103歳児・昇地三郎博士教育学者しいのみ学園理事長・園長 

トキメキラヂオ 人生の達人 御井校区と篠山校区公民のご推薦です 

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久留米9月出演者 久留米 4月 5月 6月 7月 8月 9月   福岡 4月 5月 6月 7月 8月  9月

 橋本嗣史さん

(御井公民館)

放送中

20を超えるペンネームを持つ・・在野の文人  9月 1日放送     

山口県佐波(さば)郡生まれ。博学・勤勉な父は、山口農林高校、県庁土木課に勤務し。酒好き、歌舞伎の愛好家、15歳の時に他界。味噌屋・酒屋の丁稚奉公の後、兄の親友に付いて満州に渡る。13歳のころ憶えた俳句や作詞の投稿が編集長の目に留まり「満州新聞」の新聞記者に。記者の世界は、実力が勝負。以後図書館通いの毎日に。私の恩師は「Book」母校は「図書館」と言ってはばからない。戦後久留米に。筑後の事・酒のこと・河童のこと・・なら無類の生き字引に。今も酒を愛し、談論風発。日本川柳協会の長老。演歌「花火師一代」等作詞は60曲を超える。

思い出の曲(君恋し・花火師一代

 松平信俊さん

(篠山公民館)

放送中

福岡一の小学校・世界一のタイヤメーカーに在籍  9月  8日放送    

神戸生まれの久留米育ち。振り返れば「No1」こんな言葉が自然に出てくる・・そんな人である。昭和17年、通っていた篠山小学校が福岡県一の学校に選ばれ、「旌表旗」(せいひょう・・人の善行をほめて広く世間に示す)を代表として受領。超エリート軍人を養成する熊本幼年学校にも在籍。就職したブリヂストンでは、直径4メートルの世界一のダンプタイヤの製作・世界市場一番乗りを達成、BSが世界一のタイヤメーカーとして飛躍する口火を切った。ゴルフ暦も長い、既に45年を過ぎた。家庭菜園づくり暦15年、正月料理の野菜は全て自家製。戦後の食糧難を乗り切るために母兄弟と汗を流した経験が役立っている。リバーサイドでのゴルフプレー、40坪の耕作で日々汗を流しながら、悠悠自適。この4月からは、公民館館長として、新たな「町作りNo1」をスタート・・。

思い出の曲(北へ・川の流れのように

光安千枝子さん

(西国分公民館)

 

放送中

隣組の歌が大好き・・忘れたくない近所のふれあい  9月 15日放送         

国鉄職員の父について、日田・・鹿島・・と転居、小学4年生から終戦までは佐賀県鹿島で過ごした。学徒動員では、大村・海軍工廠に勤務、飛行機の部品(大小のパイプ)を製作。昭和24年22歳で結婚。自動車交通が増えはじめた昭和45年、国道3号線沿いで、家族経営のドライブインを創業。焼肉店を切り盛りしながら、久留米市会議員のご主人を3期・12年補佐してきた。明るい歌・・特に「隣組の歌」が大好き・・と語る。隣近所との「心のふれあい」を大切に生きてきた。去年まで、子・孫・総勢19人の大所帯の家族旅行を年中行事にしてきた円満家族。公民館活動の一環(すこやか推進運動)として、丹念に町内一帯を歩き回り、健康推進に役立つ散歩コースを選定し、道中の史跡や名所案内も書きこんだ、B4版20ページの本格的な「ウォークマップ」を仕上げ、好評である。 

思い出の曲(隣組・青い山脈

佐熊敏夫さん 

(篠山公民館)

 放送中

山羊の乳を搾り・1年間乳飲み子に届けた・・中学時代  9月 22日放送     

佐賀県嬉野町出身。終戦直後、非農家であったため食べ物に苦労した。小学校時代から、良く喧嘩して、先生に叱られた。中学時代、お乳が出ない家庭に1年間、雨の日も、風の日も、1日も欠かすことなく「山羊の乳を、朝三合、夕方二合」届けたことは、今でも「充実した少年期の思い出」として自分の心の中で反芻している。集団就職列車で大阪に出たが、二年で帰郷。小柄のハンディーを克服しようと、自ら力仕事に就き、体力に自信が出来たところで、父の薦めもあって、自衛官に。砲兵部隊の通信士として奉職。定年後、久留米市教育委員会・青少年センターに勤務し平成十年まで6年間「青少年の補導係」を務めた。西鉄駅界隈や文化街を昼間から徘徊している子供達にそれとなく声を掛けて親しくなり補導するこの仕事もやりがいのある仕事だった。現在は篠山公民館の主事を務めている。

思い出の曲(北国の[春・ゆうすげの恋

志岐義昭さん 

(篠山公民館)

放送中

得意先に勧められて・・今や「歌舞伎」「謡曲」の名士に 9月 29日放送    

北九州八幡の出身。八幡製鉄に勤務しながら、廻船業を手広く営む父の背中を見て育った。敗戦の混乱で、高等工業専門学校を途中退学、家業の鐵工所を手伝う。鉄工所が関門海峡若戸大橋架橋建設で立ち退きにあったのを契機に久留米に移住、時代の流れを見極め、倉庫業を創業。当時は、内陸に倉庫専門の会社は殆ど無く、日本ゴム・BSなどの得意先が次々と現れ、順調に業績を伸ばしてきた。この得意先の勧めで、謡曲そして歌舞伎の世界に入る。当初、歌舞伎は見たこともなかった・それが・今や久留米市民芸術祭(歌舞伎)の中心メンバーの一人に。勧進帳の「富樫」役.紅葉狩り「更科姫」などの主役を何度もこなしてきた。歌舞伎会の重鎮.人間国宝「中村又五郎」さんとの親交は長く、深く、師の信頼も篤い。

思い出の曲(影を慕いて・荒城の月

久留米 4月 5月 6月 7月 8月 9月   福岡 4月 5月 6月 7月 8月  9月

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