2000年11月21日(火)

時にかなって美しい



 児山先生の思い出

 亡くなられてから、いろいろなことがわかってきました。Macintoshのサポートに出かけることも多く、退職後も、お会いすることが多かったのに、大切なことは、あまり知らなかったのだなあと思いました。66で亡くなったということなので、もう退職後六年。卒業生の中でも、知らない人が増えたことでしょう。

 児山先生で思い出すのは、若い頃フルブライトの留学生として渡米したことです。その話は、とてもおもしろい話だと思うのですが、生徒たちには、そのようなことがあったことさえ話していませんでした。確か、最後の担任の時で、話せば生徒も喜ぶよ、と話しました。そのクラスには授業に行っていたので、実は児山先生はこうなんだよと話したら、生徒たちは興味津々。当時は、飛行機ではなく船で太平洋を越えた話です。(それでも、僕自身も、自分の旅のおもしろい話を生徒たちに語ることはないし、そういうものかもしれませんね(もちろんこのサイトにも書いていません。)。)

 退職されたときに購入されたMacintoshは、LC520。例の13インチモニタの一体タイプの元祖です。まだインターネットが普及する前だったので、Nifty Serveのアクセスのサポートをして、後になってから、御自宅に伺って、インターネットアクセスのサポートをしました。

 瀬戸の山奥にお宅があって、車で連れていってもらう時に、ふと、もしかしたら、宇宙人か何かで、遠いところに連れていこうとしているのだろうかとか、心によぎりました。山を越えた住宅地にある、修道院のような、簡素なデザインで素敵な家でした。

 退職後もミッションスクールで教壇に立たれ、修学旅行で沖縄に行った帰りに、おみやげを下さったり、色々なことがありました。

 鮮烈な思い出は、退職される年だったと思いますが、アメリカのお兄さんが、末期の癌になって、定期考査の時に、休暇をとって、会いに行かれたことです。たしかヨビヨセ航空券だったような記憶があります。



時にかなって美しい

 知らなかったのですが、彼は青山学院の出身で、学生時代は、聖書を英語で研究するサークル活動をしていらっしゃったとか。

 たまに出会うことがある、根っから野球が好きな人で、ずっと野球部の顧問をされていました。ある時、組合の会議で、付添業務の話になったときに、僕は山岳部の顧問をしていたけれど山の教育が高校生に不可欠だと考えていて、大変だけど山が好きだから顧問をしていると考えて、児山先生に、野球が好きだら顧問をしているよね、と発言した時に、大好きで喜んでいつも付添をするわけではないことを話されて、そうだった、軽率だったなあと反省したものです。

 去年のクリスマスから、教会にご夫婦で通われたそうです。九月の下旬に、最初の脳の出血があって、それは、かなり克服されたのですが、もう一度あって、そこからは危篤状態であったようです。

 一年前に教会に行かれるようになった理由は聞いていませんが、神さまがなさることには、本当に、深い意味があって、いちばんふさわしいときに、いちばんふさわしいことをされるのだとつくづく思います。出来れば、生きていらっしゃるときに、どんな風に、神さまに出会われたのか、どうして洗礼を受けようと思われたかを、聞きたかったなあと思います。

 死を迎えるときに、神さまの姿が見えて声を聞きながら死んでいくのは、人生で最も素晴らしいことの一つではないかなあと考えています。

 あっ、今日の画像の解説をしなくては。日曜日空手の大会に向かう朝に撮影した東山動物園の紅葉です。青空の中に、月が写っているのですが、わかるでしょうか? 



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