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Aug.31.'96   (c)1994-96 桐谷育雄

第70章 Factory Bargainsの歴史


 僕自身決して買い物に目の色を変える旅行客ではないつもりですが、ものすごく安い工場直営ショップに出会うと、思わず目の色が変わってしまいます。

 買い物は、旅の大切な楽しみ。今回から連続で、工場流れの処分ショップの変遷の歴史について考えてみようと思います。



 この連載の第16〜19章の「旅のお買い物」で、Factory Bargainsについて,香港、アメリカ、ヨーロッパ、韓国を中心に、正規の工場で作られた物をとても安く入手するテクニックを扱いました。最近では、NAFNAFのサンドレスを定価の98%引きで手に入れたことさえあって、自分が女性ならよかったのにと悔しい思いになりました。一般に女性の衣類が多いように思います。

 さて、世界的なこのブームが始まったのは、香港でした。工場は、いつでも人件費の安い国を目指します。日本人が海外旅行に出かけ始めた頃、サンフランシスコでお土産に陶器のケーブルカーのオルゴールを買って帰ったら、Made In Japanで瀬戸で焼いた物だった等というのは、よく聞いた話ですね。人件費が高い国の企業は、コストを抑えるために、高度な技術を持つ発展途上国に生産拠点を移したのです。本国の産業の空洞化もまねいたのですが、海外運送が安くなったこともあって、より人件費の安い国に生産拠点を移し続けています。

 当時の香港は、人件費や技術だけでなく、海外企業を誘致しやすい様々な条件が満たされていたので、世界の服飾ブランドが、香港に注目しました。直営工場を作らずに、香港に既にあった工場と契約して生産を委託したために、検査で不合格となって買い取ってもらえなかったものが残って、そこに目を付けた人々が、ブランドを示すタグを切り取ったり、印をつけたりしたものを安く売り始めました。やり手は、多くの工場から人脈を駆使して、様々なブランドの売れ筋の商品を集めたものです。もちろん工場側も意図的に水準の高い余剰生産品を作ります。時には、同じデザインで素材だけ変えた物や、同じ素材を使って、デザインを少しだけ変えて、独自のブランド名をつけたものもありました。僕の香港巡回ルートに入っていたのは、そういうお店です。

 欧米タイプのFactory Outletは、しくみが大きく違います。例えばアメリカの場合は、売れ残りや一部のサイズだけ残った生産余剰品や、シーズン後の型遅れ品を、ブランド自身が工場直売するのです。だから、わざわざ郊外のOutletに出向かなくても、デパートに出店している直営ブティックで激安処分品が買えることもあります。フランスのストックの場合も、同じような感じです。

 まだ旅行者やマスコミに騒がれる以前は、Factory Bargainsで、ものすごく得した気分を味わったものです。いくつか紹介してみましょう。

 買い物天国として有名な香港での話は第17章で書いた通りですが、一番得した気分になったのは、スキー・ウェアです。僕は、そもそもスキー・ウエアを着ない主義(高かったし……)で、ゲレンデでも冬山ルックで滑っていました。まだ日本のウェアが欧米デザインを追いかけていた十年前に、フランスで日本未発売のKillyのかっこいい新作を見つけて、割引と免税で日本の半額になるので、つい衝動買いして以来、ウェアで滑るようになりました。

 そのうち日本独自の派手なウェアが発展して、日本製の物を安く買いたかった頃、香港でPhenixの来シーズン物の生産余剰品を見つけました。日本でのシーズン終了の処分バーゲンのさらに半額程度でした。それからPhenixの生産拠点がタイに移って、タイに出かけるたびに、工場を探し求めたのですが見つかりませんでした。

 そんな時、香港で、来シーズン物のサンプルを見つけたのです。あちこちに製造上のコメントのタグが縫いつけてあり、少し汚れていましたが、とても安くて、上下で二万円でおつりがきました。クリーニングに出したらすっかりきれいになって、シーズンが始まったのですが、この配色のものは発売されず、いろんな人に、どこで買ったのかとか、デモンストレーターですかとか尋ねられました。

