蒲生君平生誕の地を歩く(ルートまっぷプ対応)
No 写        真   説      明
出発 JR宇都宮駅
JR宇都宮駅〜伝馬町 関東バス 1800m 12分  150円 駅前のバスターミナルの7番乗り場から「作新学院・駒生営業所」行きに乗ります。
@ ●伝馬町のバス停を降りるとバスの進行方向に交差点が見えます目的地は交差点の先道路の反対側(北側)に写真のビルが見えます。

@君平の生家(奥州街道と日光街道の追分け西側)
『江戸時代明和5年(1768)に現在の栃木県宇都宮市小幡町1丁目で燈油商兼農業を営んでいる新石町名主である福田氏の四男として君平は生まれた。』・・・・・・・・・・偉人蒲生君平の生涯より
●生誕地には現在ビルが建っている1階には蒲生君平の説明板があります。また郵便局があり記念のスタンプがありました。
ビルの敷地北側にある駐車場の一角には「蒲生君平先生誕生之地」石碑が建っています、側面には「昭和5年10月30日と市長石田仁太郎書」の文字が刻んであります。
@〜A 徒歩 3分 200m
A A本陣跡(島崎藤村)
『筑波山に拠(よ)って尊皇攘夷を旗印に挙兵した水戸天狗党は日光に拠ろうとして山を下り、宇都宮に着いた。本陣に葵の紋のついた紫の幕を張り、近所五軒の旅籠(はたご)に分宿した。天狗党は協力の約束も武器の借用も得ることなく、日光へ向かった。』・・・・・・・・うつのみやの歴史より
●水戸天狗党の顛末 (てんまつ)は島崎藤村の「木曾路はすべて山の中である」で始まる夜明け前の中に天狗連として、蒲生君平も「諸国に荒廃した山陵を歴訪して勤王の志を起こした」と記しています。
A〜B 徒歩 24分 1800m 
B 左側に勅旌碑が見えます、正面に東武宇都宮のガードが見えます。
B勅旌碑(ちょくせいひ)
『明治天皇は蒲生君平の著した書物や事柄が明治維新の大業に功績があったとして、君平の人となりは誠に立派であるから、これを広く天下に表して庶民に知らせるようにとの勅命を太政官にお下しになり明治2年(1869)宇都宮藩知事戸田忠友が建立したものである。明治9年(1876)明治天皇が奥州巡幸の途次ここ勅旌の碑前に聖駕(みくらま)をとめさせ、拝観の群衆を遠ざけてやや暫くこの碑を御覧あそばされて、大義を明らかにした君平の気節を深く思いやらせ給う
た。』・・・・・・・・偉人蒲生君平の生涯より
B〜C 徒歩 10分 800m
B

Cへ
Bの勅旌碑(ちょくせひ)から東に歩くと東京街道の西側の歩道にぶつかります。北に歩いてゆくと写真の建物(栃木いすず)がみえます。その先に平成通りの交差点があります。右に横断して東京街道の東側の歩道を歩き最初の道路を東に行くと英巌寺に到着します。
C C英巌寺跡(英巌寺児童公園)
『英巌寺は宇都宮藩主戸田家の菩提寺で、その住職は福田家と縁戚の間柄である。君平は常に書物を携えて静かなこの寺に出入りしていた。ある日寺で読書の帰途、なおも書物を開き読みながら、高下駄をごろごろ踏み鳴らして藩邸の通用門を通った。門番の士はその無礼を怒り藩規に違うことを咎めた。困り果ててひたすら罪を詫びた』・・・・・・・・・・・・・・偉人蒲生君平の生涯より
C〜D 徒歩 10分 750m
C

