103歳児・昇地三郎博士教育学者しいのみ学園理事長・園長 

トキメキラヂオ 人生の達人 西新公民館新老人の会のご推薦です  

  放送中 を押すと録音が聞えます  福岡14・1月   3月      久留米14・1月   2月

 立花 鈴子さん

(西新公民館)

放送中

病弱の姉の栄養源として毎日「卵買い」2月3日放送

大正14年生まれ・古賀市出身。小学校生時代は・・菜の花・レンゲの花が一面に咲く田園の中を毎日四キロを歩いて通学。女学校時代は、バス通学をした。自転車・汽車を乗り継いでの通学より四倍以上も高かった。病弱な姉を不憫に思っての両親の特別の計らいを・今も大変感謝している。小学校の先生にあこがれ3年間代用教員を務める。厳しい「長刀の指導」は、今も当時の生徒の語り草に。

思い出の曲( 埴生の宿・ 歩いて行かなければ詩吟

中村 信 さん

(西新公民館)

放送中

輸送船が沈没、遊泳中機銃掃射・・2月10日放送

大正10年・福岡鳥飼八幡の近くで生まれたが、母の実家が博多とあって、小さい時から高校時代まで「山笠」大黒流れに参加、夏になると知らず知らず博多に脚が向く。昭和15年大林組に就職、ソウルに勤務。現地で応召、中国・フィリピン・ニューギニアを転戦、何回も死線を潜り抜けて帰国。戦後復職し、昭和60年まで建設現場の責任者として勤め上げた。退職後昭和63年、現地で会計士として成功している従兄弟の誘いで単身ブラジルへ。1ヶ月半ブラジル全土を旅して廻った。

思い出の曲( 梅と兵隊・ 真夜中のギター

  坂田 キク子さん

(西新公民館)

 

放送中 

シベリア帰りの夫を助けて鍛冶手伝いも2月17日放送 

昭和4年福岡・別府の生まれ。小学校当時は、今と比べものにならないほど雪が降り寒かった。戦争が激しくなり男手がなくなり、「肥えたご」を担いで野良仕事に励んだ経験がある。元憲兵で長いシベリア抑留から帰国し鍛冶屋を営んでいた夫と結婚、農機具や鎌・鍬を作るのが主な仕事。鎌を作る時、「向こう鎚」として夫の相方を務めたこと・・などは、懐かしい思い出。思い出の曲は、シベリアで苦労した夫に関わる曲が多い。子供の幼稚園で知り合ったお母さん達との毎月1回の集まり、年数回の旅行・48歳から続けている民生委員の仕事の任期が後3年ある・・70歳過ぎても多忙な毎日

思い出の曲( 異国の丘・ 帰り船

阪東 鉄之助 さん

( 新老人の会)

 

放送中 

母の思惑通り・・呉服屋の大檀那に 2月24日放送

 明治44年京都生まれ。家業の跡取りになるべく、母親の勧めで、商業学校を出ると直ぐに、古着を商う老舗の丁稚奉公に。2年後に番頭に昇進、羽織姿・毎週1回「酒の日」があり 夕食に酒1合がついた。福岡西新からのお客、坂本竜馬ばりの風貌をした「緊縮家」 の女主人に見こまれて福岡へ。りんご箱を並べて古着を売る「緊縮家」 の商い方法、京都にはない福岡の活気に魅せられて10年間奉公。初面識の時6歳、小学1年生の一人娘(14歳年下)との縁組を勧められ・・女学校卒業を待って結婚。天神・新天街に新店舗を出店、いまさら「緊縮家」でもあるまいにと「まるきん呉服店」の主人に納まる。仮名書道・小唄・・など檀那芸を嗜み、積極的に博多に融けこんできた。

思い出の曲(琵琶湖周航の歌・あなたと共に

 

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