2000年12月02日(土)

若い人への手紙:本物 その2「本物を決定」



選択ではなく決定

 本当は、人生に、たっぷりとした時間があって、のんびりと試行錯誤しながら生きていくことができればよいのですが、実際には、何か一つ人生でなすべきものがある人にとっては、一生はあまりに短すぎます。もちろん、深く豊かに生きることによって、短い人生でも充分なものになりますが、一つの道を究めようとする人にとっては、百年生きても足りません。いつも言うことですが、辻が花の久保田一竹さんの、時間がほしいという切実な願いを聞くとき、人生でなすべきことを見出してしまった人の叫びを聞く思いになるはずです。

 そのように人生を生きるならば、人生は選択やトッピングではなく、自分自身が、ある方向のもとに、決定する人生になります。ヨーロッパのアーティストが、自分のスタイルを確立すると、あとは、そのスタイルで、どんどん作品を生みだし続けることと同じです。

 人生で、本物の人間になることを願うのなら、自分にとっての本物が何であるかを決定して、その方向に向かって、どんどん進み、自分にとって本物であるとは考えることが出来ないものを切り捨てることが大切になります。本当は、全てを大切にして生きていくことができればよいのですが、ある方針を貫いて生きるなら、特に「本物」という難しいものを相手にして生きるならば、人生を絞り込まなくては、実現は難しくなります。



 見極める目

 そこでは、本物を見極める目が重要になることは、言うまでもありません。人間は、これまでの人生の中で、自然に、または意識的に、自分の価値観を育んできたはずです。そこでは、当然、ある人にとっては、とても大切で、人生で唯一の真実だとまで考えていることも、他の人にとっては、何の値打ちもないということも、よくあることです。

 僕の個人的な場合を書くと、神様そのものは、これまで出会った中では、最高の本物でした。今年もアドベントカレンダーを一日一日めくりながら、クリスマスを待つ時期になりましたが、ローマカトリック教会というよりも、神様そのものは、他の全てのものがくすんで見えてしまうような、素晴らしい出会いでした。このサイトは布教のためのサイトではないので、この話は、いつか、また。

 何かが不変であると自分が決定するためには、自分自身の中に不変の、ゆるぎない何かがなければなりません。自分を見つけることは、難しいことですが、人生の大きな仕事に、自分探しと、世界の発見があると思います。この両方を、これまでの人生で続けてきた中で生まれた、自分の本質。その一番自分らしい何かを見据えながら、どのような時代になっても、どんなことが起こっても、決してゆらぐことのないものを捜すことになります。

 もちろん、ここからは、あなた自身の仕事であって、他の誰にも替わることが出来ません。言うまでもないことですが、正解というものがたとえあるとしても、人生そのものが違うので、正解は、人によって違うものになります。その人の人生を背負って、その人の人生を生きる中だけで、その人の正解が見つかるのです。この部分には、奥深いものがあるのですが、そのことについては、いつか、この"What's New"でふれることがあるでしょう。

 最後に、明日は、あふれる情報に振り回されない人生について書こうと思います。今日の画像は、昨日と同じく、愛知県奥三河の香嵐渓の飯盛山の紅葉のライトアップ。見上げて撮影してみました。毎年撮影を続けた成果を元に、香嵐渓紅葉も完成させなくては!



前回12/01 「若い人への手紙:本物を求めて その1 『何が本物か』」を読む
11/30 「処刑……。」を読む
11/29 「掃除」を読む
11/28 「若い人への手紙」を読む
11/27 「PCBその後」を読む
11/26 「いよいよBSデジタル」を読む
11/25 "Smokey Joe's Cafe"を読む
次回 12/3「若い人への手紙:本物を求めて その3 『情報を捨てる』」を読む
これまでの日記一覧を見る
今日のWhat's Newへ戻る