けも欠かすことが出来ませんでした。介護の手続きに行った日から自宅介護の環境整備又たびたびの訪問によるアドバスを頂いたことです。本当に助かりました。
三つ目は、二人の妹夫婦の手助けでした。千葉の妹夫婦は、約40日間、我が家に滞在しました。

日田の妹夫婦は、日曜祭日、また、仕事の終わった後も弟の相手をしてくれました。
四つ目は、我が家への訪問客です。療養中、知り合いの友達や子供の頃、お世話になったおじちゃん、おばちゃんたちが尋ねて来てくれ、話の弾んだ時期もありました。
こうした周りの人たちに助けられて、介護が出来たことだと思っています。

■帰った当初は、激しい嘔吐の連続でした。おちつかない精神状態でした。
それが、ある日から嘔吐はおさまり、きつい顔つきも柔らかになりました。
なぜかは分かりませんが、我が家で暮らせる安心感なのか、また好きなタバコもいつでも、のめる環境なのか、また私の目には見えないものが、そうさせたのかも知れません。
私自身、弟と過ごした三ケ月間は、子供時代に戻った兄弟のような生活でした。いろいろな経験をし学ぶこともたくさんできました。
雷弟は、家族の見守る中、眠るように天国へ召されていきました。弟へ送った最後の言葉は、「皆、一緒でよかったね」私の体験談を終わります。ありがとうございました。

※行村様は私どもの在宅医療の中でも、貴重な体験でした。弟さんをお兄さんが看取るケースは初めてで、当初から多少の不安が私にもありました。それでも、お兄様の献身的な介護に、頭がさがるような思いにかられました。
ご本人も苦しみや痛みの中、せん妄にも苦しみながら、よく耐えてくれました。
 暑い日の昼下がり、車椅子に身体をしばりつけて、日傘をさして、弟さんを散歩に出すお兄様夫婦の姿に、熱い感動を覚えずにはおられませんでした。
兄弟の愛情や、それを支える夫婦の絆は、見ている人の心を、なにか清々しいものにさえ、してくれます。

3ヶ月の介護は、想像を絶する行為でした。恵まれた環境とはいえない中で、最後の時間を必死にすごした家族、兄弟、夫婦の強さにただただ、驚くばかりです。
すこしでも、そのお手伝いができたのならば、私どもの最大の喜びだと言えるでしょう。
ありがとうございました。

平成22年7月吉日 隈診療所 宮崎秀人