D
英巌寺児童公園を出て東に行き突き当たりを左折すると4車線の平成通りに突き当たり右折してあるくと道の北側にあMPMがあります、その先の信号交差点を左折して横断します。
・交差点の北東角にはしんち食堂があります。
D 宇都宮市庁舎が見えると東側に目的地の宇都宮城址公園です。
D宇都宮城(千年の城)
1598年会津92万石から18万石に減じられて、蒲生秀行が宇都宮藩24代城主として移されてきた。『その弟正行が蒲生君平の祖先である。』・・・・・・・・・・・偉人蒲生君平の生涯より
●『・蒲生秀行は上杉討伐から関ヶ原の合戦に至臨戦下をはさんで約3年半しかいなかったが、蒲生の発祥地である近江国の日野商人のための日野町を作った。
・家康の懐刀と言われた本多正純(1619〜1622)の大改造により1キロ四方もの広さを誇った堅牢な宇都宮城が生まれた。
・1868年に起こった戊辰戦争で、大鳥圭介や新撰組の土方歳三ら率いる旧幕府軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、残念ながらその戦火によって建物の多くは焼失してしまいました。』・・・・・・・・うつのみやの歴史より
●その後、塀や土塁も崩されて当時の面影を偲ぶものはほとんどなくなってしまいました。平成19年3月に本丸の土塁と櫓が復元されました。
●『宇都宮宗円(そうえん)は前九年の役の時の1053年に朝敵調伏のため都から下向し祈祷した、その功績を認められ下野の支配を任された。』・・・・・・・・・・・・うつのみやの歴史より 
●宗円から始まる宇都宮氏を考えると約千年からの起源の城と考えられます。
D〜E 徒歩 5分 440m
D

E
城址公園の西側の道を北に歩いてゆくと右側に宇都宮NHK放送局の白いタワーが見えますNHKの北の南大通りを左折します。その時右手方向に宇都宮中央郵便局(写真)がみえます。
E E大いちょう(1600年頃)
宇都宮城三の丸の土塁と百間堀土塁の境上にあり、宇都宮城ゆかりの名木であります。 市天然記念物、推定樹齢400年、樹高33mであります。
E〜F 徒歩 3分 140m
F F修道館跡
(藩校創設・水戸天狗党)
『君平は家老の意を受け、宇都宮藩校創立の事を林大学頭に会って了解を求め、宇都宮藩もいろいろな手を用いたであろう。数年後藩校修道館が設立された。』・・・・・・・偉人蒲生君平の生涯より●ここで『1864年4月6日7日に天狗党と藩重臣との会談があり天狗党は武器の借用など得ることなく夕刻日光へ向かった』・・・うつのみやの歴史より
F〜G 徒歩 6分 530m
F

G
オリオン通り新星堂の所を左折すると前方に写真の東電ビルが見えます。ビルの方向に歩いてゆくと、左右に時間貸し駐車場があります、その右側に向明児童公園の入り口があります。
G G向明児童公園(行在所跡)
『明治9年明治天皇は勅旌碑を御覧になり、行在所に蒲生君平の遺族を召されて、特に祭粢料(さいしりょう)十五円を賜った』・・・偉人蒲生君平の生涯より
●現在その地は向明児童公園として市民の憩いの場となっている
G〜H 徒歩 10分 650m
G

H
向明児童公園からオリオン通りに戻り東に歩いて行き左折すると、右手にファミリーマート(写真)が見えますので、その交差点を右折(東)して行きます。歩いてゆくと右手におしどり塚児童公園の文字が刻んである黒色の石碑があります。
H Hおしどり塚児童公園(史跡おしどり塚)(坂下門外の変)●猟師がおしどりの深い愛情に打たれ石塔を建て供養したという鎌倉時代のお話が伝えられております。その石碑と説明板があります。●同公園内にもう一つの石碑があります、勤王の志士児島強介誕生の地です。『1858年日米修好通商条約に始まる安政の大獄から桜田門外の変までの状況を打開するため老中安藤信正が公武合体を進めた。宇都宮の豪商菊池淡雅の長女と結婚した大橋橋訥(とつあん)が書いた政権恢復秘策(せいけんかいふくひさく)による公武合体論の否定に基づき安藤信正の暗殺計画が坂下門外の変(1862年1月)として実行された。その中で児島強介が活躍したが失敗に終わり幕府に捕らえられた。その事や水戸天狗党のことから、宇都宮藩が窮地に陥ってしまうが、君平の著書「山陵志」に基づき御修補を行い窮地を脱することが出来た。』・・・・・・・・・うつのみやの歴史より
H〜I 徒歩 10分 640m
H

I
おしどり塚児童公園を出て北に歩くと大通り(30m)に出る。左折して歩いて行くと右手に「うつのみや表参道スクエア」のル(写真)右手には宇都宮パルコのビルがあります。その交差点に宇都宮二荒山神社の鳥居tがみえます。そこの階段を上ってゆきます。本殿と社務所の間を通りぬけると西側に抜ける道があり下りはじめの当たりに目的地Iがあります。
I I二荒山神社(贈正四位蒲生君平碑)
『明治14年蒲生君平御贈位の栄に浴すると、宇都宮、東京の有志間で、宇都宮二荒山神社境内に一大記念碑を建てた。』・・・・・・・・・・・・・・偉人蒲生君平の生涯より
I〜J 徒歩 11分 790m
I

