103歳児・昇地三郎博士教育学者しいのみ学園理事長・園長 

トキメキラヂオ 人生の達人 高取公民館のご推薦です  

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久留米 4月 5月 6月 7月 8月 9月   福岡 4月 5月 6月 7月 8月  9月

 泊秀治さん

(高取公民館元館長)

放送中

貝殻を通して子供の心を育てる  8 月 5日放送                         前原市岩本生まれ、目の前に海を見ながら育った。昭和16年、11歳の時、父親が戦地へ。5人兄弟の長男として母を助けて野良仕事に励んだ。夕方になると母の督励で、家に戻り「食事の用意と弟達の子守り」をするのが日常だった。小学時代は、遊んだ記憶がない。先生になれば、田んぼが少なくても生活できる・・こうした母の薦めで、師範学校に進学。授業の資料にとはじめた貝集めが、何時の間にか生涯の趣味になった。戦死した父の追悼文集も発刊.   アフリカ・ナイジェリアからの留学生、ボヨさんに触発されて、市内の小中高校をめぐり「アフリカ民族舞踊と国際交流の会」を補佐している。

思い出の曲(加藤隼戦闘隊・砂山

西田美佐子さん

(高取公民館)

 放送中

道具を積んだトラックでお嫁入り   8月  12日放送             

現宗像市吉田(旧宗像郡吉武村)で生まれた。女学校時代九州飛行機へ通勤?通勤定期を購入するために工場から国鉄に提出した書面を几帳面な母が大切に保存していた。通信簿などと同様、母が残してくれた大切な「宝物」の一つ、時々眺めては在りし日の母に思いを馳せている。軍事工場は、後半、山に掘ったトンネル内にあった。 昭和26年22歳の時に結婚。花嫁姿でトラックの助手席に座りこみ、嫁入り道具・親戚一同と一緒に嫁先に向かった。昭和63年から、請われて町内会長に。回覧する文書の為に書道サークルに入るなど、人の世話を厭わない・・。

思い出の曲(串本節・赤とんぼ

樋渡嘉幸さん

(高取公民館)

 

放送中

米兵との喧嘩が奇縁で米軍関係に従事  8月 19日放送    

長崎県波佐見町で生まれた。雑貨商を営む父の手伝いで氷運びを・・。当時は、砂利道、バランスを崩して倒れると氷を積んだ自転車を一人では起こすことは不可能。しかし、当時は皆んな人情厚く、通りかかった人が快く助けてくれた。中学は、佐世保に。戦後まもなく、米兵に腕時計を強奪され、その悔しさから、英語の勉強のため、福岡西南学院(前身)に入学。英文タイプのアルバイトが朝鮮戦争で忙しくなり、そのまま就職、米軍調達部で勤務。この時に身につけた知識を生かして、インテリア関係の会社に就職、その後独立。最近は、地域の奉仕活動にも多忙な日々・・

思い出の曲(スワニー・東京ナイトクラブ) 

 飯田トシ子さん 

(高取公民館)

放送中

旧満州育ち・中国残留婦人のために奉仕中  8月 26日放送     

大分生まれ、小学2年生の時、父の仕事で満州撫順へ。昭和16年結婚、中国天津へ。終戦後の混乱期には、「一人息子に一日一個のりんごを与えたい・・」と、危険を顧みず市場に出かけて、兼ねて覚えていたロシア語を使いながら商いに専念した。戦前の満州と父の郷里大分とは、生活レベルに雲泥の差があった。水洗便所・常時温水シャワーが出る・電話もダイアル式・ヨットクラブで毎夜演じられるロシアダンス・果てしない平原にゆっくりと沈む夕陽・・整った生活環境と茫洋とした大自然の中で育った飯田さんにとって満州は、第一の故郷。「終戦の混乱で満州に取り残された開拓団の乙女達が沢山いる事」を知った飯田さんは、現在「残留婦人の日本への里帰り訪日」を支援し続けている。

思い出の曲(モスクワ郊外の夕べ・黒い瞳

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