103歳児・昇地三郎博士教育学者しいのみ学園理事長・園長 

神風特攻隊                                                          初めに戻る

4600余の若人は、何を思いながら命令に従い、死への飛行を受け入れたのか。    

母・家族との絆、ふるさとを思う心があったればこそ・・、小川さんの話を聞いてください。        

 昭和19年・・戦況が悪いことを察知した将校達は、最後の手段として特別攻撃隊を編成、

自らの武勲を競って・・若人達に「生きながら死」を命令した。

反面、特攻命令を下しながら、戦列を離脱逃亡した司令官、将校もいる。

 

小川 菊美 さん

放送中

お母さんの胸に抱かれて死んだ友・・

大正15年久留米市生まれ、16歳の時海軍鹿児島航空隊・予科練に入隊、2年半の訓練の末「零戦特別攻撃隊」として3度の出撃命令を受けた、18歳の若さで「生きながら死」を覚悟した苦渋を体験、6年前から戦火に散った200人の同期生のための追悼行脚中

 (放送内容は、トキメキラヂオ人生の達人の録音です)

青木司令(左)は、20年8月11日、朝鮮元山の

海軍基地から家族ぐるみで日本に逃亡した

小川菊美18歳

小川さんの自費出版

今年の5月に入ってから、高倉 健さん主演の「ほたる」が上映されて以来、特攻隊の事が大きな

話題になっていますが、そのほとんどが知覧記念館を舞台にしているために、陸軍特攻隊の

1050人余の英霊の事だけが語られ、海軍の3535人の若人の事は殆ど忘れられています。

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