1959年、東京に生まれる。5歳の頃から親の薦めにより、ピアノを弾かされるが、6歳より始めたスキーに夢中になり将来プロスキーヤーに憧れる中学2年から、ついにピアノを習いに行かされる。竹尾氏に師事。中学の頃は、学業・スポーツ共に優秀でしかもピアノが弾けると言うことで、不良グループの標的にされ、毎週のように呼び出され、メタメタにやられていたが、そんなことに負けず自己流でボディビルディング等を行い、やられてもこわれない身体を作った。(それが今となっては、ピアノを弾くうえでとても役立っている。)

1975年、高校進学と共に、体操部の先生に見込まれて、1年間体操部に入部。2年から、やはり音楽の道に進むべく、本格的にピアノに専念する。音大を目指すが、指導教諭より再三進路を変更するように助言を受ける。3年生の11月になって、やはり無理だから進路を変えるように言われたが、半ばやけで、この受験に失敗したら音楽の道を諦めると宣言する。桐朋学園大学を受験すべく同校の松岡貞子・山田朋子両師に師事。

1978年、不可能と思われた桐朋学園大学音楽学部に演奏学科ピアノ科入学。学生時代はコンプレックスの海を、ゴールもわからず必死で泳いでいたような気がする、とのこと。そんななかで二重奏を江藤俊哉・二宮裕子両師に師事

1982年、4年間でなんとか桐朋学園を卒業。何をしたらよいのか分からないながらもピアノのレッスンだけは続けて受けていた。江戸川区混声合唱団専属ピアニストに就任。

1985年、1986年東京でソロリサイタルを開く。

1988年頃より気の合った仲間達とサロンコンサートを毎年開く。

1988年、リサイタルおよび集中レッスンのため来日していたコンラート・ハンゼン教授のレッスンを受ける。卒業後何度かのリサイタル、室内学演奏を通して、自分の音・音楽に疑問を感じていた時だけに、彼の音に対する考え方に感銘を覚え、今後自分の師はハンゼン教授しかいないと心に決める。その後ハンゼン教授のもとで8年間勉強された安井耕一氏に師事。

1989年、ついにすべての日本での仕事を後輩に引継ぎ、まずはザルツブルグ ゾンマークルスで故ハンス・グラーフ教授のレッスンを受ける(終了演奏会出演)。その後ハンブルグに渡りハンゼン教授に師事。そこで今までの弾き方を、総て崩すことから始めなければならなかった。しかし、本格的にピアノに専念したのが遅く、それまでの自分に完成されたテクニックが身に付いていなかったこと、腕の筋肉がよく発達していたことが幸いして、ハンゼンテクニックが短期間で身に付く。
ザルツブルグへ毎年行き、セルゲイ・ドレンスキー教授(終了演奏会出演)91年ディーター・ツェヒリン教授のレッスンを受ける。

1992年より演奏活動を開始。7月ブレーメン。9月ウィーン、ウィーン郊外のウィーナシュタット、11月ハンブルグ、そして12月に日本でソロリサイタルを開く。特にハンブルグでのリサイタルはベルゲドルフ・ツァイトゥング紙にコンサート評が掲載された。

1993年9月、6年ぶりに行われたコンラート・ハンゼン教授のマイスタークルスに参加、通訳兼アシスタントとの仕事もこなし、自らも受講生となり、終了演奏会に出演。

1993年、後ろ髪を引かれつつも帰国。
1994年4月より尚美学園短期大学講師
1996年10月東京文化会館小ホールでリサイタルを開く

今後は、ドイツで身につけたをより発展させられるよう演奏活動を続け、自分の音が見つけられずに悩んでいる後進の指導に当たりたいと考えている。

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