 この前も、そのお店で新しい物を見つけましたが、残念なことに、少し縫製がほどけている部分があったので、買わずに帰ったのですが、買うべきでした。同じモデルを日本で見たら、十倍の値段がついていて……。あの、たった数センチの糸がほどけている部分を気にした僕が馬鹿でした。あんな程度なら、自分で直せるし、誰も気が付かないだろうし。Factory Bargainsでは、買って後悔するより、買わなかったことを悔やむ方が圧倒的に多いですね。

 次の時に、お店に行ってみても、お店さえなくなっていることがあります。香港では風水を重視しているので、お店も、ビルの賃貸契約を更新する時期に、より縁起の良い別のビルに引っ越すことが多くあります。特に、はやっているお店ほどその傾向が強いようです。

 次の話は、Factory Bargainsではありませんが、もう十年前の事です。当時"Red"という名前のブティックが尖沙咀にありました。中国の国旗のあの色から名前をとって、人民服のイメージの、七十年代中国のコンセプトの、おもしろいデザインがいっぱいのお店でしたが、三ヶ月後に香港に戻ったときにはもう、閉まっていました。必死で探したのですが、天安門事件が起こった影響もあって、お店もやめてしまったそうです。あの時の捜索の苦労は、言葉では言えません。それに懲りて、最近では、必ず近い内に引っ越す予定がないかどうか聞くようにしています。

 ところで、今、香港で(というより、香港が大好きな日本人の間で)大人気の、Pedder Buildingの「上海灘 Shanghai Tang」(Tangの漢字は簡体字なので日本語では表示できません……。)は、まさに"Red"の九十年代版という感じがします。「毎日新聞」でも取り上げられていましたが、僕も、実はファンで、あの蒸篭に入った点心の時計とか、毛沢東の時計とか愛用しています。ひそかに、彼は、昔"Red"をデザインしていたのではないかと思うのですが、今度、聞いてみようと思います。

 決して日本語を使わないのがポリシーのようで、観光客が日本語で話しても、店員さんは英語で返事します。この前は広東語で話しても、返事は英語でした。旗をデザインしたシリーズがあって、「日の丸」のセーターを日本人向けに作ったのですが、全然日本人が買わず、売れ残っています。いつか、底値で処分するのでしょう。日本が国家として、かつて「日の丸」の下に行ってきた極悪非道の数々を正式に謝罪して国家補償すれば、僕も、もう少し「日の丸」に抵抗がなくなるかもしれませんが、このままでは、生きている間に、その日を迎えることは、出来ないでしょう。カナダのバックパッカーが、カエデの国旗のアップリケをしているのを見ると、うらやましくなります。

 実は上海灘では、今(郵便の)メーリング・リストを作っていて、この前も「次に当店でお会いするまでに、私どもに何かできることがございましたら、ご遠慮なくお申しつけ下さい。」という手紙が届いたので、通信販売にも応じてくれるかも知れません。


 ほんの数回だけのつもりだったファクトリー・バーゲンですが、書きたいこと(他の旅行ガイドや雑誌では、あまり扱われない内容もあるし。)がたくさんあって、涼しくなるまで続くかもしれません。今回の文章は、かつて作ったアウトラインの四行分、十分の一に過ぎないのです。これからは定期配信できそうなので、長く続くことを許して下さい。そのかわり、僕の、とっておきの情報の数々も、公開します。例えば、今若者に大人気の××××の、プレミア付き三万円近くのモデルが、ある国では30ドルで手に入る話とか……。

 さて次号の予告ですが、もはや工場物も、殆ど手に入りにくくなった、お隣の韓国の歴史を扱いたいと思います。オリンピック前は、工場物の天国だったのです。

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