J
二荒山神社の坂をIから下りて行き突き当たりを右折して最初の道(県庁前通り)にぶつかります、すると写真の県庁舎が見えます。これを左折して歩いてゆきます。
県庁を右に見ながら真っ直ぐ歩いて行くと、右手にキリンの絵のビルと、釜川に係る優(まさる)橋につきます、橋を渡りきったところが延命院の入り口になります。左側です。
J ●石段を登り本道につきます、左手に地蔵堂(写真)があります。
J延命院(君平修学の寺)
『君平6歳のとき近所の真言宗延命院に通い住職の良快和尚より読書、習字の手ほどきを受け四書五経の素読を教えられた。読書が、この上もない楽しみで、書籍を常に手放さなかった。読書に関する逸話がある、近所に出火があったとき屋根の二階で火事の火の明かりで読書をしていた』・・・・・・偉人蒲生君平の生涯より
●延命院には宇都宮で最も古い木造建築物である延命院地蔵堂(1716年頃の建築)があります。
●地蔵堂から先に進むと山門になります、そこを右折して行くと県庁前通りにつきますが、さらに直進して行くと交番がありそこがKの桂林時です。
J〜K 徒歩 2分 100m
K ●山門を通り左手に行くと写真の建築物がありさらに中に進むと本堂がありまあす、その西側を進と松の木が見えます、そこが蒲生君平の墓です。

K桂林寺(蒲生君平の墓)
桂林寺には蒲生君平の実家福田家の墓があります。君平は46歳で江戸で没し谷中の龍興山臨江寺に葬られた。『明治14年頃改葬運動が行われ、臨江寺から分骨し福田家墓地に葬られた。』・・・・・・偉人蒲生君平の生涯より
●県庁前に戻り、左へあるいてゆきます、さきほどのルートを県庁の東側の交差点まで戻ります。その交差点を左折して行くとトンネルが見えます。そのトンネルの右側に石の階段が見えます、また石の大鳥居が見えます。それをくぐってゆくと目的地L蒲生神社です。
K〜L 徒歩 17分 1100m
L L蒲生神社(蒲生君平を祭神)
『蒲生神社創建の義は明治15年のころから有志の間に起こったが、明治22年には建碑がされ、大正元年君平99年祭の時蒲生会が結成され大正10年に神社創建の資金募集を開始し県民あげて賛同を得内務省に神社創建願いを提出し許可された。天皇の思し召しにより金700円の下賜が蒲生会にあり、同14年建築着手し同15年に竣工した。』・・・・・・・・・・・・・偉人蒲生君平の生涯より
L

M
L〜M 徒歩 13分 1000m ●県庁前通りまで戻ります。交差点を左に曲がり歩いて行くと最初の横断歩道があります。そこが目的地であります。
横断歩道の左に目的地があります。
M M蒲生君平坐像(宇都宮市立東小学校 校庭南側)
紀元2600年記念として、東小学校の父兄により昭和15年に寄贈されたものであります。台座の裏側には寄贈者の名前が、左側には蒲生君平のことが記されている。校庭にいた小学生は蒲生君平の事を知っていました(2007.6.16)素晴らしいことですね。
M〜JR宇都宮駅 18分 18分 ●東に向かって歩いて行くと「東橋」にぶつかります、右岸を下流の方向に歩いて行きます次の「幸橋」を渡って道なりに歩くと交差点の角に蔵造りの建物がある交差点に行きます。そのまま真っ直ぐ東に行くと道が右にカーブしています。道なりにあるくとJR宇都宮駅に着きます。
□地図制作、説明文まとめ、写真撮影:小林博
□連絡先:bekkoamekhiro@yahoo.co.jp
□制作年月日:平成19年8月25日(Ver 1.8)
□参考文献:偉人蒲生君平の生涯(岩崎良能著)
     :蒲生君平(雨宮義人)
     :うつのみやの歴史(宇都宮市編集発行)
     :夜明け前(島崎藤村)
□関連情報:宇都宮発見ホームページ
     :宇都宮発見ブログ
     :宇都宮市立図書館(参考文献があります)