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東京久明舘道場について

創立趣旨 あゆみ道場創立50周年 感謝と新たなる決意

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newsnew events photo album  マスコミがとらえた久明舘

 



道場創立50周年 感謝と新たなる決意a name="aisatsy">

 昭和32年、創立者、父久保嘉平初代舘長が当時の荒廃した社会環境を憂い、道場を建て青少年に剣道を教え希望を与えたい、と全財産を投じ親戚から借金して建ったのが久明舘でした。
 当時私は中学生でしたので記憶は朧げではありますが、初代舘長の剣道哲学の具体的表現は、当時の写真に見られるように剣道十段、持田盛二、斉村五郎、大麻勇次等名だたる先生方が当舘の主催する剣道大会や道場にお見えになり指導を受けていたことに表れており、その後は全日本剣道連盟初代会長、木村篤太郎先生、当時最高裁長官の石田和外、三菱の武藤秀三先生等が道場の近くの料亭に見えた折、当時20才で豪州から帰国したばかりの私を呼ばれ、「スグ君たちの時代が来る、しっかりやりなさい」と咤激励して下さったことを覚えております。 
私は道場40年の意味は何か、とこの1年間考え続けてきましたが現実にその年を迎え、舘長としての27年を体験してみて道場はその内容の証はすべて道場から育っていった門人の実績の総合以外何ものでもないと思うようになりました。

 また巣鴨高校卒業後豪州、米国と通算約7年間の海外生活から、父に続いて母の突然の没後急遽帰国、日本で最も若い舘長として在任、現在まであっという間に年月が経過してしまった、というのが実感です。

 思えば余りにも早く他界した初代舘長から私はほとんど道場運営についての話を聞いたことがなく、只暗中模索で今日までやってきたのですが、激動の道場40年の歴史の約四分の三を私の責任で運営してきて思いは感無量のものがあり、同時に次々に育って行く少年たちが久明舘の精神を継承し伝統を強固たらしめ今日の久明舘を形成してきたことは紛れもない事実であり満足感と同時に更に身の引き締まる思いが致します。

 振り返って我が国の昭和40年から60年頃までの剣道ブームは一体何であったか。当時当舘は道場を5つ持ち、少年千数百名を擁する大道場でありましたが、この数年は創立当時の門人数のように激減しているのは残念という他はありません。ここで社会が悪い、時代が悪いと言う気はありませんが、今日の社会環境を見て、我が国の道徳観やマナーはどこへ行ってしまったのか嘆かわしい時代の複雑な背景を読もうとして、同時に努力の至らなさを痛感します。またこういう時であるからこそ、道場が本来の使命感を発揮してゆかなければならず、久明舘は剣道哲学の「守破離」でいえば守の段階から正に破に突入せんとする時期であり、初心に返り考える大事な時でもあると思います。

 幸い当舘はこれまでに多くの理解者に恵まれ、昭和45年より剣道国際化を提唱し剣道を通じた国際交流を積極的に実施してまいりました。今日までに47か国、3千人以上の外国人が来舘、彼らに宿泊を提供し剣道指導は勿論日本語教育と道場関係者のご協力を戴いて可能な限り茶道、華道、書道等日本の文化に親しませるよう努力してきました。彼らの多くは帰国後自国で剣道普及並びに日本文化の紹介に寄与しておりますことは嬉しい限りであり、野にある私たちがこういう形でやがて国際的に日本の地位を高めてゆく、という願いがそこにはあるのです。

 少年部は全国大会を始めとする名だたる大会に多くの優勝経験を持ちながら、海外研修、英会話、書道教室、わんぱく相撲、ミュージカル観劇等々年間を通じて多彩な行事を実施、家庭的な雰囲気のなかにも厳格な躾け、礼儀作法をモットーに縦横に活躍、実績を挙げてまいりました。

 一般部は、三道(剣道、居合道、杖道)有段者主義を提唱、今日までに5千人以上の有段者を輩出している道場はおそらく全国的にも数少ないと思います。

 これまでに当舘は形式的な招待試合や記念大会はあまり行わず、中身を充実させることを常に念頭に置き、剣道至上主義は取らず人間一人ひとりがそれぞれ色々な次元の違う目的をもって生きていることを重視、道場創立以来一貫して流れる「和と信頼」の精神は当舘のこれまでの歩みのバックボーンを成していると言えましょう。

 久明舘の実績はやがて国際交流基金、東京都国際平和文化交流基金、地元国際交流協会等の評価を受けるようになり、一町道場でありながら、助成金交付によるルーマニア、イスラエル、中国等の国々に剣道文化交流使節団を派遣するなど平成8年までに30か国、52回の海外剣道文化普及事業を実施してまいりました。

 国際関係で特記すべきは、当舘のチェコ共和国出身、スターニャ・シュラムコヴァ嬢が5年間の内弟子修行の後、自国に日本武道文化センターを建設しヨーロッパの日本精神の核にしたいという希望を実現させるため、当舘が中心となり平成6年5月より募金活動を開始、当舘関係者から多大なるご協力を戴いておりますが、これをマスコミが取り上げるところとなり、全国から寄せられた浄財2千万円を以て平成8年9月、チェコ共和国、ハラデッツ・クラロベ市にて同センター起工式を挙行するに至りました。平成9年11月には落成の予定であり、これは久明舘40年のひとつの成果の表れとして関係皆さまと共に慶びに堪えません。

 それから少年部OBの下村隆君は、大学在学中に私に豪州へ行きたいのだがと相談にきましたが、私は迷わず南アフリカへ行くことを命じました。彼は躊躇無く大学を休学、アパルトヘイトの真っ只中へ単身防具と竹刀を担いでゆきました。彼は2年間の苦労の末ヨハネスブルグに200名(黒人を含む)を擁する剣道クラブを結成、南ア剣道の基礎を立派に築いて帰国したのです。平成3年6月アパルトヘイト政策解禁に伴いスポーツ交流第1号として来日したのがバスター・シーフォー氏で、彼が現在の南ア剣道の原動力となっています。新聞、テレビが大きくこれを取り上げました。

 私たちのこれまでの努力はまた、天皇皇后両陛下のお知りになるところとなり、平成8年10月、スターニャ嬢は皇居御所に両陛下、紀宮殿下に接見の名誉に浴することができましたことは久明舘の最高の名誉であります。

 しかしながら私たちは足元をみると剣道ブームは去り、精神の浮華衰弱が蔓延する今日、少年たちの健全育成に日夜心を傾け「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という格言すら、本来の真実の格言「健全なる精神は健全なる身体に宿るとは限らない」ということにまで想到しなければならないと言えば言い過ぎでありましょうか。自分のくつ下一枚洗えず、部屋のゴミ一つ拾えず、学習塾からはじまって種々の知情意教育なるものに追い回される日々をおくる少年たちの姿。剣道に限定して考えてみても、いつのまにか、試合と段位の「武」のみに全てが集中し「道」はついに言葉のみになってはいまいか。先輩、諸先生方のご高説ご叱正を謹聴しつつご教示をお待ちするのが、今の私の心境感慨であります。

 とにかく久明舘は、来るべき二十一世紀に向け更に厳しい稽古と精進による向上涵養を期して邁進することをここにお誓い申し上げ、謹みてこれまでのご指導ご厚情に対し深甚なる謝意を表すると共に今後とも宜しくお願いを申し上げます。

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