103歳児・昇地三郎博士教育学者しいのみ学園理事長・園長 

トキメキラヂオ 人生の達人 高取公民館と大宰府の公民館のご推薦です  

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9月福岡出演者久留米 4月 5月 6月 7月 8月 9月  福岡 4月 5月 6月 7月 8月  

 牧山昭夫さん

(高取公民館)

放送中

おばあちゃんっ子、島育ちのスポーツ少年がインテリア業創業  9月2日放   

長崎県、壱岐の島育ち。謹厳実直で働き者の父と慈母、お歯黒をしたおしゃれで社交的な祖母、そして面倒見の良い兄・姉達・・に囲まれてのびのびと少年・青年時代を送った。何時かあの船で博多に出たい・・22歳の時に願いが叶って、自動車のセールスマンに。1月に33台を売るほどのトップセールスマンに。その後、心機一転、兄と共同でオフィス用品販売業を興す。事業拡大のため事務所内装を自前でやったのが、きっかけで「内装工事」にも進出。小学4年生の時の担任坂本先生から習ったソフトボール・・父の手作り「樫の木のバット」の事は、生涯忘れない。早良区曙に腰を落ち着けて早30年を過ぎた。前会長の勇退で町内自治会長を引き受けて6年。趣味・地域の人とのふれあいを兼ねて、今もソフトボールに汗を流し、酒宴でのカラオケを楽しんでいる。  思い出の曲(中州那珂川涙街・みちのく一人旅

佐々木ナカ子さん

(高取公民館)

放送中

米俵を担ぐ働き娘 ・「苦は楽の種」の格言を生き抜く  9月 9日放送   

出身は、現福岡市西区橋本。雑草の一本も見逃さない父・・広い耕作面積をこなす篤農家に生まれた。女学校時代は、バレーボールに熱中、抜け出して隣のクラスにまで遠征?お目玉をくらったほどのスポーツ少女。戦火の拡大で大黒柱の父が出征してからは、人一倍農作業の奮闘。米俵をヒョイと担ぎ上げて、倉庫に運び込む・・そんな光景が「村一番の働き娘」として随所で評判に。これ以上「農作業はしたくない・・」「あんたほど働けばそんな気持ちになるのも無理無いね・・」こんな会話がもとでサラリーマンに嫁ぐ。しかし、「母の口癖・若い時の苦労は買ってでもしろ」の格言が、ナカ子さんには、60歳を超えても続いた。お姑さんの気まぐれな行状に服し通し。この悪縁は私一人で終わりにしたい・・30年を超える忍従の末に掴んだ「温もり家族」で今は、幸せ絶好調  思い出の曲(この世の花・からたち日記

井上法恵さん

 (筑紫野市公民館)

放送中

えこひいきしない教師・・毎年300通のはがきを書く  9月 16日放送      

佐賀県西有田町(有田焼を世界的なブランドにした柿右衛門の生誕地)で生まれ、育ち。小さな寺に生まれ。女学校を昭和18年に卒業後、日赤看護学校に合格したが、父に反対され、戦後直ぐに、地元の曲川小学校の代用教師に。 生来、子供好き、教師の道を続けるため、毎日佐世保まで通い、5年間かけて教師の免状を取得。師範学校で専門教育を受けていない負い目を生徒への「やさしさ」で体当たり・・時には、体罰に及ぶこともあった・・熱血先生。「えこひいきしない」を教育信条にしてきた甲斐あって、いま尚殆どの生徒、300人との文通が続き、結婚式での祝辞を読むこともしばしば・・。

思い出の曲(誰か故郷を想わざる・川は流れる

川辺笑美子さん 

(大宰府公民館) 

 放送中

行くところ「笑顔・談笑」と「政治評論」の花が咲く・・9月 23日放送     

春日市・下白水、大きな農家に生まれた。とんちが効き、人付き合いが上手な父、無口だが新聞を隅から隅まで読み尽くす勉強家の母、面倒見の良い兄・姉の下で伸び伸びと育った。自宅が、町の家並みから離れていたため、女学校時代・終戦までは、電灯のない、ランプ生活が続いた。しかし、それだけに、草スキー・魚とり・きのこ(松茸)狩り・目白とり・・など自然相手の遊びには事欠かなかった。昭和16年・小学6年の時が、紀元2600年に当たり、修学旅行が、3泊四日九州一周の豪華版、楽しい思い出が一杯の持ち主。19歳で結婚、嫁ぎ先のお舅さんが、後に「大宰府町長」に立候補。選挙カーに乗っての「うぐいす嬢」、戸別訪問、昼間は事務所で、深夜も自宅で接待係・・と何役もこなした頑張り屋さん。

思い出の曲(旅愁・もみじ

執行和子さん 

(大宰府公民館)

放送中

屋根伝いに火災を逃れた・・おしどり夫婦    9月 30日放送        

佐賀県鳥栖市出身。国鉄に勤務するテニスや登山・骨董などに趣味を持った「ハイカラ」好みの父親と「こつこつと家事・家計の支え」に勤しむ母親の間で、硬軟取り混ぜた家庭教育を受けた。新制の高校三年の時、図らずも「戦後最初の修学旅行」に恵まれた。米三升を持参、一面焦土の中に聳える大阪城・華麗な宝塚の舞台・京都の寺院で見た巨大な木の柱・奈良の公園で鹿を追いまわした・・等などの思い出が未だ記憶に新しい。母親の奨めで、高校卒業の秋19歳で、裁判所勤務の青年と結婚。長男が一歳になった夏、階下から出火、ご主人の気転で、屋根伝いに隣屋の二階に転がり込み、同居のおばさん共々4人、命拾いをした。77歳過ぎても尚現役のご主人の仕事「司法書士」を補佐して今も毎日大宰府から福岡の事務所へ通う、今尚呼吸の合った「おしどり夫婦」。思い出の曲(野ばら・哀愁列車

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